放課後、わたしの家で崎くんに勉強をおしえることになった。
 二週間後に迫る中間考査で「一教科でも赤点とったら殺す」と、お母さんから脅されてるらしいのだ。そこまで言われるほど崎くんって成績ひどいのだろうか。

「前回のテストは何番だったの?」
「さぁ……おぼえてないな。確実に下から数えたほうが早いけど」
「……赤点だった教科は?」
「エッ? え〜と……数学と日本史と、あと理総……」
「日本史はがんばって暗記していくとして……数学と理科系は、わたし得意だからまかせて」
「あの、ごめんなさい、数学と日本史と理総以外ぜんぶ赤点って意味っす」
「え゛っ」
「アハハ」

 アハハ、などとさわやかな笑顔を向けられても、返す言葉もない。なるほど、崎くんのお母さんが脅す気持ちもわかる気がする。これは教えがいがありそう……と、ポジティブに考えることにしよう、今は。
 緑坂駅で下車して、十分も歩けばマンションが見えてくる。その途中、ある一軒家の前で足を止める。

「モモタロ」

 広い芝生の庭に面した柵の隙間から、モモタロが顔を出したのだ。
 モモタロとは(前にも述べたけれど)この一軒家の家主、山本さんの飼い犬である。ジャーマン・シェパード・ドッグの男の子。見た目は大きくて厳ついけれど、とても人なつこくてかわいい。
 モモタロの頭をモフモフなでてやりながら、崎くんにふり向く。

「崎くん、この子、モモタロっていうの」
「……ももたろ……」
「ここを通るとね、いつもこうやって隙間から顔を出してくるの」
「……」

 ふと、わたしは気づく。崎くんの笑顔がめずらしく引きつっていることに。微妙に後ずさってるし、それに、冷や汗かいてる?

「崎くん……もしかして、犬苦手?」

 ズバリ言うと、崎くんの肩がピクッと浮いた。どうやら図星のようだ。
 意外だ。崎くんは、犬派か猫派でいえば断然犬派のイメージがあったし、なにより本人が犬っぽいし。
 とはいえ、それはわたしの勝手なイメージでしかない。人は見かけによらないということだ。

「昔から吠えられた記憶しかないんだよね。気づいたらだいぶ苦手になってたっていうか……」
「そう……。でも、モモタロはめったに吠えないよ。すごく利口なの」
「……へぇ……」
「よしよし、いいこね」
「……」

 いちおうモモタロの愛らしさをアピールしてはみたけど、崎くんは少し離れた場所から眺めるので精一杯の様子だ。よっぽどダメらしい。ちょっと残念だけど、さすがに無理強いはできない。

「ふう、そろそろ行こっか。モモタロ、バイバイね」

 名残惜しそうに(見える)モモタロに別れを告げて、また崎くんと並んで歩き出す。
 ちらと隣を見上げてみると、緊張から解放されたような横顔があった。わたしの観察眼に気づいたらしく、崎くんの目がこちらを見やる。そして、逸らす。

「……バレちゃったな」
「え?」
「犬、苦手なの。カッコ悪いよね。なんつうか、ヘタレみたいでさ」
「……」

 カッコ悪いなんて、微塵も感じてないのだけど。
 モモタロのモフみを分かち合えないことはたしかに残念だけど、むしろ、なんとゆうか、崎くんの意外な顔が見れたので、わたし的にはなかなか興味深かった。
 けれどそれを素直に口にするのも、男子の矜恃に触れるような気がして躊躇われたので、少し考えて、

「誰にでも苦手なものはあると思うの」

 と、当たり障りなく答えた。

「わたしも、雷ダメだし。……それに――」

 犬がこわいぐらいで嫌いになんかならないよ。口にしかけた言葉はすんでのところで恥ずかしくなってしまって、結局ううん、と濁してしまった。
 様子を窺うようにまた隣を見上げると、崎くんがわたしを見て、やわらかくほほえんだ。

「やっぱりやさしいな、杏ちゃんは」
「……ふつうだと思う」

 心を読まれたみたいだった。

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