37度8分。
 視界にうつるデジタル表示がぼんやりゆれる。体温計をしばらくぼーっと見つめた後、思い出したようにスイッチを切った。それから、ため息。
 …はかるんじゃなかった。


「けーた」

 部屋のドアが開き、海未が顔を出した。
寝ている俺をそっと見下ろす。

「体温はかった?」
「……7度8分」
「顔色おかしいと思ったら、やっぱり熱あったね。今日は1日安静だよ」
「……海未」
「なに?」
「スマホとって、俺の」
「ユーチューブ見るのはだめだよ」
「ちげえよばか…。唯太に電話するから。今日のバイトかわってもらう」
「あたしがかけたげるよ」
「いいから、おまえあっちでテレビでも見てろ」

 上半身を無理矢理起こし、結局自分でスマホをとった。画面を操作する。最中、下から、海未が俺をまじまじと見つめる視線があった。
 だけどそれもしばらくするとなくなった。すくっと立ち上がった海未。ペタペタと裸足の足音をさせて、寝室を出ていった。
 パタン。
 閉まったドアになんとなく目をやりながら、スマホを耳にあてた。


 熱なんて、何年ぶりだろう。
 べつに健康優良体というわけでもないけど、こんなふうに体調を崩すことなんて、もうずっとなかったような気がする。少なくとも実家を出てからはなかった。
 こんなとき、どうするんだっけ。
 前に海未が熱を出したときは、俺が(いちおう)看病をしたはずなのに。いざ自分が発熱したら頭が回らない。
 鈍く痛む頭で、薬、と考えるが、それにはまずなんか食わないと。つーか、さむいし、体きついし、動きたくない…。

「けーた」

 耳元で、呼ばれた声に目をあけた。
 だいじょうぶ?と、いつのまに戻ってきたのか、ベッドの縁に手を置いて、海未が言う。
 おずおずと様子をうかがうような、そんな姿がほんとうの飼い猫みたいだった。そう言ったら、怒るかな。

「……うつるから、あっちいってろって」

 髪をくしゃりとしてやりながら言うが、海未はうんと頷くだけだった。

「おかゆ、つくったよ」

 そう言うと、海未はやわらかな湯気のたつ小さな器を持ち上げてみせた。中にはたまごの入ったおかゆ。

「あとね、りんごもむいたよ」
「……」
「けーた、起きれる?」
「…おきれる」

 ゆっくりと体を起こすと、少し目眩がした。
 海未はスプーンでおかゆをすくって、ふうふうと息を吹きかける。そして冷ましたそれを、俺に向けた。

「はい」
「……」

 スプーンを数秒見つめる。
 何か言おうかと思ったが、だけど、…ああもうめんどくさい。いろいろ諦めて、スプーンを口に入れた。
 おいしい?と聞かれ、おなざりに頷けば、海未は心なしか嬉しそうにする。結局、おかゆを全部食べさせられた。フォークに刺さったりんごを向けられたときは、今さら我に返ったように、自分で食える、とフォークをとった。
 解熱剤を飲み、横になる。海未が俺の前髪をそっと退けて、丁寧にタオルで汗を拭き、冷却シートを貼った。

「…海未」
「うん」
「もう、大丈夫だから」
「うん」

 うんって。
 聞き分け良さげに頷きながら、海未は俺のいうことをきかない。俺が寝ているベッドの傍らで、体育座りになって、そばにいる。
 俺は、もう何か言うのもめんどうになって、力を抜くように細く息を吐いて、また目を閉じた。
 薄れていく意識のなかで、海未の少しずれたようなハミングが聴こえていた。


 次に目が覚めたとき、部屋はもう暗くなっていて、つけた覚えのないベッドサイドの間接照明だけがついていた。
 横を向く。オレンジ色の照明で雑誌を読む海未がいた。

「…何時?今」

 海未がこっちを向く。雑誌を閉じて、夜の8時、と答える。
 小さい手が俺の頬をぺたりとさわった。

「昼間より、熱、さがったね」

 よかった、と安堵したように笑う。

「なんか食べる?」
「…や、いい」
「あ、そうだ。汗かいたでしょ。蒸しタオルでふいたげるからね。そしたら着替えようね」
「……いいよ、シャワー浴びてくるから」
「だめだよ明日にしなさい」

 お母さんかよ。
 しかし勢いに気圧されているうちに上半身の服を脱がされ、蒸しタオルで体を拭かれ、新しい服に着替えさせられた。なんでそんなテキパキしてるのか謎。

「なんかしてほしいことある?」

 健気な目でそんなことを訊いてくる海未に、つい、まあいろいろと考えてしまったけど、とりあえずそのどれも口にはしないことにして、誤魔化すように髪を撫でた。
 海未がくすぐったそうにきゅっと目をつむる。キスしたい、と思ったけど、ああ、俺今熱あるんだった。

「はあ」
「なんでため息吐くの?」
「…じれったいから」
「?」

 海未がまんまるの目をして小首を傾げる。
 きょとんとした顔を見ていると、なんか、俺だけ悶々としているのに微妙に腹が立ってきた。なので、デコピン。

「いたい!なんでデコピンするの!?」
「……おまえ明日になったら覚えとけよ」
「!?なんなの!?せっかくいろいろしてあげたのに!けーたのばかやろう!!」
「うるせーよばか」

あーもう、早く治そう。



14.4.22



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