契約
とはいえ、彼らの目は私を捉えている。
じっと見つめてくる彼らにどうしたものかとため息を吐いた。
これは、逃げられないような気がしないでもない。
いっそのこと、化け物だと明らかにすればいいのか。
彼らの目の前で、左腕を捲り上げる。
先ほどの血があるが傷は既にない。
その腕に、自分の撃剣を添えて、一気に引き下ろす。
武将たちからは息を飲む声は聞こえなかったが、一瞬で警戒が強くなったのを感じた。
一拍おいてから、そのあたりを服で拭う。
既に斬った跡はなく、残っているのは散った血液だけ。
今度は息を飲む音が聞こえた。
「…化け物、だろう?」
返事を求めず、口元に笑みを浮かべる。
ついでに、左腕を動かし、ただ冷静に、視る。
「二喬だけでは、孫呉は降伏する。巫女姫が己を見させているからな」
「…つまり、それは、」
「赤壁で事を構えたいのなら、巫女姫に抗戦論を主張させろ。運良く、眉目麗しいのがたくさんいるのだから」
今度は軍師陣からの視線が強くなった。
肩をすくめて、視線を下げる。
「無論、信じなくていい。化け物の私に関わろうと思わなくなれば、それで十分だ」
「まさか。むしろ、私は貴女という人間が欲しいですよ」
口元を隠した軍師が笑う。
その男をじっと見据えた。
彼は静かで、冷静な目線を私に送ってくる。
なるほど、私に石を投げた村人とは違う、と言いたいらしい。
「私を使いこなす自信でもあるのか?」
「…使いこなす、とは人聞きの悪いことを、」
「軍師は、人を使う商売だろ。生かすも殺すも、策次第。適材適所を見極め、時に冷徹に判断を下す」
違うか?
最後に首を傾げれば、彼は目を細めた。
肯定も否定もしないが、それこそが答えなのだろう。
「じゃぁ、質問だ。君が私という“化け物”を欲しがる理由は?」
「殿の天下を実現する武力が欲しいからです。しかし、あなたを欲しい理由は、力だけではありませんよ」
「へぇ…面白い、化け物以外にも理由はいるのか?」
「むしろそちらが中心です。あなたのような面白い人間、逃すのは酷く惜しい」
「ふっ、わかった。あくまでも私を人間というのであれば、私は理性を持とうじゃないか」
私の言葉に、彼は一歩踏み出して、片手を差し出してきた。
片頬だけをつり上げて、私はその手に、手を重ねる。
この時期に握手の習慣があったのかどうか知らないが、この彼は知っていたということなのだろう。
その手をぐい、と引っぱり、耳元に唇を近寄せる。
「但し、人間ではないと言うのであれば、理性など捨てる。いいな?」
「…勿論ですよ、氷雨」
驚いた顔もせず、涼しい顔でこくりと頷いた彼はでは此方へ、と私を案内する。
何処へか、と言えば、彼女の部屋で。
これから彼らへ話をするのに、私がいない方がいいのだろう。
そう思って、素直に彼女の様子を見る。
「氷雨?」
「暫く世話になることになった」
まあ!と嬉しそうに笑った彼女は、安心したように就寝した。
契約とはいえ、まさか、この展開は想像もしていなかった。
これも、天命とやらなのだろうか。