中庭に移動し、ベンチに並んで腰を下ろすと、まず崎くんがわたしに紙袋を差し出してきた。

「これ、こないだ借りた服」

 ごめん、返すの遅くなった、と眉を下げる崎くんに、ああそういえば、と思い出す。
 すっかり忘れていた。日曜日、崎くんはお父さんのスウェットのまま帰って行ったんだっけ。

「ちゃんと洗濯したんで。アイロンもかけたし」
「え゙っ。そんな、わざわざよかったのに……」

 スウェットにアイロンて。
 受け取った紙袋を覗くと、たしかにやけにピシッとしたお父さんの部屋着(しかも予備のやつである)がきちんと折り畳まれている。
 ふわりと柔軟剤のような香りがする。それに混じって、崎くんのにおいがした。このにおいを嗅ぐと、なつかしさが一瞬、胸を過ぎるのだ。それが今、なんだかつらい。

「ごめんね」

 崎くんのほうを向く。
 崎くんは、パックの烏龍茶にストローを刺しているところだった。

「お姉さん、呆れてなかった?」
「……え?」
「こないだ俺すっごいテンパってて、徳丸さんのお姉さんにちゃんと挨拶した記憶なくて。そうとう感じ悪かったんじゃないかな〜って」
「……だいじょうぶだよ」
「そっか、よかった〜」

 一度大きく鳴った鼓動の余韻で、心臓がドキドキと早鐘を打っている。
 違うことを謝られたのかと思った。
 たとえば、ふれようとしたら避けていった手のこととか、月曜日に食堂で女の子とふたりでいたこととか。
 もし崎くんに謝られたら、わたしはなんと答えればいいんだろう。

「崎くん……」

 崎くんがストローから口を離し、ん?と小首を傾げてわたしを見てくる。その瞬間フラッシュバックのように、わたしを不安にさせる光景たちが脳裏によみがえった。
 崎くんとちゃんと目が合っているはずなのに、ものすごく心細いような気持ちになる。なんだか泣きたい。
 わたしは一度ぎゅっと唇を噛んで、そして、口を開いた。

「崎くんのことが、こわい」

 崎くんから笑顔が消える。

「崎くんの考えてることがわからなくて、こわい……」

 今の今まで考えてなかった言葉たちが、驚くほどするりと口から溢れ出てくる。
 崎くんの見たこともない顔を見上げながら、違う、こんなの違う、と思う。

「……わたし、今まで誰かと付き合ったことないけど、付き合ってみて『なんかちがうな』って、そう感じることもあると思うの。そうゆうことを感じても、べつに不思議なことじゃないって」

 わたしはなんでこんなことを言っているんだろう。
 違う。違う、こんなこと、少しもわたしが言いたかったことじゃないのに。
 でも、だめだ、頭がぐちゃぐちゃだ。心臓もこんなにバクバクしている。

「だから、無理して付き合う必要なんて、ないから……」

 崎くんの目が、こわいくらいきれいだ。錯覚だとはわかるけど、まるで青く透き通って見える。その目が微動だにせずわたしを捕らえている。

「……もう、迎えに来てくれなくていいから」

 わたしは、とうとう崎くんから顔をそむけた。
 ベンチから立ち上がる。お茶のペットボトルと菓子パンの袋を掴んで、無我夢中で逃げた。一刻も早くこの場から去りたかった。

 聞きたいことはひとつも聞けなかった。そもそもわたしは崎くんに何を聞きたかったのか、わからなくなった。
 もうなんにもわからない。泣きたいけど、自分の感情が理解できないから、涙も出ない。
 息が苦しい。広い海のまんなかで溺れているみたいだ。

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