――一年後。
 叔父が逝った。
 意識が混濁する直前に発した言葉が、そのまま彼の遺言となった。

「白桃……」

 叔父は、骨と皮だけの手で私の手を弱々しく握り、言った。

「君は、“とくべつ”な子だ。君のその力は、この先自分自身を苦しめてしまうものになるかもしれない。けれどね、つらくても、自ら暗闇にのまれることだけは、どうかしないでくれ。約束してくれ、白桃……」

 そのときの私は、叔父の今わの際の言葉を一言一句逃さぬよう、ただ手を握り返して頷くことしかできなかった。
 だからその言葉の真意について理解が及ぶことになるのは、彼の死後よりずいぶんあとになるのだった。

 叔父の遺体は近隣住民の手を借りて、その日の夜に土地の外れにある共同墓地に埋葬した。

「あっけないものね……」

 叔父の死から数日後。
 悲しみに暮れる間もなく、私は遺品整理に勤しんでいた。

「私、とうとう独りになってしまったんだわ」

 叔父の自室で、ため息のような独白が寂しくこぼれ落ちるが、事実胸が掻きむしられるような悲しみを感じているわけではなかった。実際、私は叔父の死に目に涙も流さなかったのだ。冷静、というわけでもなかったけれど、今こうしてひとり残されたことを実感しても、やはり涙は出そうにない。
 ただ、ひたすら空虚だった。
 七年……いや、もう八年も前から。

「……これから、どうしようかしら」

 叔父が病床に伏してからは薬屋稼業も闇医者稼業もなりを潜めていた。私がひとりになったら改めて、表の薬屋稼業だけでも再開する心積りでいたのだが……。
 外からは今日も遠くで銃声が聞こえてくる。
 仕事も何もかも放棄して静かに過ごすとしても、この土地で、一体いつまで無事で暮らせるのだろう――?
 近所の婦人方の話では、抗争がはじまって早々にここを見限って出ていった住民も少なくないという。

「……けれど、私に逃げる場所なんて……」

 久しぶりに、“あの感覚”が私の心を蹂躙した。色のない景色。冷たい檻の中。私はどこにも逃げられない。そんな絶対的な、逃げる必要性さえも奪われるような感覚。
 そうだ、どうせ居場所なんてないのだから、逃げる必要すらないのだ。檻の中で膝を抱えて、朽ち果てるそのときを待てばいい。
 けれどそんな明日か永遠かも知れないような時間を、これから私は耐えることができるのだろうか。たったひとりで。
 と、そのとき。

「……?」

 思考を巡らせながら手にかけた机の引き出し。その一番下段に、まるで存在を隠されていたかのように仕舞われていた“あるもの”に、私は目を奪われた。
 黒い装丁の、分厚い書物である。
 かなり年季が入っているらしく、古書特有のインクと埃が混ざったような匂いが鼻をついた。手に取ってみると、見た目通りずっしりと重い。一見すると辞典のようである。しかしその書物の表、背、裏を確認しても、何の題も記されていない。
 私は何気なく――というより、まるで何かに惹かれるような心地で――ごく自然な動作で書物を机上に置き、中を開いた。

「え……?」

 私は、瞠目した。
 長き年月を経て処々擦り切れて、変色した紙面に記されたその知識自体を、私は知らないわけではなかった。
 叔父が所有していたたくさんの書物から知識を得ることが、私の楽しみのひとつだった。“それ”をはじめて知ったのは、この国の歴史に関する書物。かつてこの国で勃発した大戦にて使用された、この国独自の人間兵器――否、元・人間兵器というべきか。
 “それ”は、白家の特に秀でた能力を持つ者たちが《八卦の札》をもって可能にした、唯一の死者蘇生術からなる存在。

「……キョンシー……」

 そこには紛れもなく、死者を強制的に蘇生させる禁忌の方法が記されてあったのだ。
 私は理解した。この書物は、キョンシー作成術の専門書であることを。

「なぜ、叔父様がこれを……?」

 叔父は医療の力を信じている人だった。もともとは私の実父(叔父の弟だ)共々白家に仕える人間であったそうだ。そんな彼が白家を退いたのは、医師の道を志していたというのもそうだが、白家によるキョンシー作成術にひどく反感を抱いていたからだと、引き取られてまもなく聞いたことがあった。
 「あれは死者を侮辱する行為だ」と、その話を私にしたときの叔父の静かな怒りに満ちた顔を、私は今でも鮮明に記憶している。
 それなのに、なぜ彼がこの書物を所有していたのだろうか?
 と、頁を捲っていくうちに、紙切れが数枚挟まっているのを見つけた。
 そっと取り上げて内容を検める。万年筆で書かれた流れるような文字をゆっくりと、しかし次第に夢中で目で追った。
 叔父の遺言状であった。


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