「……やっぱり、君はきれいだな」

 ふと、彼が唐突に脈絡のない言葉を発した。
 それまでどこか遠い場所を仰いでいた双眸は、今はしっかりと私のほうへ向けられている。

「はじめて君を見たとき、あの縁側で、斜陽のなかで本を読む君の姿がとてもきれいだと思った。年がずいぶん離れているとはわかっていたけど、それでも俺は君に心惹かれたんだ」

 心臓をつかまれてしまったかのように、急にとても息苦しくなる。声を発することさえ難しく、私はただ黙って彼のことを見つめた。

「俺は、生まれも育ちも良くない。学校に通ったことがないから教養もない。けれど、だからこそ、美しい人やものには敏感だと思ってる。つまりその……俺は、これでも人を見る目には自信があるんだ。君は、俺が今まで出逢った誰よりも聡明で、美しい女性だ」

 きれい。聡明。美しい。
 そんな身に余るような言葉を彼が口にする度に、喉元が熱くなった。けれど、飛び跳ねてしまいそうな嬉しい気持ちとは違う。なにせ目の前の彼が、私を褒めながらつらそうに顔を歪めるから、まるで今にも泣きそうな目をするから。

「そんな君に、俺のこと好きだと言ってもらえてうれしかった。舞い上がってしまった。……はじめてだったんだ、あんなふうに面と向かって、誰かに想いを伝えてもらえたのは……」
「……皓くん」
「でも、俺じゃやっぱり……君には見合わな、」
「皓くん」

 このままどこかへ行ってしまいそうな彼を呼び止め、堪らずその手をとった。私の頼りない痩せた子どもの手で、力強い傷だらけの手をしっかと握った。

「いやよ」

 私は彼を見上げて、口角をきゅっと持ち上げてみせる。

「私、皓くんじゃなきゃいやよ」
「……白桃」
「言ったでしょう? 皓くんがどんな人でもかまわないって……。私ね、決めてしまったのよ。これからあなたのために生きてゆくことを」
「……」
「でも、皓くんが私よりも大人で、美人で素敵な人をお嫁さんにしたいと言うのなら、仕方ないわ。この手を離してあげる」

 彼は虚を衝かれたような顔で、長いこと私を見つめていた。やがて、小さくほほえむと、私の手を握り返した。

「……君には敵わないな」

 盲目的と言われてもいい。
 もしかしたら人を殺めたこともあるかもしれない彼の手は、けれど、私にとってはひどくやさしくてあたたかい、かけがえのないものなのだ。
 陽だまりのなかで髪を撫でてくれた、私に恋をおしえてくれた手。
 彼はおもむろに、空いた片方の手をそっと私の腰のあたりに回した。自然とお互いの距離が近くなり、私は息を呑んだ。ドキドキと胸が高鳴るなか、彼の顔が近づいてくる。とうとう唇が重なる寸でのところで――しかし、私たちの唇が重なることはなかった。
 おいてけぼりをくらったような心地で私が困惑していると、赤面したまま離れていった彼が苦笑した。

「だめだ」
「……えっ?」
「決めたんだった。君が十五になるまでは……って」

 ややあって、彼の言わんとすることを理解した私は、不満をあらわにうつむいて口を尖らせた。

「……まだ四年もあるわ」
「四年なんてすぐだよ」
「それまで、私のことをすきでいてくれる……? 美人で大人で素敵な女の人が、皓くんの前に現れても?」

 先程の彼以上にすっかりふてくされた私を見て、彼は声をあげて快活に笑った。笑いごとじゃないわ、と私が怒ってみせても、彼はますます可笑しそうにするだけであったし、結局私たちがくちづけを交わすことはなかった。
 幼い自身が恨めしく、早く大人になりたいと、これほど切に思ったことはない。
 そろそろ帰ろうか、と何事もなさげに言いながら差し伸べられる手のひらに、私はしぶしぶ応じたのだった。

 月光が照らす花香る帰り道。つないだ手はあたたかく、少しずつ遠ざかる笛の音に後ろ髪引かれる思いで、いとしい人と歩いてゆく。
 今日私は、新たに夢ができた。
 十五になって彼のお嫁さんになって、そしていつか彼との子を成すこと。陽だまりのような家庭を築くこと。

「なに笑ってるんだ?」
「ナイショよ」

 私、早く大人になるから。
 だから、皓くん、まっていてね。


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