side:Keita


「ねえねえ、お兄さん!」
「一人ですかあ?」
「……一人じゃないです」

 一人でこんな最盛期の海水浴場なんか来るか。ついでに明らかに買い出し袋提げてるんだから察してほしい。

 買い出しから戻る途中、女二人に行く手を阻まれた。俺とそう年の変わらなそうな、どちらも海水浴が目的でここに来たのか疑問なくらいには化粧が濃い。つけまつげやべえ。

「ツレいるし、急いでるんで」
「えー、やばい!お兄さんめっちゃイケメンですね!」
「地元の人?あたしたち名古屋から来てるんですよ〜!」

 いや聞いてないし、こっちの話聞けよ。
 とりあえずスルーして歩き出すが、根気よく、というよりそもそも聞く耳を持っていないのか、待って待ってと言いながら俺のあとをついてくる。

「いっしょに遊びましょうよ〜。お友達いても全然構わないし」
「ね!むしろお友達紹介してください!」
「………」

 カノジョと来てるから。
 そう言おうとしたところで、突然強い力で腕を引かれた。驚いて引かれたほうに視線を下げると、ギラギラしたネコ科の目が突き刺す勢いで俺を見ていた。そのあまりの強さに思わず息を飲む。

「うみ……」
「けーた、なにしてるの」
「いや、あの、おまえの焼きそばとか買ってきたんだけど……」
「寄り道しないでください」

 カッと瞳孔の開いた目で言われて、寄り道をした覚えはないのに閉口してしまう。
 騒がしかった女二人も、突然現れた海未のただならぬ様子に驚いているのか、ポカンとその場に立ち尽くしていた。


「海未」
「もぐもぐ」
「おい、海未って」
「焼きそばおいしい。焼きそばもぐもぐ」

 パラソルの下で、海未がひたすら焼きそばを食べている。俺はその隣に座って呼びかけるが、どういうわけかことごとくシカトされる。もぐもぐ言いながら横顔からでもわかるくらいに瞳孔開きっぱなしなのが怖い。
 ふと、秋吉が笑いを堪えているような表情で俺を見ていることに気づいて、反射的に手が出た。スパンッといい音が大きめの波の音と重なって聞こえた。

「ッたいな!この不良息子!そんなんだから海未ちゃんに愛想つかされんのよ!ねー、唯太お父さん!」
「うんそうだね」
「つかされてねーし、誰が不良息子だよ」
「いやつかされてんじゃん、現在進行系で」
「……」

 押し黙ると、さざ波の音や若い男女のはしゃぎ声が俺の背景で強調されて、無性に虚しくなった。
 秋吉が、まるでこっちの気持ちを見透かしたように哀れみの色をおびた目で微笑する。今年一番の腹立つ顔だというのに、どうしてか手も足も出ない。唯太は唯太で、缶ビールを一口飲んで「慧太これすごいぬるい」とか知らねえよばか。

 ぬるいジンジャーエールに口をつけて、横目では海未の様子を窺う。いつのまにか焼きそばをたいらげ、頑なな体育座りの姿勢で真っすぐ海を見ていた。
 むき出しの白い肩。その曲線をなぞるように、透明な汗の滴が肌の上を伝っていく。その流れを追っていたつもりが、視線はいつのまにか水着に包まれた胸にたどり着いていた。
 ため息が出そうになる。昨日あれだけパーカー持ってこいって言ったのに。あー、さわりたい。今日まだ全然海未にさわってない事実にびっくりする。
 この後に及んで俺がそういうこと思ってるって知ったら、怒るかな。もう怒ってるけど。いや、そもそも俺怒られるようなことした?声かけられただけだし、完全に不可抗力だろ。

 頭の中でごちゃごちゃと考えながら何一つだって口にできない。いつからこんなに海未の感情一つで何もかも左右されるようになったんだ。
 今日ここに来ることが決まってからずっと落ち着かなかった姿が脳裏に浮かんだ。
 「これでいっしょに泳ごうね」なんてやたらキラキラした目で言うから、どう見ても成人用じゃない猫のキャラクターのイラストがプリントされた浮き輪を買わされても、文句の一つも言えなかった。
 情けないとは思うけど、でも、だって、仕方ないだろ。

 傍らのふくらんだ浮き輪を手にとった。立ち上がった俺を、海未がびっくりしたような目で見上げた。やっと目が合った安堵感に浸る間もなく、すかさず海未に言う。

「行こ」
「……」
「これで泳ぎに来たんだろ」

 ほら、と手を掴むと、戸惑うような動きで、海未が立ち上がった。

「秋吉、これ預かっといて」

 サングラスを放り投げる。秋吉がそれをキャッチしたのを横目に見たら、 掴んだ手を繋ぎ直して、海の方へと歩き出す。
 今までずっと日射しを遮っていたサングラスを外したら、当たり前だけど視界が急に眩しくなってくしゃみが出た。

 後ろから聞こえた「ごゆっくり〜」と「がんばれ」には、腹立つから絶対に返さない。



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