クラスどころか、学年が違うとなると、なかなか会える機会がない。
何が言いたいかというと、結局徳丸さんには聞けていない。
部活を終えると、初夏で日が長くなってきたとはいえ、外はもう薄暗い。俺は武道場を出て、そのまま校門へは行かずに、わざわざ裏庭のほうへ回り道をする。
ひっそりとした裏庭で、小さなレンガの花壇の前に立つ。花壇にはやわらかそうな新しい土が敷かれている。ミニひまわりが植えられているはずだけど、まだ芽を出す気配はないようだ。
花壇を占領していると言った徳丸さんを思い出す。あのとき、ちょっとドヤ顔だった気がする。
「……かわいかったな」
あの子の笑った顔が見たい。
十年経った今でも、俺は同じことを考えている。
学校を出た俺の足は、そのまま帰路へは着かずに、ある場所へ向かっていた。
東園高から五分ほど歩くと、歩道に沿って小さな店舗がいくつか建ち並ぶ通りになる。コンビニ、美容院、薬局、歯医者……。やがて、白い看板が見えてくる。俺はその前で立ち止まった。看板には、きれいな緑色で「FLOWER SHOP MIZUKI」と書かれている。閉店時間ギリギリだ。まだ開放されている入口を見て、ほっとする。
店内へ進むと、すぐに奥からいらっしゃいませ、とやわらかい声が聞こえた。
「あら、透くん!」
現れたその人のほころぶような笑顔を見て、俺の胸のうちになつかしさが広がった。
いつ以来だろう、ここに来るのも、この人に会うのも。高校の受験勉強に追われて、でもそれよりも前から来ていなかった気がする。少なくとも、二、三年振りだろうか。
「水木さん、お久しぶりっす」
俺は、こんばんは、と改めて軽く頭を下げた。
この小さな花屋の店主、水木さん。俺にとってはやさしい祖母のような存在だ。
二、三年前、俺はこの場所によく通っていたのだ。とはいえ小遣いもないガキだったので、決して花を買っていた“お客様”ではなく、文字通り店に通っていただけだけど。
「ほんとうに久しぶりね。もう私のことなんか忘れちゃったのかと思ったわよ」
「そんなわけないじゃないすか。受験勉強が忙しかったんだよ。水木さん、びっくりするよ〜。俺ね〜」
「東園高校に通ってるんでしょう?」
「えー、なんで知ってんの?」
「幸枝ちゃんから聞いたもの」
「オカン……」
「透くん、ずいぶん勉強頑張ったんだってね。どう、学校は楽しい? 喧嘩してない?」
「ははは、喧嘩するような物騒な学校じゃないよ。有名な進学校だもん」
楽しいよ、と素直に答えると、水木さんはうれしそうに目尻のシワを深くした。
花は好きだ。昔から。
いつまで経っても種類がチンプンカンプンではあるけれど、見ているだけでけっこう楽しい。
それにしても、しばらく顔を見せなかった間に品数が増えたんじゃないだろうか。店の中心に目新しい棚が設置されていたので、見れば、小さな鉢植えが並んで置いてある。「多肉植物コーナー」と、サボテンを模したポップが付いていた。
「かわいいでしょう」
屈んでまじまじと観察していると、後ろから水木さんが声をかけてくる。
「サボテンって、こんなに種類があるんだな……」
「そうよ。プレゼントなんかに今すごく人気があるのよ」
プレゼント、と思う。
そうか。花といえば、単純に切り花を思い浮かべたけれど、こういう小さな鉢植えもいいかもしれない。
「水木さん、この中で花が咲くやつってある?」
「もちろん」
俺が訊ねると、水木さんはいくつかある鉢植えのうちの一つを手に取った。
「これはね、スミレ丸ちゃんっていうの」
「すみれまる……?」
「大事に育ててあげるとね、すみれ色のきれいな花が咲くのよ」
ふっくらとまるっこい、なんだか愛嬌のあるサボテンの鉢植えを、水木さんが俺の手のひらに乗せた。
この葉も蕾もない今の姿からどんなふうに花をつけるのか、まったく想像できない。でも、彼女なら、きっときれいに花を咲かせる気がする。
「リボンの色はどうする?」
レジカウンターにサボテンの鉢植えを置くと、至ってふつうに訊ねてきた水木さんに俺は驚く。
「なんでプレゼント用ってわかったの?」
「そりゃわかるわよ。ものすごく真剣な目でお花見てるんだから」
「……」
「さ、リボンは何色にするの?」
「ピンクで」
ラッピングを待っている間、水木さんから勧められてメッセージカードを書くことにした。
何て書こう……。
余白の上でペンをふらふらと迷わせながら、「好きです」、「大事にします」、いろいろな言葉が浮かんだけれど、結局無難な言葉を選んだ。
【これからよろしくお願いします】
書き終えてみると、そんな一言だけのメッセージが味気なく思えた。かと言って、他に何を書いたらいいかわからなかったので、文末に絵を添えることにした。
「透くん、ラッピング終わったわよ。……あら、かわいい猫ちゃん」
「……パンダ」
体だけがでかくなって、心はちっとも成長しない。うまく伝える術はいつまでも経ってもわからない。
よろこんでくれるかな。
花が咲くように、あの子が笑ってくれますように。
16.1.27
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