マンションに着いて、お父さんも夜まで帰らないしいいかと思い、わたしの部屋じゃなくより広いダイニングテーブルで勉強をすることにした。
「……あの〜、杏ちゃん」
英語の問題集を解きつつ教えつつ、小一時間経った頃、崎くんがわたしを呼んだ。
「なあに?」
「……あのさ」
「どこがわからないの?」
「ああいや、ちがくて……」
頬杖をついて問題集に目を落とした姿勢のまま、気まずそうに言葉を濁す崎くんに、小首をかしげる。
やや間をおいてから、崎くんが再び口を開いた。
「テスト、成績よかったらご褒美ほしいなって思って……」
「……ご褒美?」
「俺にも、頭なでて『いいこね』って言ってほしい。モモタロみたいに」
「……」
「……引いた?」
引いた? と訊ねつつも一向にこっちを見ないのは、崎くん自身「ご褒美」の内容をやましいと感じているからなのだろうか。
「……そんなのでいいなら、全然かまわないけど」
崎くんが勢いよく顔を上げる。
「ほんと!?」
「う、うん」
頷くと、崎くんの顔がパッと輝く。めちゃくちゃうれしそうだ。
「あー、やばい。俄然やる気でた」
「……そう。じゃあ、できたら全教科平均点ぐらいはがんばってほしい」
「は〜い」
ニコニコと頷いて、また問題集に向かう。ううん、やっぱり犬みたい。それか子ども。小学生ぐらいの……。
「ん? どうかした?」
「……なんでもない」
そんなこんなで、中間テストの結果が返ってきた。
わたしは学年で7番だった。前回英語があまり良くなかったのだけど、崎くんといっしょに勉強した甲斐もあってか、今回のテストでは調子を取り戻していた。
そして肝心の崎くんはというと、
「……82番」
崎くんから受けとったテストの結果用紙を見て、わたしは思わず目をむいた。
82番という順位そのものではない。用紙には前回の順位も記載されていて、それが前回よりも、なんと200番近くも上がっているのだ。
「こんな極端な上がり方見たことない……」
「はははっ、担任にも同じこと言われた。なにがあった? って、すげぇ青い顔されてさ」
そりゃそうだ、と心の中でつぶやいておく。
しかしながら当の本人は「やったー!」などと大手を振って歓喜するわけでもなく、いつも通りあっけらかんとしているのだった。
まあなんにせよ、よかった。全教科無事に平均点以上だし。
「これでお母さんに殺されないね」
「……杏ちゃん」
「なあに……」
用紙から顔を上げると、崎くんがなにかを待ちわびているような表情で、わたしを見ていた。
目が爛々としている。犬であれば、キューンキューンと、あの庇護欲を掻き立てるような鳴き声が聞こえてきそうなほど。
そういえば、とご褒美のことを思い出す。あからさまな順位差に気を取られて忘れてた。
「えっと……ちょっと、ううん、だいぶ屈んで?」
身長差が半端じゃないのでそう促すと、崎くんはだいぶ屈むどころか、わたしの前に跪いてしまった。
いや、そこまでしなくても……と思うけど、そんなにキラキラした目で恭しく見上げられたら何も言えなくなるのだった。
いつも見えないつむじが見えるのが、なんだか新鮮。手を伸ばし、崎くんの頭にそっとふれる。モモタロよりもかたい黒い髪を、そろそろとなでる。
「……い、いいこね」
わたしの腕の下で、目を上げた崎くんの表情がみるみる恍惚としていく。
「杏ちゃん……俺、今なら死んでもいいです……」
「……」
たぶんドン引きするところなんだろうし、実際ちょっと引いてるけど、崎くんがほんとうに昇天する勢いでしあわせそうなので、まあいっか。
16.8.27
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