Agapanthus | ナノ



08


いたずらっ子のような笑みを浮かべる鶴に連れられて、日華は喫茶店から足を踏み出した。
こっちだ、と裏手にある駐車場に案内され、そこにあったのは深い緑の車と白の大きすぎないワゴン車。
だが、そのどちらでもない、ワゴン車の陰に隠れていた車高の低いスタイリッシュなそれの助手席側へと案内される。
ぴ、とキーのボタンを鶴が押せばその扉は上部に向かって開く。
日華にはその車に見覚えがあった、それは自身が乗っているというものではなく、パンフレットで見かけたとか、テレビで見たとか、そういう一種の自分とは隔絶された世界で、だ。

「ラン、ボル…ぎーに?」
「ん?ああ、嫌いか?」
「いえ…嫌いというか、それ以前の問題というか」

唖然とした表情の日華に鶴はどことなく不安そうに彼女を見つめる。
ピカピカに磨かれた車体には傷一つ見当たらない、が、誘導されるがまま助手席に座れば、その香りは新車のものではない。
しばらく使っているのだろうか、香るのはしつこくない甘さ?男性らしい甘さ?どう表現するべきか彼女には思いつかなかったが、不快なものではない。
どこか上品さを感じさせるそれは、この車の持ち主としてふさわしいものなのだろうと感じた。
いつの間にか隣に乗り込んでいた鶴は微動だにしない日華の前で軽く手を振り、反応がないとわかると、すまないな、と声をかけながら乗り出して手を伸ばす。
ふわり、車の香りに近いが、残ることなく消えていく甘さが日華の鼻腔をくすぐる。
嗅覚が働いたことで気がついたのかハッとした日華と、シートベルトを止めようとしていた鶴はなかなかの近距離で視線があった。
キスができそうな距離ではないが、普段話しているときにこれほどまで近づくことは滅多にない、という微妙な間隔。
視線があった瞬間に音でも立ったのではないかと思うほどに、肩を跳ねさせた鶴は、悪い、と視線を逸らしながら告げて、すぐに車を発進させる準備に取り掛かる。

「こちら、こそ…お手数をおかけしました」
「あ…いや、気にしないでくれ」

ハンドルを二三回握り直した鶴は正面を見たままそう告げた。
ちらり、と日華がその顔を確認すれば、色が白いせいだろうか、耳元が赤く染まっているように見える。

「鶴さんは…鶯さんと昔からの知り合いなんですか?」
「…ああ。家の都合というやつでな。君は、鶯とは随分前から知り合いだったのか?」
「鶯さんが大学生の頃からですね」
「となると、俺が氷雨と知り合ったあたりか?」

声にはどこか面白がるような響きを持っている。
どことなく子供らしさが見え隠れするこの鶴、それから、今頃まだ喫茶店にいるのだろう落ち着いた印象を与えるほどの超マイペースな鶯。
彼らの友情関係が日華には少しだけ面白く思えた。
二人とも鳥だし、と関係ないことを考えるが、ふと気がつく。

「そういえば、氷雨は皆さんのフルネームをご存知なんですか?」
「どうした?」
「いえ、あだ名を考えるのは彼女だということを考えたら…元を知らなくては作れないでしょう?」
「そういうことか…そうさなぁ」

少し考えるように首をかしげる鶴。
車の外はすっかり暗くなり始めており、空が綺麗なグラデーションを描いている。
そちらに視線を奪われながら、隣にいる青年が紡ぐ言葉に耳を傾けた。

「覚えているかは知らないが、全員名乗ってはいるんじゃないか?」
「なるほど。…あ、鶴さん、獅子さんの新築の場所ご存知なんですか?」
「…流石に知らないまま自信満々に車を走らせる程カッコ悪くはないつもりだな」
「あっ」

確かに、と思った瞬間、日華の顔が羞恥に染まる。
丁度赤信号で車を止めた鶴はちらりと横目で確認して、その熟れたリンゴのような顔に一度瞬いてから、あははっと声を上げて笑った。
恥ずかしそうな表情のまま鶴を睨めつけた日華にくつくつと喉を鳴らすような笑いを続けて、もう一度車は出発する。
それから数分もしないうちに到着したのは高級住宅街の一区画で、門のところに黒服の男が厳格な様子で立っていた。
ひらり、と手を上げて顔を窓の外にのぞかせた鶴を確認して、黒服の男はお待ちしておりましたと、少しだけ頬を緩め、門を開く。
そのまま駐車場に車を入れた鶴はエンジンを止める前にふと彼女に向かって笑いかけた。

「自己紹介がまだだったな。俺は五条伊鶴、座右の銘は人生にはスパイスを、だ」

すっと、その手の中にいつの間にやら白い一輪のバラがあり、それを勢いごと受け取った日華はパチリと瞬いて、喫茶店での時のように驚いた顔から笑顔へと変わる。

「私は蒼天日華です。白いバラをもらったのは初めてです」

どこかおかしな自己紹介を終え、二人は顔を見合わせて笑う。
十数分後に、よそ行きにめかし込んだ店主と鶯がやってきて白い車の窓をノックするまで、二人は車の中で会話を続けていた。

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