今日は俺が訪問することを予め設定していたせいか、あのときよりもリラックスした笑顔で俺を出迎えてくれた、杏ちゃんのお父さん。対して俺は、やっぱり緊張を拭えないままぎこちなく挨拶を返した。
「あのこれ、母ちゃ――は、母が持っていけと……」
「え? ああ、手ぶらでよかったのに。どうもありがとうね」
今日杏ちゃんの家へ行くことを話したら母親に無理やり手渡された、デパ地下の菓子折りをお父さんに献上した(俺結局中身知らないんだけど、たぶん洋菓子だと思われる)。
午後の陽だまりにあふれた徳丸家のリビング。俺は窓辺のソファに通されて、借りてきた猫のように着席する。正面にお父さんが腰を下ろし、少し遅れて、コーヒーとクッキーを持ってきてくれた杏ちゃんが、俺の隣にちょこんと座った。
「今日は来てくれてありがとう」
向かい側から話しかけられて、俺は思わず背筋を伸ばす。
「改めて、杏がいつもお世話になってます。クリスマスのときもずいぶんご迷惑かけちゃって」
「……その節はお世話になりました」
「あはは、そんな、ぜんぜんっす」
前から横から二人に頭を下げられて、だいぶ恐縮してしまう。
「いつもは僕のほうが杏ちゃ――杏さんに、頼りっぱなしなので」
「……そんなことないと思うけど」
「そんなことあるって〜」
杏ちゃんが呟いた言葉にバッチリ普段のテンションで答えてしまってから、はっとして、慌てて前に向き直る。お父さんは変わらずにこやかであった。
「いやぁ、大きいねえ」
お父さんが感心したように口を開いた。
「前に会ったときもびっくりしたけど、改めてこうやって向かい合うとね。花梨……杏のお姉ちゃんも、崎くんのこと『すごく大人っぽいの』って言ってて」
「ははは……よく言われるんですけど、中身はぜんぜん伴ってないので、ほんとに……」
「杏と同じ東園高校なんだよね。部活は、何か入ってるの?」
「はい。柔道部に」
「崎くん黒帯なんだよ」
「へえ、そりゃすごいな。杏は、運動はからきしだもんなあ」
「……お父さんに似たんだもん」
「や、俺以外にも黒帯の部員いるんで、そんなに大したことじゃ……」
和やかに会話は進む。杏ちゃんが隣に座っていっしょに話してくれているおかげか、俺の緊張もだいぶ解けてきていた。
しかし、部屋の時計がちょうど午後三時を報せたときだった。
「杏、お茶のおかわり淹れてくれるかな。棚の奥にね、こないだお姉ちゃんが送ってくれた美味しいコーヒーがあるから」
「え、そうなの? それなら最初から言ってよ」
「今思い出したんだよ」
ちょっとプンプンしながら杏ちゃんが席を立ち、俺はお父さんと二人きりになってしまった(キッチンは少し離れた場所にあって壁を隔てているわけではないので、二人きりと言うのは語弊があるが)。
再来する緊張感をなんとか誤魔化すように、ローテーブルのクッキーの皿へ手を伸ばす。
「崎くん」
伸ばしかけた手が中途半端にぎくりと固まる。
お父さんがこちらを見据えている。今までよりも改まった顔つきに、俺は慌てて手を引っ込め、膝の上に置いた。
「はい」
「少し変なことを訊くけど……」
「は、はい」
「福寿児童館って、知ってるかな」
福寿児童館。
その名前には覚えがあった。
「はい。僕の家の近所の、三番坂を下りたところにある……」
忘れるわけはない。福寿児童館は、杏ちゃんと出会った思い出の場所である。
広い庭は日当たりがよく、漫画も図鑑もたくさんあって、心地よい場所だった。敷地内を囲むようにしてある庭の花壇は、常に花が咲き乱れていてきれいだった。
児童館は今も変わらず健在なはずだ。近所の小学生たちが「児童館いこうぜー」とか叫びながらチャリで激走しているのをよく見かける。
俺は、象のじょうろで花壇の花に水をまいていた、痩せっぽちの小さな背中を思い出していた。
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