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ピチチチチ、と鳥の鳴き声が聴こえる。目を開ければ真っ暗だった視界に光が差して、眩しさに目がくらんだ。

徐々に明るさにも慣れ、真っ白な光以外の情報が俺の目に入ってくる。目の前一杯に広がる青い空。寝転ぶ俺の頬を時折吹く風が優しく撫でていく。なんだか久しぶりに目を開いた気がする。


気持ちがいいなぁ。なんて、のどかな状況に暢気なことしか考えていなかった頭がだんだんと冴えてきて、どうして俺はこんな外で仰向けで寝っ転がってるんだ? とこの状況を疑問に思い始めたのは少し経った頃。

こうなった経緯を思い出そうとする俺の頭の中に、まるで遠い記憶のようにぼんやりと浮かんできたのは、土砂降りの中、傘をさす俺に向かって迫ってくるトラック。そして、仕事帰りにスーパーで買った半額弁当と缶チューハイがビニール袋からぶち撒けられて俺と一緒に舞う光景だった。



「…………っ!」


……ああ、轢かれたのか。あんなに衝撃的な事をよくもまあ忘れられていたな。衝撃で頭がやられた? いや、でも頭痛くないし。吹っ飛ばされた? いや、でも、やっぱり身体のどこも痛くない。


一度そうして思い出してみれば、ビーッと鳴り響くクラクションが今でもまだ聴こえるような気がしているのに、そんな事実はなかったかのように俺の身体は無傷で、空は穏やかなのだ。寝転んでいる地面だって白線の剥げかけたビチャビチャのコンクリートじゃない。そよそよと草花が風に揺れる、緑生い茂る草原のような場所だ。

首を左右に捻って周りを見ても、俺を轢いたトラックも、周りを歩いていた人々も、信号機やビル、何もかもがここにはない。どこに目をやって見ても、穏やかな景色しか広がっていなかった。



「……そうか、これが天国かぁ」



死んだんだ。多分。おそらくきっと。

天国というものがどんなものなのかは知らないけれど、トラックに轢かれた俺が寝かされていた、痛みも何もない、ただただ穏やかなこの世界が天国以外に何だと言うのだろう。天国でなかったとしても別に良い。今は死んでしまった事へのショックよりも、天国と地獄で言えば天国寄りの方へ来られた事への安堵の方が大きかった。

大して徳を積む事もしてこなかった、ただの成り行き無能新卒サラリーマンの俺がこんなに綺麗な所に来られるなんて。風と草木と小鳥のさえずりの全部が全部、心地良い。もう、潰されるように満員電車に乗って仕事に行く必要も、同期と比べられて怒られる事もないなんて。開放感が過ぎる。


周りを見渡すために一度起こした上半身を、俺はまた後ろに倒して寝転ぶ。大の字に腕を広げると、前ボタンの留めてあるスーツのジャケットが少し窮屈に感じられた。服装は死ぬ前に着ていたスーツのままだった。

まだ一度もクリーニングにも出していない濃紺のスーツ。童顔だとよく言われる、平均値目前に止まった程度の身長の俺には、どうにも着られている感があって好きじゃなかった。


爽やかな景色の中、スーツ姿ってのは少し浮いている気がする。どうせならもっと天国感のある、リラックスできる天然素材の衣装なんかに着替えていたかった。こういう時はどうしたら良いのだろう。自分のイメージ次第で変わったりするのだろうか。


「う〜ん…」


試しに念じてみる。


「リラックスできる服をください、神様…」


うん? 待てよ。願う対象は神様で良いのだろうか。

分からないけれど、生きてた時よりかは神様宛の願いも届きそうな距離にいる気がする。なんせ死者だ。この空の向こうくらいには神様が居たりするのだろうかと、俺は澄んだ空をじっと見つめ、両手を胸の上で組んでお願いのポーズをする。


そうだな、あとは、穏やかに過ごせると言っても何もないのは暇なので何か暇が潰せるものが欲しい。テレビ……、は電波が届かないかもしれないけど、そこは神様の力で何とかしてください。無理そうなら本でも可です。読書はあまり好みませんが、ないよりマシそうです。


「お願いします、おねがいします……」


ぎゅっと目を瞑って、姿も見えない神様に向かってウンウンと唸るように願う。あとは追々、必要になったらその都度頼むのでと心の中で付け足す。

注文なんてしてみるものの、果たしてどうやってそれらは俺の手元に現れるのだろうか。目を瞑っているから見えないが、身につけている服が変わった様子はなく、相変わらず首元はネクタイで締められている。もしかしてもう横に畳まれた状態で現れていたりして。目を開けて確認してみるか? 途切れさせないようにこのまま念を送り続けるか? と迷っているところで、遠くの方から何かがリズミカルに駆けてくるような音が耳に入ってきた。


馬だ。ぱからぱからと馬が駆ける足音だ。なるほど、デリバリー方式か。チャリでもバイクでもなく馬が届けてくれるだなんて天国はやっぱり違うなぁ。馬はきっと白いんだろうなぁ。なんせ天国だもの。


一面に広がるこの綺麗な原っぱを駆ける白馬を想像しながら、俺はその白馬が俺のもとまでちゃんと辿り着けるように目を閉じたまま念を送り続けることにした。恐らくは神様の使いである白馬が、俺を見失って迷わないように。

それ頼んだの俺です…、と念じる俺はきっと穏やかな表情をしていることだろう。生前Uberした時には、よくマップ上で自宅付近を迷ったようにウロウロするバイクを眺めてはハラハラしていたな、と遠い記憶のように思い出していた。



音が近付くにつれて、寝そべっている地面から振動が伝わってくるようになった。次第にはっきりと感じられるようになったそれを背中で受け止めていれば、見ずとも気配が感じられるくらいそばまで馬がやって来る。


『 おい、見ろ! やっぱり人だ…、人が倒れてるぞ! 』


『 待て! あまり不用意に近付くな、見慣れない格好だ。それにこの髪の色…、容姿も、この国の人間じゃないぞ 』


( ………馬が喋った!? )


何を言っているのかは分からなかった。ただ、ホニャホニャワニャワニャと確実に何か意味を持って発せられた声が、仰向けに寝転ぶ俺の上から聞こえてきた。俺は思わず驚いて飛び起きそうになったのをぐっと堪える。急に起きたらびっくりさせてしまうかもしれない。


(天国では馬だって喋れるのかぁ…)


何と言われたのかは分からないけれど、多分確認されたのだ。これはお前宛の服とテレビかと。だから俺は目を瞑ったまま、はい、それは俺宛の荷物で間違いありません…。と心の中だけで返事をする。


『 他国の者が一人でどうして、どうやってこんな所へ…。祈っているように見えるが一体何を…? 一向に目を開けないぞ。生きているのか? 』


『 息はありそうだが…生きていてもそうでなくても、経緯不明のよそ者をこのままにしておく訳にはいかないな。抵抗されないに越した事はない、大人しくしているうちに連れて帰って団長に報告しようか 』


もしかして二頭いるのか? さっきは驚きしかなくて気が付かなかったが、二つの声がする。服とテレビの二つを頼んだから二頭来たのだろうか。一つの品につき一頭のシステムだとして、先程から何か話し合っているような様子だが一体どうしたのだろう。話している内容が俺には理解できないため、下手に動く事もできずただ願う事しかできないでいる。


『 ……暴れるなよ 』


( 何ですか? すみません、よく分からないのですが大丈夫です、あまり姿は見られない方が良いんですよね。目は瞑っておくので横に置いて行ってください… )


天国の喋る白馬だなんて、なんて神秘的な存在だろう。本当に白馬なのかどうかは分からないが。意外と漢らしくて凛々しい声をされてるんですね。もしかして逆に真っ黒だったりして。見てみたいなぁ。

けれどこういうのは、人の目に触れたら儚く消え去ってしまう可能性がある。清き者の目にしか映らないとか。そういう設定になってたら困る。その姿を一目見てはみたかったが、ここは天国に来たばかりの新参者としてかたく目を瞑り動かないでいる事で、マナーはちゃんと守りますという意思を示して見せた。


そこら辺は社会人になったばかりの身として、マナー研修でも叩き込まれたばかりですから。任せてください!



『 念のため腕を縛ってから乗せるぞ 』


「ん………? んん……? え…? な、何でしょうか、なんで触って………っあれ、ひとの手…? え、人!? 」


『 ! 何処の国の言葉だ…? 通じるか分からないが、今からお前を城へ連行する。抵抗しない方が良い 』


「ま、待ってください、あの、なんて言ってるのか全然わからな………っ、ひぇ!」


剣!?




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