Agapanthus | ナノ



04


「あれ?ばみ君、氷雨は?」

紫君子蘭に足を踏み入れたオフィスカジュアルの女性は、バイトの少年に親しげに話しかける。
段々と暖かくなってきたからだろうか、それともその手に泡のついた皿を持っているからだろうか、少年の白いYシャツの袖は肘あたりまでまくられている。
黒いズボンと深い茶色の膝丈のギャルソンエプロンはこの喫茶店の制服として彼に与えられているものだった。
話しかけられた彼も一度洗い物をしている手を止めて、あまり表情の変わらないその顔を和らげる。
雰囲気もどことなく柔らかなものへと変え、普段、無口無愛想のバイトなどと言われている様子は一切見せない。

「買い出しに行ってくると…すぐ戻る、はずだ」
「なるほど。じゃあ、適当に座って待っててもいい?」
「ああ。…借りた本を返す」

ふと思い出したように、顔を上げながら、水ですすいだ両手を丁寧な動きで拭う。
ふわり、と少年にしては長いだろう髪を揺らしてバックヤードへ向かった。
1分もせずに戻ってきた彼は、手に紙袋を下げている。
飾り気のない紙袋は、きっと購入したものだろう、どこにもお店のロゴは見えなかった。

「いち兄からも…お勧めを借りてきた」

差し出された袋を覗き込む彼女に少年は告げた。
その表情には嬉しさが見て取れるほど緩められていて、彼女はそっか、と頷く。

「一期さんも一回会ってお話ししたいとは思うんだけど…」
「ああ…きっと話が弾む、いつか機会はあるさ」
「そうね」

社交辞令なのか、本当に期待しているのか、どちらともつかない声色で彼女は相槌を打つ。
ふ、とカレンダーに目をやった少年が気がついたように告げた。

「二週間後には、会えるんじゃないか?」
「二週間後…?」

何かあっただろうか、と頭に疑問符を浮かべた彼女がカレンダーに視線を向けた。
ちょうど二週間後は貸切のマーク、ついでにその一週間前は休業のマークが付いている。
滅多に休まないのに、休業なんて珍しいのね、とつい口にした彼女に少年は瞬いて、ああ、と頷く。

「どうやら、常連の一人にデートに誘われたらしい…同じ日に別の常連の結婚式があって…その次の週ここでパーティーがある」

ちらり、意味深にその瞳を彼女に向ける少年。
その視線を受け、さらに二週間後、この喫茶店で行われるパーティーに招待されている彼女はすぐに点と点を結びつけることができた。

「もしかして後輩ちゃんの旦那さんって、」
「よく、テーブル席に一人で座っている金髪の…御曹司」
「おんっ?!あの人も御曹司だったの?!」

彼女の頭には一人の青年が思い浮かぶ。
細身の黒のスキニーが気持ち悪くなることなく履きこなせるスタイルのいい、金髪の男。
長い後ろ髪をひとつに縛っていて、左目を覆い隠すような前髪、上着は常にパーカーのようなダボっとしたものだった記憶がある。
非情にラフなものだったこともあり、御曹司には到底見えなかったのだが…。
その話題を区切るかのように軽く首を振った少年は、小さく口元に笑みを浮かべる。

「そのパーティーに、いち兄も手伝いに来てくれるから」
「えっ、あっ…え?!そうなの?」

情報が一気に詰め込まれて目を回している状態の彼女に、満足そうに頷いた少年はもう一度皿洗いを再会させた。
疑問符を浮かべたままの彼女の耳に扉が開かれることで鳴る鐘が聞こえる。
カラン、と小さな音ではあるが、バッと思い切り振り返れば、買い物袋を下げた店主がビクッと肩を震わせた。


少年は家に帰ってきた兄を見て告げる。

「いち兄」
「ん?」

ネクタイを緩めながら、少年のほうへ向き直る彼の腕には小学校低学年の彼らの家族が抱き上げられている。
その兄弟たちが彼の元へ我先に、と駆け寄っていた。
それを見ながら、無表情のまま少年は口を開く。

「会えるのを、楽しみにしている…そうだ」
「…?!そ、それは、まさか彼女からの伝言ですかな?!」

目を見開いた兄にコクリとひとつ頷き、伝えることは全て伝えたと言いたげに踵を返しキッチンへ向かう少年。
腕にいた子供を床に降ろして、少年の後を慌てて追いかけるその背中に、彼の家族たちは視線を向ける。

「あれ絶対片想いだよねぇ…いち兄気付いてないけど」
「まあ、俺っちたちがどうこうできるもんでもねぇし…とりあえず見守っとくしかねぇだろ」

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