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「おそい。」


「お前なぁ…。これでも急いで来たわ。こっちはお前がいつ帰ってくんのか連絡待ってたっつうのに、やっと連絡が入ったかと思えば『もうすぐ駅に着く』って…。」


「だから別に迎えに来なくていいって言ったじゃん。」


わざわざ迎えにくると言う兄ちゃんを待って15分程。駅前のロータリーに停まった無難な色の車から出てきた兄ちゃんに、開口一番文句を言ったら頭を軽くはたかれた。


そんな、遥々空飛んで来たわけでもなければ、何年かぶりの再会ってわけでもないのに。ちょっとした夏休みの帰省のために、ちょっと長めに電車に乗っただけだ。駅からだって、バスに乗ればあっという間に家に着くっていうのに。


夏休みに入って数日のうちに帰る、とだけ伝えてはいたから、そろそろ帰るかと今朝になって荷物まとめて電車に乗り込んだんだけど。電車に揺られているうちにお腹が空いてきたから、帰ったら何か食べられるものあるかな、という確認のために連絡を入れたのがついさっき。今から車に乗るという兄ちゃんより当たり前におれの方が先に着いてしまって、駅前から出ているバスをもう二本見送ったところだった。


「飯にしたって母さんにも準備があるってわかんねぇのか。お前のために色々やってくれようとしてんだから。」


もうちょっと考えて動け、と叱られながら、心の中でやっぱりバスの方がよかったとぼやく。わかんなくないし。


「そんなんで寮でちゃんとやれてんのかぁ?色くんには家出んのまだ早かったんじゃねぇの。…ほら、そっち乗って。」


兄ちゃんはおれから奪った荷物を後部座席に投げ入れた後、不貞腐れて返事をしないおれに説教を垂れながら運転席に乗り込んだ。


「んな不貞腐れるなよ。そのブスな顔対向車から丸見えだぞ。」


「……じゃあ後ろいくし。」


「あーもういいから。出すからシートベルトしろ。」


言われた通りに助手席に乗り込んだら右隣がうざくて、じゃあ後部座席に乗るし、とドアに手をかけた。が、すかさずドアロックを掛けられて出させてもらえなかった。仕方なくシートベルトをぐいーんと引っ張ったおれを見て、フライング気味に車を発進させた兄ちゃん。締まっていないシートベルトにピピピピ、とアラームが鳴って、おれは慌ててシートベルトの金具をカチャリとバックルに押し込んだ。





「色、ちょっと火やって。」


「…………。」


なんでおれが。いつも自分でやってるくせに。


発進してすぐに赤信号に捕まった。ハンドルを押さえつつ片手で器用に煙草を取り出したかと思えば、火をつけろとおれの方に突き出してきた兄ちゃん。ここまで迎えに来る間にも吸っていたんだろう。車内に備え付けの灰皿は開けっ放しで、中には既に吸い殻がポツリとひとつ。ライターも席の間のポケットに入っている。反抗するとまた余計なこと言われそうだから口にはしないで、おれはしぶしぶそれを手に取って突き出された煙草の先端に火をつけてやった。


「色も吸いたかったら勝手に吸えよ。今のうちだぞ。」


「……いい、いらない」


短い出番を終えたライターを元の位置に戻し、兄ちゃんの方を見ないようにと目を逸らす。

狭い車内に立ち込める煙草臭さに、もはや懐かしさすら覚える。この空間は前から嫌いじゃなかった。兄ちゃんにドライブに連れて行かれた時なんかは、兄ちゃんの真似して同じペースで吸おうとして追い付けなくて。咳き込んでは笑われてた。

前は二人ですぐに灰皿をぱんぱんにしていたのが、今のおれは兄ちゃんが吸う煙草の副流煙だけで我慢するしかないなんて。少しかなしい。


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「ぅ……ぐるじい、」


食べ過ぎた…。

うぷ、と色々なものが込み上げてきそうになるのを堪えながら、おれはソファーに倒れこむ。アレもコレもと言われるがままに食べていたらもう腹がぱんぱんで、想像の5倍は豪勢だった夕飯に完全にやられた。もう動けない。


「おい、ちょっと詰めろ。」


「ンン゛、やめて…いま腹押したらころすから…」


ソファーの上に投げ出していた足を、あとから来た兄ちゃんにバシバシと雑に払い落とされて唸る。ちょっとの振動も苦しくて弱々しく蹴り返すけど、兄ちゃんは気に留めた様子もなく空いたスペースに無理やりケツをねじ込んでくる。


「まだ倒れるには早えよ色。父さんが買ってきたケーキもあんだから。」


「ぅ……今食べ物の話しないで…」


甘いケーキが頭に浮かんで、食べてもいないのに胃がずしりと重たくなった。甘い物は別腹とか言ってられないレベルで苦しい。


「おお!色、ケーキ食べるか?」


兄ちゃんの口から出たケーキという単語が耳に入ってしまったらしい。食後、晩酌に切り替えた父さんがダイニングテーブルからおれたちの方を見る。


「あ…うん、もうちょっとしたら……」


本当は明日に回したいくらいだけど。おれが帰ってきたと聞いて仕事帰りにケーキを買ってきたと言う父さんに、それだとなんだか悪い気がしてそう言った。

食べたいは食べたいんだけど、せっかくのケーキも今食べてしまうとただの苦しみでしかない。もう少し時間を置いたら食べられそうだと伝えたつもりが、早まった父さんはキッチンに向かってしまった。


ああ…だめだ。全然聞いてない。


キッチンにいた母さんに、ケーキの準備を、と言う父さん。なら梨も剥こうか、なんていう母さんの声が聞こえてきておれはもう全てを諦めた。


「ほれ見ろ、お前が帰ってくるのに合わせて張り切って色々やってくれようとしてんだから。連絡くらいちゃんと入れてやれよ。」


「それはもうわかったってば……。」


てか、こんなにしてくれなくても…。去年の誕生日より豪勢じゃないか?


もうすぐ振る舞われてしまうであろうケーキと梨の豪華セットを迎え撃つべく、おれは目をつぶって心を無にしようと試みる。


…くるしくない、くるしくない。ケーキはおいしい、食べたい、たべたい…


心を無に、というかもはや暗示。

あ、意外といけそうかも、なんて単純過ぎるおれの身に効果が現れ始めた頃、横で鳴ったカチカチという音に気が逸れてしまう。


「……フゥ〜、」


「…………。」


目を開いて見れば煙を吐き出す兄ちゃんがいた。横たわったまま、下からじっと兄ちゃんを見つめる。

ケーキのことを考えると苦しい。今口に入れられるとしたら煙くらいだと思うくらいに満腹だ。というか満腹だからこそ、その煙を吸いたいという感覚がまだ自分の中にあることにその姿を見ていて気付く。


じっと見つめられていることに気が付いた兄ちゃんが、煙草を咥えながらおれに訊く。


「どうよ、高校生活は。彼女できた?」


「ハァ……?できるわけないじゃん…。」


「男子校だもんなあ、可哀想に。」


そしてどうでもよさそうに煙を吐いた。

別に欲しいわけじゃないけど。まあお前にはまだ無理だわな、なんて言われたのにはむかついたから、げしげしと足で攻撃する。


そんなことしているうちに父さんが戻ってきて、仕方ない…と決死の思いで起き上がろうとしたおれは、その手に何も持っていないことに気が付いて首を傾げた。


「いやぁ、そうそう、貰い物の紅茶もあったんだよ。お母さんが一緒に飲めるようにアイスティー淹れてくれるからな。今お湯沸かしてるからもう少し待ってなさい。」


「あ、ウン。全然イイヨ」


なんか、おれが待ちきれないみたいになってるけど。まあいいや、と起こしかけた身体を元に戻して横になる。




「……………。」

………………。


さっきから、テレビを見ればいいのになぜか恐らくおれの方を見ている父さんが視界の端に映っていた。あんまりやると怒られそうだから兄ちゃんを蹴るのをやめて大人しくしていると、少しして父さんに話しかけられる。


「友達はできたか?」


「え…あ、うん。できたと思う…。」


「おお、そうか。」


それは良かったな、と言う父さんがなんだか落ち着かないように見えて、おれはまた首を傾げる。

なんだろう、何か言いたそう。


「……なに?」


「まあ、なんだ……その……、色も年頃だからな。いい人もできたんじゃないか?」


「俺と同じ事訊くじゃん!」


ぶはは!と煙を吐き出しながら横で笑う兄ちゃん。てか訊き方キモくね?とそのまま笑い続けてる。

モジモジそわそわしているから何かと思えば。さっきから兄ちゃんといい父さんといい何だよ。いないってよ、とおれの代わりに答えた兄ちゃんに、そうか、と今度はほっとした様子。何なの?


「やめなさいよお父さん。色だってまだ高校生になったばっかりなんだから。」


そんなのまだ早いわよねぇ?と、準備ができたのか取り皿やら何やら色々持ってキッチンから来た母さんも加勢する。テーブルの真ん中にドンと置かれたケーキのせいもあるけれど、なんかもう色んなものがずしりと胃に重たい。



「はーぁ、笑うわ。…まあ、色にとっては家を出たのは丁度良かったのかもな。」


ひとしきり笑った後、ぼそりと隣で兄ちゃんが言った。ひとりで納得するみたいに煙草の煙と一緒に吐き出されたそれは、おれに聞かせるために言ったのかはわからない。


「…まだ早いって、昼は言ってたじゃん。」


「あ?俺のは冗談だよ。」


どっちでも同じようなもんじゃんか。


つまんないよそれ、とひと蹴りしたら顔に向かって煙を吹きかけられた。目がしぱしぱしたけど、残念ながらおれには効かない。でも兄ちゃんを経由した煙とかふつうにやだ。

キモい、と暴れるおれに兄ちゃんは何度も同じことを繰り返してくるから、煙を吸わせるなって母さんにガチ目に怒られてた。


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