173、反乱のうねり


「クハハハハハハ……ハッハッハッハ」

作戦の全貌をまるで歌でも歌うかのように鷹揚と告げたクロコダイルは、シーンと張り詰めた空気を愉快げな笑い声で揺らし続ける。すべてを知ったとき、ビビは激しく瞠目し、何度も首を振って悪夢を飛ばそうと試みていたが、身体を揺さぶるような笑い声にすっと現実に戻されてしまった。手の自由を奪われたまま、顔を持ち上げて鋭い瞳でクロコダイルを斬りつける。だが、奴には何一つ与えることはできなくて、くっと血の滲むほど唇を噛み締めた。

「クハハハハハ……ああ、いい気分だ」
「……なんて卑劣な作戦…っ」
「信じられない……」

長い両腕を広げて、天を仰ぎうっとりしているクロコダイルのその姿は異常だ。檻のなか、しっかりその作戦を聞いていたクルーも眉間に皺を寄せて、大男を睨め付けている。アリエラとナミの怒りの声にまじり、ルフィの怒りを噛み締める声が小さく響いた。

「──どうだ、気に入ったかね? 君が途中まで参加していた作戦が今花開いた。耳を澄ませばアラバスタの唸りが聞こえてきそうだ」
「──……、」

コツコツ、革靴を鳴らしてクロコダイルはビビの方へと近づいていく。彼女の弱みを、奴は知っている。ふっと口元を緩めて、葉巻を燻らせる。

「この反乱のなか、みんなこう思ってる。アラバスタを守るんだ…。アラバスタを守るんだ。アラバスタを──」
「やめて──ッ!!」

ゆったりと言い聞かせるように、極めて優しい声色でこぼすクロコダイルのその言葉を遮るようにビビは悲鳴によく似た金切声を響かせた。ぐっと下を向き、固く閉じたまぶたを震わせて、水色の髪の毛を左右に揺らしている王女の姿にアリエラはじわりと瞳を濡らしていく。国を思えば思うほど血が流れてしまう、なんて。なんて残酷で卑劣な作戦なのだろう。ユートピアという名の理想郷が胸を強く強く抉り、ビビの、アラバスタの心を苦しめる。

「…っ、なんて酷いことを……ッ」
「クハハハハ。泣かせるじゃねェか。国を思う気持ちが、国を滅ぼすんだ」
「──ッ、」
「うおおおおォォオォオ!!!!」

また歌うように、冷たい部屋に満たしていくクロコダイルの笑い声を打ち消すほどの咆哮が檻の中で轟いた。ぴたりと笑みを止め、そちらに視線を向ける。ガンッ、と強い振動が部屋に響いた。

「る、ルフィくん?」
「あ、おいルフィ、」

憤怒を抑えきれなくなったルフィは今すぐにでも目の前にいるクロコダイルをぶっ飛ばそうと、檻の柵を掴み、力こぶを隆起させて歪ませようとしたのだが。これは海楼石でできた代物だ。すぐに力を奪われてしまったルフィは気の抜けた声をあげて、ふにゃりと溶け落ちていく。

「アイツはバカか……。おれの話聞いてなかったのか?」
「バカには違いねェな。だが、だからうちの船長やってんだ」

煙と共に呆れまじりにぼやくスモーカーに、ゾロは刀で肩をとん、と叩きながら返す。じろりとゾロに双眸を向けたスモーカーだったが、すぐにその“バカ”に視線を戻した。

「クロコダイルーーッ!! お前は必ずおれがぶっ飛ばす…!!!」

全身の力が完全に抜けてしまったルフィは、へろりと身体を崩し、声を震わせながら目の前にいる悪の化身に威嚇を飛ばすが、奴はそれをニヤリと笑って弾き返した。すぐに、意識を王女に向ける。

「思えば、ここへ漕ぎ着けるまでに数々の苦労をした。社員集めに始まり、“ダンスパウダー”製造に必要な銀を買うための資金集め…」
「……、」
「滅びかけた町を煽る破壊工作。社員を使った国王軍濫行の演技指導。じわじわと溜まりゆく国へのフラストレーション、崩れゆく王への信頼……。なぜ、ここまでしてこの国を手に入れたいか。わかるかね? ミス・ウェンズデー」
「腐った頭の中のことなんてわかるものか!」
「……本当に口の悪い王女だな」

ビビの答えに、フッと口元を緩めたクロコダイルは煽るように返した。皮肉はビビの鼓膜には届かない。彼女はクロコダイルを一瞥すると、手首をくくりつけられている椅子ごと床に倒して、背もたれからするりと拘束を取ると、そのまま這いつくばって出口の方へと進んでいく。
固く結ばれた手首のロープはとても千切れるものではない。ぐっと歯を食いしばり、力を込めて前身していくビビの姿を仲間は悲痛そうに表情を歪ませて。クロコダイルは訝しみを浮かべて、見つめている。

「……何をする気だ、ミス・ウェンズデー」
「止めるのよ! まだ間に合うッ、ここから東へまっすぐ、アルバーナに向かえば……、反乱軍よりも早くアルバーナへ回り込めれば……! まだ反乱軍を止められる可能性はある!!」
「ビビ……」
「あんたの思い通りになんか、絶対させるものか!!」

ビビの気高い声が強く強く部屋中に弾いた。クロコダイルの嘲笑が聞こえてくる。見苦しくたって構わない。一人でも多くの国民を救えるのなら形振りなんてかまっていられない。全身を使って、必死に這いずるビビの姿にぎゅうっとナミとアリエラは胸を痛めていると、クロコダイルの低い声が空気を切り裂いた。

「奇遇だな。おれ達もちょうどアルバーナへ向かってるところさ。てめェの親父に一つだけ質問をしにな」
「! 一体……これ以上父に何を……!」

はっと揺さぶられた言葉に、ビビは上半身を起こして奴を見る。見せた反応にクロコダイルは「親父と国民…。どっちが大事なんだ、ミス・ウェンズデー」と楽しそうに笑って、また彼女に追い討ちをかけるように胸ポケットからひとつの鍵を取り出した。

「一緒に来たけりゃ好きにすりゃいい」
「鍵! それは……」
「それとも、こいつらを助けるか?」
「この檻の鍵だな!? よこせこの野郎!!」

ルフィのけたたましい声が反響する。ちらり、と檻に目をやったクロコダイルはアリエラを一瞥するとまたゆるりと不敵に笑む。ゾッとするような冷徹に背筋が自然と伸びるのを感じた。けれど、怯むことなく睨み続けていると、クロコダイルは満足したようにため息を吐き、その鍵をビビの足元へとふわりと投げた。
あの鍵さえあれば。その想いがビビの力を強くする。動くたびに緩くなってきていた拘束を力尽くで外して、身を捩らせて、自由になった両手でそれをキャッチしようとするが、カラン、と音を立てて鍵が地面上で跳ね返った瞬間、仕掛け床が作動した。パカッと唐突に開かれた一マス分のタイル。ふわりと宙を浮いていた鍵は落下地点を見失い、そのまま床のしたへと落ちていく。

「あ!」
「穴が……っ!」

動きを止めて、はくっと息をこぼすビビを見下ろしながらクロコダイルは床を閉じるよう操作をする。

「奴らの殺し合いがはじまるまで時間があるとはいえ、ここからアルバーナへに急いでも間に合うかどうかだ。そのナリじゃァな」

クハハ、楽しそうな笑い声を響かせながら、クロコダイルはビビの希望を捨てない視界を塗りつぶすように黒いマントを翻す。

「反乱を止めたければ、一刻も早く向かうべきだミス・ウェンズデー。それとも、こいつらを助けるのか? 最も、肝心な鍵をうっかりおれがこの床の下に落としちまったがな。……バナナワニの、巣に」
「バナナワニ……」

ひかれるようにして、目を向けてみれば確かにビビの瞳にそれが映った。
カーテンの開かれた大きな窓にはいっぱいの水がちゃぷりと揺れている。6つほどある大窓は、どこも深い青のなかに泡が浮かび、巨大なワニが優雅に泳ぐ姿が見える。

「何だあれ! バナナからワニが生えてんぞ!?」
「何なの、このバカでかいワニは!」
「つーかここ……水の中の部屋だったのかよォ!」
「うそ、どうしよう、わたしたちこのままだとアラバスタを……」

最悪のシナリオが浮かんで、驚愕している仲間たちの真ん中でアリエラはぞっと顔色を青くする。けれど、この深刻さはいまいちルフィには伝わっていないようで、それよりもバナナワニに夢中なようだ。

「変なバナナだなぁ
「オイよく見ろルフィ! あれはワニからバナナが生えてるんだ」
「バカな会話してんじゃないわよ、あんた達!!」

こんな時にでも炸裂するウソップのツッコミにアリエラは感心しかけていると、下を見つめていたビビが「あ!」と短い悲鳴をあげた。

「どうしたのビビちゃん!」
「バナナワニが……」

のそりのそり、鈍い動きで水から上がってきたバナナワニはきらりと光る鍵をみて、それを餌だと勘違いしたのだろう。低く唸るような鳴き声を響かせながら、大きな口を開けてぱくりと鍵を飲み込んでしまったのだ。その鳴き声に、スモーカーは眉間にシワを寄せた。

「っ、バナナワニが鍵を食べちゃった……ッ!!」
「何ィィ!? 追いかけて吐かせろビビ!!」
「ムリよ私には!」

ついさっきまでおちゃらけていたルフィも流石に事態の深刻さが伝わったようでビビに大声をぶつけるが、彼女は青ざめた顔のまま反射的に首を振って否定を示した。

「バナナワニは海王類でも食物にする程獰猛なワニなのよ!? 近づけば一瞬で食べられちゃうわ!」
「ううっ危険なワニにビビちゃんを立ち向かわせるなんてそんな酷なことできないけど、でも鍵……、」
「うっかり、おれが落としちまったから。こいつは悪かった。奴ら、ここに落ちた物はなんでも餌だと思いやがる……。おまけにこれじゃどいつが鍵を飲み込んだのかわかりゃしねェな」

あわあわと慌てふためく檻の中の海賊を横目見て、クロコダイルはわざとらしい口調でそう言った。見え透いた嘘、嫌味にナミは腰に手を当てて「何てヤツ」とご立腹だ。彼女の隣でゾロも舌打ちを響かせ、鯉口を切る。

「クソっ。この檻さえ開きゃァ、あんな爬虫類おれが一瞬で──」
「バカだなぁゾロ。その檻の鍵が飲まれちまったから出られねェんだよ」
「っ、分かってるよ。そんなこたァ!」

呆れたように眉を垂らしたルフィにそんなことを言われて、ゾロはぐっと殴りたいのを我慢し、刀をしまった。

「さて……。じゃあおれ達は一足先に失礼するとしようか…」

フン、とクロコダイルは鼻を鳴らしてくるりとビビに背を向ける。コツ、とヒールの細い音が冷たく響いた。男の隣に並ぶミス・オールサンデーも不敵な笑みを浮かべて王女とそしてルフィとアリエラを一瞥し、先行くボスの背中を追う。

パチン、とクロコダイルが指を鳴らすとビビと直線している巨大な壁が重たい音を立てて開いていく。ゆっくり口を開く壁の向こう側は通路になっていた。この部屋は完全に水の中に沈んでいるようで、続く通路は水中トンネル。ゆらゆらと水を越して射し込む光が美しくそこを照らしているのが見て取れるに、地上まではそこまで深くはないだろうけど。能力者を抱える一味にとってまた強い懸念が生まれてしまった。

「ああ、尚。この部屋はこれから一時間かけて自動的に消滅する。おれがバロックワークス社社長として使ってきたこの秘密地下はもう不要の部屋。じき水が入り込み、ここはレインベースの湖に沈む……」

通路へと足を踏み出す直前。クロコダイルはピタリと足を止めてもう一度こちらを振り返った。各々の息をのむ音。ビビの、刺すような視線ににたりと口角を持ち上げ、続ける。

「罪なき100万人の国民か……、先のねェたった6人の小物海賊団か。救えて一つだ、ミス・ウェンズデー」
「…っ、」
「BETはお前の気持ちさ。ギャンブルは好きかね? クッハッハッハッハッハ」

鼓膜を突き刺す笑い声にギュウっと下唇を噛み締めて、ビビは俯く。その間にもバナナワニは水中下で不審な動きを見せていて、スモーカーは紫煙を燻らせながら双眸を細めた。

「一国の王女もこうなっちまうと非力なもんだな。この国には実にバカが多くて仕事がしやすかった。若い反乱軍や…ユバの穴掘りジジイ然りだ」
「何だと! カラカラのおっさんのことか!?」
「何だ、知ってるのか? もうとっくに枯れちまってるオアシスをもくもくと掘り続けるバカなジジイだ……。度重なる砂嵐にもめげずにせっせとな。ハッハッハ、笑っちまうだろ?」

ルフィのまぶたに浮かぶのは、月の登る深夜。一緒に穴を掘ったときの彼の健気でいて、嬉しそうな表情。
 ──水は出るさ。ユバオアシスはまだ生きてる。ユバはね、砂なんかには負けないよ。何度でも掘り返してみせる…ここは私が国王様から預かった大事な土地なんだ。
穏やかにトトは言って、折れそうなほどにほっそりとした、傷の目立つ腕で直向きに砂を掘り続けていた。翌朝、少量の水を掘り当てた彼は大事なそれを分けてくれた。
『正真正銘、ユバの水だよ』その笑顔の裏に隠された苦労をルフィは知っているから、厳しい砂漠の旅の中でも決して彼の水には口を付けずに、今もちゃぷりと胸にその樽を下げている。

ルフィの険しい表情と胸元の樽水筒にクロコダイルは察したのか。ああ、と嗤笑を浮かべた。

「聞くが、麦わらのルフィ。砂嵐ってのはそう上手く何回も町を襲えると思うか?」
「どういう、意味……?」

意味深に、告げるクロコダイルにビビはハッと顔を持ち上げて声を震わせた。
ダンスパウダーという人工的に雨を降らせる化学の代物は存在しているが、人工的に砂嵐を呼び起こすそれは何の利益も生まないために開発などされてない。だから、不可能なのだが。
この男なら──。砂を操れるこの男なら、それが可能なのだ。
ぐっと腹の奥が熱くなっていく。どろりとした赤黒い感情がゆったりと静かにビビの身体に満ちていく。

「お前がやったのか!?」
「なんて、なんて非道なことを……」

ルフィの激しい怒号とアリエラの息をのむ声がシーンとした中に落ちると、クロコダイルは各々のかき乱された表情に満足しながら、笑い声を上げてこつりと足音を響かせた。
どんどん遠のいていく真っ黒の背中と嗤い声。脳裏にはトトおじさんのやさしい声がしとりと漂う。
「ビビちゃん、私は国王様を信じているよ。あの人は決して、国を裏切るような人じゃない」
にっこりと笑って安堵させるようにビビの手をぎゅうっと握った、トトの手はひどく冷たく枯れていた。宮殿からダンスパウダーが見つかったというこの状況下においても、大事な一人息子が反乱軍として旗を掲げても。国王に対して一切の不信感を抱かず、心のそこからの信頼を見せて。痩せ細り、身体がボロボロになってでも。国を救うために彼はひとりでユバというオアシスで戦っていた。
その砂嵐が仕組まれたものだと知らずに。何度も何度も、水が湧き出るたびに潰されて。何度も何度も、掘り起こし。そうしてまた──。

「……殺してやるッ、……」

じわりと大きな目に涙が溜まっていく。強く噛み締めて血の浮かぶ唇から絞り出された声は強い怨嗟が滲んでいる。真っ黒に帯びたそれはビビの感情を支配して、座ったまま、小指に孔雀スラッシャーを装着し、遠くに行ってしまったクロコダイルの背中を目掛け、ぐっと腕を振りあげた。
クルーも目を見張り、ビビを見つめる。その後ろでスモーカーは苛ついた顔を見せている。

「おい、ビビ!」
「……っ」

ルフィの声が、ビビの鼓膜を揺さぶった。はっとして瞠目した彼女だが、クルクルと回転し風を孕んだ孔雀スラッシャーは止まることなく、キラリと光る刃が鋭い動きを見せた。
はく、と息が漏れて、喉が震える。熱いものが通ってとぷりと胸の中に落ちていく。

国か…仲間かですって? どうせ、何も返してくれる気はないんでしょ。私の命だってアルバーナに着く前には奪う気なんでしょ。分かってるんだ。お前を殺さなきゃ、何も変わらないってことくらい……!!
何も、知らない癖に……! この国の人達の歴史も、生き方も、何も知らないくせに──ッ!!

視界が涙で大きくにじむ。すっくと立ち上がったビビはその全てを憎き黒にぶつけ切り裂こうとしたが。

「……っ…──!」

あの男に、今この状況で全てのベットを賭けても見えるのはより絶望に血塗られたアラバスタの未来。そう描いても、この手で殺してやりたい、今すぐにこいつを消したい。という強い願いは、ぶわりとビビの総毛を撫でた。
けれど、どうしたって細腕では能力者には敵わない。くっと下唇を噛み締めて、思い切り腕を振り上げるが、その腕は力を失ったように空を切る。小指から抜け落ちた孔雀スラッシャーは、何の傷も与えられずに床の上に転がり落ちた。
無力な王女を嘲笑うよう、クロコダイルはその音を靴でかき消し、また一歩足を踏み出すのだった。


TO BE CONTINUED 原作172.3話-107.8話



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