ときどき、夢をみる。
 それは、毎月の生理に似ている。やってくるとハッとして、自分から流れた出た血液に、なんだか不安になるような。そのあと気分がすぐれなくなるのも似ている。

 “誰もいない部屋で、誰かを待ってる。
待っている間に、あたしはどんどん取り残されて、一人ぼっちになる夢。”


 シンとした真夜中に目が覚めた。
 ベッドには、あたししかいない。

「……」

 おかしいな。今夜はけーたのバイトが休みだったから、二人で寝ていたはず。ベッドぐらいしかない狭い部屋の中を、それでも見回す。だけどやっぱり、けーたはいない。
 音の輪郭がわかるくらい心臓がドキドキしていた。焼き付いたあの夢の風景が、あたしを不安にさせる。
 どうしよう、あたし、おいていかれたのかな。そうかな。けーた、けーた。いやだよ、おいてかないで。
 たまらなくなって、とうとう泣いてしまいそうになっていたそのとき、部屋のドアがカチャリと開いた。

「海未?」

 スエット姿のけーたが、ベッドの上でぺたんと座るあたしを見て、目をまるくする。

「なに、どした」
「……けーた、いないから……」
「え?ああ、トイレ。もしかして起こした?」
「……」

 ああ、よかった。けーたがいる。
 呆然とけーたを見つめながら、その存在を確かめるように少しずつ鼓動は落ち着いていく。
 いつまでも黙ったままのあたしに、けーたが何か察したような、むずかしい顔をして訊く。

「やな夢みた?」

 うつむいて、小さく頷く。
 けーたがベッドに上がってきて、あたしの体を抱き寄せた。頭の後ろを、なだめるようにぽんぽんとやさしく叩いてくれる。
 前に、けーたに夢のことを話した。季節はずれの雪がふった朝。あのときも、けーたはこんなふうに抱きしめてくれた。ふたりぼっちみたいに。けーたの腕の中にいると、こころを縛る不安な糸がほどけるように楽になってゆく。
 けーたのからだが少し、離れた。
 静かなまなざしであたしを見つめて、海未、と呼んだ。

「俺も、いなくなると思ってる?」
「……」

 あたしは、無意識に過去を引きずっている。
 けーたの言うとおり、お母さんがいなくなったみたいに、けーたも、あたしの前から消えてしまうんじゃないかと、夢のあとはそんな想像をどうしてもしてしまう。
 何も言えないで、あたしはけーたのスエットを掴んだ。いかないで、どこにも。それだけの言葉も言えないのに、あたしはけーたを離せない。

「けーた、ごめんね」
「……何で?」

 わからない。でも、今こうやってあたしがけーたに甘えていることは、けーたに申し訳ないような気がした。
 ほっとした気持ちの裏側から、また不安な気持ちが顔を出す。あたし、いつまでもこんなんじゃ、けーたいつか嫌になるんじゃないかな。今が幸せな分だけ、もしなくしてしまったときがこわいのだ。「もし」なんて、考えてもキリがないことは、わかっているけれど。

「海未」

 頬に、掌がふれた。そのままやさしくつつまれて、あたしは自然と顔を上げた。

「ケッコンする?」

 けーたが言った。
 あたしはぽかんとするけれど、けーたは、至ってまじめな顔をしている。

「ケッコン?」
「うん」
「……けーたと?」
「……そうだよ」

 呆れたような返事を聞いて、ケッコンは、結婚なのだと、あたしはようやく理解した。
 けーたと、結婚。結婚するということは、家族になるということ。
 言葉にすることは簡単だけど、正直よくわからない。実感がわかないというか。まじまじとけーたを見つめるばかりのあたし。やがて、けーたは気まずそうにあたしから目を逸らした。

「……まあ、今すぐって話じゃないから」

 と、かすれた声で言って、あたしの髪をくしゃっとした。あたしはよくわからないまま、うんと頷いた。
 結婚、結婚か……。しみじみ言葉を繰り返しながら、結婚なんて、あたしにはなんだかとても縁遠いことのように思えた。でも、今すぐじゃないとけーたは言ったけど、じゃあ「いつかは」とゆうこと?
 あたし、結婚してもいいのかな。けーたは、あたしでいいのかな。ちらりと横目にけーたを見上げる。今更、ちょっとドキドキしてきた。これはさっきとは違う種類のドキドキだ。
 けーたの横顔を見つめながら、想像してみる。教会で、白いスーツを着たけーたの姿。に、似合わん。

「なに笑ってんだよ」
「なんでもないよ、ふふふ」
「……朝飯食お」

 けーたがつぶやき、逃げるようにベッドから下りていった。
 朝飯。けーたの言葉で夢からさめたみたいに、部屋の中が明るくなっていることに気がつく。いつのまにか、夜が明けはじめていた。
 朝飯には、まだずいぶん早い気がするけれど。


 不安でたまらなくなっても、朝はくる。
 けーたが作ってくれた温かいカフェオレを飲んだあと、あたしはベランダに出て、朝焼けを眺めていた。少しずつ、世界が染まる。

「海未」

 風邪ひくぞ、とベランダにやって来たけーたは、片手に湯気の立つマグカップ、もう片方には、トーストを持っていた。早朝の澄んだにおいに、バターの香ばしいにおいが混ざる。とたんに空腹感がやってくる。なんて単純なからだ。
 けーたはマグに口をつけて、それからトーストをあたしに差し出した。朝飯だ。

「けーた、朝だね」
「見りゃわかる」
「けーたは情緒がないね」
「そんなんなくても生きてけるし」

 悪態のつもりで言ったのだろう、けーたのその言葉が、あたしの胸にいつまでも残った。
 そうか。そうだね。
 そうだね、生きてゆけるね。
 こころなしか黒っぽいトーストのはしっこをかじる。

「朝焼けの味がする」

 あたしが言うと、けーたは笑った。
 けーたが笑うとうれしい。それだけで、あたし、生きてゆける。




14.11.12



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