「あけましておめでとう、けーた」
「……オメデトウ」

 おはようの代わりに、あけましておめでとう、と言った。
 元日である。



 冬の青空がまぶしい。
 時々、冷たい風にのせて、おいしそうなにおいがやってくる。

「あー、さむ……」
「ソースのにおいがする……これはきっとたこ焼き」
「帰って寝たい」
「あっ、甘酒。じゅるり」
「……後でな」

 けーたと初詣に来た。
 元日の神社はまるでお祭りのよう。甘酒のいいにおいに、心がゆれる。
 屋台がたくさん並んでいて、街中の人たちがこの場所にひしめき合っている。それでも、熱気に包まれた夏のそれに比べたら、どこか厳かで、穏やかに感じる。
 けーたと二人で、本殿へ続く行列の一つになっていた。少しずつ、列が進む。もうあたしたちは三十分ほど並んでいた。やっと先頭が見えてきたところだ。
 けーたはずっと黒いダウンコートのポケットに手を入れて、猫背気味になっている。不機嫌そうな横顔で、さむいさむいと繰り返す。
 初詣に行こうよ、と今朝あたしが言ったときも、けーたはあんまり気乗りしないふうだった。罰当たりだね。

「けーた」
「なに」
「……なんでもない」
「なんだよ」

 今朝の風景を思い出す。
 けーたはどうやら実家に電話していたみたいだった。確かめたわけじゃない。あたしはそのときソファに座ってテレビを見ていた。画面に映る駅伝の様子を眺めながら、寝室から聞こえてくる声に少しだけ、意識を向けていた。
 元気、とか、大丈夫、という会話の断片を聞いた。静かで穏やかなけーたの声は、なんだかとても、大人みたいだった。

「けーた、たまには、帰ったほうがいいよ」

 けーたを見ることも、うつむくこともしないで、ただ前を向いてあたしは言った。

「前におにいさんに言われたからじゃないよ。たまには、顔を見て「元気だよ」って言ったほうが、いいと思うから」
「……」
「あたし、ちゃんと留守番してるよ。でもけーたがいないうちに、冷蔵庫のけーたのプリン食べちゃうけどね。ふふふ」
「海未」

 ハッとする。ふいに、意識の中にけーたの声がふってきたのだ。
 あれ、と思い、顏を上げると、目が眩むほどの青空を背にして、けーたがあたしを見ていた。

「海未、前」

 ポンと手のひらで軽く背中を押される。
 言われたとおり前を向くと、いつのまにかお参りの順番がすぐそこまできていた。

「賽銭いくら入れんの」
「五円入れる」
「あー、ご縁?」
「うん。けーたは?」
「べつに、テキトウ」
「罰当たりだね」
「額より気持ちだから」
「テキトウってゆったじゃん」

 お賽銭を入れて、けーたと並んで手を合わせる。なんだかシュール。
 けーたは、何を願うのかな。
 閉じていた目を薄く開けて、隣を、そっと見上げた。大きな手を合わせて、静かに目を閉じた横顔があった。知っているのに、知らない横顔。それでまた思い出す、今朝の風景。電話の声を。
 けーた、と心の中で呼んだ。
 前に向き直って、あたしは目を閉じる。手のひらを合わせる。

 けーたと、いられますように。



 湯気がやわらかく空へのぼっていく。

「うまい?」
「うん。あったまるよ」
「なんかタンスの引き出しの味しねえ?これ」
「しないし」
「するし」

 けーたの実家のタンスの引き出しは甘酒の味がするらしい。
 そんなよくわからない感想をこぼしたわりに、決してまずいとは言わない。一口飲んで、紙コップから離れた口がやわらかな息を吐き出す。
 あたしたちは猫舌なので、熱い甘酒をゆっくりとしか飲めない。ゆっくりと、一口ずつ。
 境内の長椅子に腰を下ろして、しばらくお互い無言で甘酒を飲んでいた。
 ふと、隣から独り言のように、懐かしい味がする、と聞こえた。

「……けーた、おにいさん元気?」
「元気だよ」
「そっか」
「うん」
「けーたって、何人家族なの?」
「四人」
「けーたと、おにいさんと、お父さんとお母さん?」
「そう」
「けーたのお母さんって、けーたに似てる?」
「……わかんねえけど、母親からは俺は父親似だって言われる」
「そうなの」
「そう。母親似なのは兄貴だから」
「お母さん、にこにこしてるの?そうなの?」
「にこにこはしてねえけど……なんか、雰囲気。よくしゃべるとことか」

 家族のことを思い出すように話すけーた。それを隣で聞くあたし。少し前のあたしたちだったら、こんな話はできなかった。それでもあたしは、未だに変化をこわいと思う。きっとこれからもそうなんだろう。今朝の電話の声を聞いたときのように、些細なことで不安になるのだ。

「なんか、さっきから他人事みたいだけど」

 飲み終えた甘酒の紙コップをクズかごに放って、けーたが言う。

「帰るときは、その時はおまえも一緒だからな」

 普段と変わらない声で言われて、あたしはなんとなく首をかしげていた。

「……そうなの?」
「そうだよ」

 アホ猫、と髪をくしゃっとされる。
 あたし猫じゃないし。そう言おうかと思ったけど、なんだか言えなかった。
 空気はこんなに冷たいのに、頬がほてったように熱いことに気づく。甘酒のせいかな。
 けーたがさりげない仕草であたしの手をとった。帰るか、と言うので、頷く。

「けーた、手あったかいね」
「甘酒飲んだからだろ」

 けーたが素っ気なく言う。
 お互いの指が絡むのを尻目に、あたしたちは歩き出す。

 些細なことで不安になる。あたしの心はちっぽけなものだ。だけど、手を繋いでいられる。隣にいる。声も、においも、温度も、あたしは忘れなくていい。
 きっと、だいじょうぶだ。
 そう思えるあたしは、少し前のあたしよりは、変われたのかな。そうかな。

「今年もよろしくね、けーた」
「……よろしく」

 また一年、いっしょにいる。



Happy new year !
14.1.3



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