「それ、崎くんに言った?」
「言ってない……」
「言ったほうがいいよ」
「でも……」
「言わなきゃダメだよ」
語気を強めて言い直した七瀬のその言葉が、とん、とわたしの背中を押した気がした。
そして、気づいた。
わたしは、自分の楽しかったとか、いっしょにいて心地いいとか、そういう気持ちをなにひとつも崎くんに伝えていなかったことを。
「案外向こうもおんなじこと思ってっかもだし」
「……え?」
「つーか! テメーから告白しといて『そんなにすきじゃない』とか言いやがったらその場で殴るって話だよ! 椅子とかで!」
「椅子……」
椅子はない、と若干引いていたら、七瀬がふーっと長い息をついたあと、真面目な顔になってわたしを見た。
「杏、ごめんね」
突然謝られて、わたしはぽかんと七瀬を見つめ返した。
「どうして?」
「前にミスドでさ、杏が『崎くんと付き合ってみたい』ってあたしに話してくれたじゃん。あのときあたし、素直にがんばれとか、おめでとうって言えなかったから」
「……」
「子どもっぽい理由ですげー恥ずかしいんだけど、さみしかったんだよね。崎くんに杏をとられちゃうみたいで。友だちなのに、ごめんね」
そう告白する七瀬に、わたしはううん、と力なく首を振ることしかできない。
七瀬がそんなふうに思っていたなんて、ちっとも気がつかなかった。友だちなのに、と言うなら、それはわたしだって同じだ。今だって、七瀬が切り出してくれなければ、わたしはひとりでいつまでも悩み続けていたかもしれない。
「わたしも、ごめん……」
「ちょっ、なんで杏が謝んの?」
「だって……わたし、自分のことばっかだね」
七瀬が短く声を上げて笑う。
「みんなそうだよ。そんなもんだよ」
「そんなもんかな……」
「少なくとも、杏はその気持ちを大事にしなきゃダメだよ」
「……うん」
「あんま考えすぎるとハゲるよ」
「ハゲないし」
顔を見合わせて、笑う。
そのときタイミングよくチャイムが鳴った。七瀬がベッドから腰を上げ、腕を伸ばしながら窓のほうへ歩み寄っていく。
あ、雨やんでんじゃん、とつぶやいた声が聞こえた。わたしもベッドから下りて、窓のほうへ行く。
七瀬が開けた窓から、湿気の多い風が入り込んできた。見上げた空は薄い雲が広がっていた。晴れてはいないけど、雨はやんでいる。
「杏、がんばれ」
七瀬が、ポンとわたしの背中を軽く叩いた。わたしはうんと頷く。
まだ残る雨のにおいを嗅ぎながら、自然と憂鬱の雲が消えていく気がした。
雨上がりのにおいは、崎くんのにおいに似ている。そんな些細なことも伝えたいと思った。
今度はわたしから名前を呼びたいんだ。
16.6.10
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