お姉ちゃんが帰ってきた。
 同棲中のカレシが名古屋に出張で、その間だけこっちに戻ることにしたらしい。
 夜は仕事から帰ってきたお父さんと、久しぶりに三人でご飯を食べた。

「あーんず」

 22時を回った頃、部屋でぼやっとスマホを眺めていたら、ノックのあとに、ドアの隙間からお姉ちゃんが顔を覗かせた。
 スッピンにパジャマのお姉ちゃんが、ベッドに座るわたしの横に腰かける。

「今日はこっちで寝ようかな」

 いい?と、わたしの顔を覗き込むお姉ちゃんに、頷く。お姉ちゃんが来なかったら、わたしがお姉ちゃんの部屋へ行くつもりだった。
 わたしとお姉ちゃんは、年がひと回りも離れている。そのせいか、お姉ちゃんとは今まで喧嘩という喧嘩をしたことがないし、わたしはお姉ちゃんにはものすごく甘えたがりだ。
 だから、お姉ちゃんが家を出ていくことになったときは、ほんとうは嫌だった。口には出せなかったけれど、さみしかった。

「杏、髪伸びたね」

 お姉ちゃんが、わたしの頭をぽんぽんとなでた。

「……伸ばしてるの」
「そうなんだ。うん、杏は長いほうが似合う。大人っぽくなるね」
「お姉ちゃんは、短くなったね」
「ふふふ。こないだ切ったばっか。カレシには不評だけど」
「……」
「杏、カレシできたんだ?」

 訊かれるだろうとわかっていたはずのに、いざ訊かれたらなんと答えればいいのか、言葉がみつからない。
 うつむいて、黙っていると、イケメンだったじゃん、とお姉ちゃんがにこにこする。

「同じ学校?」
「……うん。いっこ下」
「てことは、高一? うそ、杏の先輩かと思った。大人っぽいね、背おっきいし。あっくんよりおっきいんじゃない?」
「……わたしも、最初は年上かと思った」
「でもあれね、やっぱり高校生だからかな」
「え?」
「モモタロに似てる気がしたの。ほら、山本さんとこの、ジャーマンシェパードの」
「……」

 思わず、笑ってしまった。お姉ちゃんも、ちょっとー、否定してあげなよ、などと言いながら笑い出す。
 ひとしきり笑いあうと、お姉ちゃんが胸を反らすようにして、後ろ手をベッドについた。

「あー、安心した」

 と、天井を見上げながら、お姉ちゃんが言う。

「わたしが家出てってから、杏、ずっと連絡寄越してきてたのに、それがここ最近急にこなくなったから、どうしたのかなーって思ってたの」
「……」
「わたしに気ぃでも遣ってるのか、それか、ただ単に忘れてるだけかなって」

 なにも言えないでいたら、後者でしょ?というふうに、お姉ちゃんがわたしに笑いかけた。
 そうなんだ。お姉ちゃんが家にいなくなってから、日課のようにずっと連絡していたのに、ここ最近はしていなかった。
 お姉ちゃんの言うとおりだった。単純に、忘れていたんだ。
 春の終わりに崎くんと出会ってから、わたしは、ずっと崎くんのことばかり考えている。

「お父さんも、最近の杏は楽しそうだって言ってたし」
「え、そうなの?」
「そうだよ。それに杏、最近は寝酒してないみたいだしね」
「え゙っ」
「あんたね、今から酒に頼るようになったらダメだよ。お父さんだって、自分の缶ビール減ってるの気づかないわけないでしょーよ」
「……ご、ごめんなさい」
「さみしくなったら、電話しなよ。遠慮しないの。ね?」
「うん……」

 お姉ちゃん、ありがと。
 そう言ったわたしの頭をぽんとなでて、さ、もう寝よ寝よ、とお姉ちゃんはベッドに横になった。

「明日、学校でしょ」

 そうだった。明日からまた一週間あるんだった。
 月曜日の朝はツライ。それでも起きて、学校に行かなきゃ。きっと起きられる。わからないことがたくさんあるから。気になることは、なるべく消化したい質だから。

「今度ちゃんと紹介してよ、モモタロくん」

 照明を落とした部屋の中で、お姉ちゃんがそっとわたしにささやいた。
 わたしはちいさく笑って、頷いた。



 ほんとうは、胸の奥には不安があった。
 目を閉じると、脳裏によみがえる。公園で手が当たったときの「ごめん」や、ふれてみたくて手を伸ばしたとき、大きな手が、まるで怯えるように、わたしから離れていった映像が。
 わたしは、崎くんがわからない。
 わからないことばかりだ。だから、知りたい。
 けれど、崎くんはそうじゃないのかもしれないと思った。

 ――崎くんは、わたしのこと、ほんとにすきなのかな……。

 知りたいのに、踏み込むことがこわいのだ。



16.2.4

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