その日の夕方、開店時間からまもなく、バーの扉が開いた。
いらっしゃいませ、と俺が迎えると、彼はうれしそうに笑った。
「唯太くん、久しぶり」
大きくなったね〜と、まるで親戚のお兄さんのように彼は言う。まあ、あながちそんなような存在かもしれない。
慶介さんの姿はいつも変わらない。はじめて会った日から五年経っても、若いし、慧太と違った柔和な雰囲気はそのままだ。
五年の間に、俺は慶介さんとメールや電話で幾度となくやりとりをした。初対面のときは、彼の言動が心底つかめなくてなんかものすごい疲れた記憶があるけど、やりとりするうちに、意外と自然に打ち解けていった。こうして、自分の職場に彼を誘えるくらいには。
慶介さんは、迷うことなくカウンター席に座り、俺にビールを注文した。
「慧太、今日は休みですよ」
グラスビールを慶介さんの前に置いて、一応言う。
外見では似ているところのほうが多いけど、グラスを持った線の細い手は、どちらかというと男っぽい手をしている慧太とは似ていない。
「うん、知ってる」
にっこりと笑うその表情、デジャブだ。
そして、だろうなあ、と思った。
「今日は唯太くんと話しにきたんだもん、俺。ていうかこないだの写真ありがとね。癒された」
「ははは。それはどうも」
「唯太くんも飲もうよ。俺だけ酔ってもつまんないな〜」
「一応仕事中なんで……。それに俺うわばみなんで、飲んでも飲まなくてもたいして変わらないですから」
「あはは、かっこいい〜」
それから、俺は慶介さんの今の仕事の話を少し聞いた。とにかく多忙であること。忙しないけどそれなりに楽しい東京での暮らし。
でも、慶介さんがここでほんとうに話したいこととは違うんだろうなと思ったので、早々に話題を変えることにする。
「こないだカラオケ行ったときの動画ありますけど、見ます?」
「あっ、見して見して〜」
スラックスのポケットに入れていたスマホを少し操作して、慶介さんへ手渡した。
「はははっ!椎名林檎?慧太よくこれ歌ったね〜」
「酔ってるときにリクエストしたらけっこうガチで歌ってくれました」
「だよね、完全にシラフのテンションじゃないもんね。やだ〜、ちょーかわいいんですけど〜」
ひとしきり慧太のカラオケ動画を堪能した慶介さんは、しあわせそうにため息交じりに、だけど案外あっさりとスマホを俺に返してきた。
「まだありますよ、慧太の動画特集」
「うん、あとで送っておいて」
「今見ないんですか?」
「言ったじゃん。俺は今日は唯太くんと話しにきたんだって」
慶介さんがグラスを置いた。
穏やかな微笑が俺を見上げてくる。慧太とよく似た薄茶色の目は、慧太とは違った見据え方をする。
やっぱりこの人には、いろいろと見透かされてる気がする。嫌な気分ではないんだけど、相変わらず不思議だ。
「ねえ、唯太くん。バーテンの仕事、本格的にやる気ない?」
「……え?」
「今日は店長はまだ出勤してないでしょ?だから今こういう話してもいいよね?俺の知り合いにプロのバーテンさんがいるんだけど、その人が今見習いほしがってて……」
目の前の人は、いつか俺の頭をなでたときのように、呆然とする俺をよそにそれはすらすらと話し出すのだった。
俺はというと、やっぱりいつかのように、まるで催眠術にでもかけられているような気分だった。
「そんなわけだから、唯太くん、今度東京来ない?」
やっぱり、この人の言動は予想すらできない。
15.9.15