ピピッと音が鳴って、脇に挟んでいた体温計を取り出す。
「何度だった?」
「…………八度五分」
「ほれみな! あんた寒がりのくせにパンツ一丁で風呂場から出てくるからこうなるんだよ! こーのばか息子!」
「……っせぇな〜」
寝返りを打って、枕元で声を荒らげる母親から背を向ける。ばか息子のことは放っといていいからもうさっさとパートに行ってほしい。だいたい、俺がパンイチで風呂場から出てくるのは今にはじまったことではない。
「透、学校には連絡しといたからね! 母ちゃん今日はフルタイムで稼がないといけないから仕事休めないけど、なんかあったら即電話すんだよ! いいね!?」
「……ん〜」
「台所の鍋におかゆ入ってるからね! ちゃんと食わないと殺すよ! いいね!?」
「……わかったからさっさと行けよ……存在がうるさい……」
悪態をついた俺の頭を叩いて(いつもより若干やさしいのがこわい)、ようやく母親は部屋から出ていった。玄関ドアが施錠された音を最後に、家の中はしんと静かになる。
「ニャー」
頭を動かす。枕元には、いつのまにかパンちゃんがいた。つぶらな青い目が心なしか心配そうに俺を見下ろしている。と思ったら、パンちゃんはもそもそと俺の布団に潜り込んできた。どうやら暖を取りたかったらしい。
「……パンちゃーん……お兄ちゃん、体きっついよ〜」
パンちゃんを腕に抱きつつ慣れない不調を嘆く。
とくべつ健康に気を使っているわけじゃないけど、今まで寝込むほどの体調不良に襲われたことなんてほとんどなかった。風邪で学校を休んだ記憶なんて、思い出せないくらい昔の話だ。だからというのも馬鹿馬鹿しいが、俺は風邪をひかない人間だと思っていたので、自分に裏切られたような気分だ。
「はあ、ほんとにきっつい……」
たかだか体温が二度ほど上がっただけなのに、こんなにきついとは。頭痛いし、成長痛かってぐらい体の節々も痛い。それに、寒い。布団をかぶって猫を抱いていても体にまとわりつく悪寒がなによりつらかった。俺は寒いのが苦手なのだ。なぜだか心が悲しくなってくる……。
ひとりでめそめそしていたら、枕元のスマホが振動した。手に取ってみると、新しいメッセージが二件きていた。
『おまえでも風邪引くんだな。お大事に。返信不要』
これは拓実。
『びっくりしたー、崎も風邪なんか引くんだ。お大事にね!』
これは樹ちゃん。
二人揃って同じ文言なのがおもしろい。そして二人にとっての俺って、そんなに健康優良児な印象なのだろうか。俺もそうだったけど。
「……杏ちゃんから、メッセージこないかなあ……」
とりあえず樹ちゃんのメッセージにのみ適当なスタンプを返して、それからつい独りごちてしまう。しかし、そもそもクラスどころか学年すら違うのだから、杏ちゃんは今日俺が学校を休んでいることなんかきっと知らないだろう。
こっちからメッセージを送ってみようかと指が動きかけたけど、病欠していることをわざわざ申告するのもかまってほしいみたいでなんだか情けない気がする(かまってほしいんだけど)。それに送ったところで、やさしい杏ちゃんのことだ、余計な心配かけそうだしな……。
そんなふうに熱に浮かされた頭でごちゃごちゃ考えて、結局スマホをオフにした。重たい体をなんとか起こし、ふらふらしながら台所でおかゆを完食して風邪薬を飲んで、さっさと寝ることにした。
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