鬼神 | ナノ



きっかけ 1/1


主役である母上が宴に来た時、その場が静まり返った。
それは母上が美しいとか、恐ろしいとか、そういう理由じゃない。
その後ろに控えている一人が原因だ。
よくよく見れば、それは兄上の護衛武将の氷雨ってことはわかる。
だが、今まで見たことも無い服で、化粧までしていると来た。
隣の兄上を確認すれば、目を限界まで見開いて、今にも立ち上がりそうだ。
それに驚きながらも、賈充に言おうと、反対を向いた。
ら、賈充まで目を見開いて、口まで開けていた。
母上が一言話した後も無言のこの宴の席と、困った顔の姉のような彼女を助けるために声を上げる。

「おーい、氷雨ー!こっち来いよ!」
「司馬昭様!ありがとうございますっ、張春華様、失礼いたします」

ぱあぁっと表情を明るくした彼女は、機敏な動きで俺たちの元までやってきた。
相当困ってたんだな、と思うが、まあ、氷雨も悪い。
あんなに目立つ格好をして、色気を振りまいているのだから。

「別人みたいだな」
「そう、ですか?自分でやった上、確認が出来ないままで…司馬師様の顔に泥を塗ってはならないと」

問題ないでしょうか?
恥ずかしそうに問いかける彼女に、笑いながら首を左右に振る。
若干、彼女の見慣れぬ色気にドキドキしてしまったのは内緒だ。
普段が禁欲的な分、反動があるんじゃないか、と一人考え込む。
それにしても、真っ先に彼女を褒めそうな兄上と賈充が黙り込んでいるのが気になる。
ふと、彼女が何処かを見る。

「どうした?」
「あの者、名前はわかりますか?」

彼女が指差す先には、確か父上が見出したと言う文官。
確か…

「とう、がい…?だっけな?」
「トウガイ殿ですね。申し訳ありませんが少々話してきます」

目をキラッキラ輝かせて、氷雨はそちらに向かう。
にこにこと人のいい笑みで笑いかけ、話し始めた。
驚いたような男はすぐに、不器用そうな笑みを浮かべ、答える。
両隣から、ゾクリとする気配を感じた。
何だ、と思えば、氷雨は楽しそうに笑ったまま、その男の腕を触っている。
かと思えば、男の取り出した地図らしき布を二人で見つめ、何かを語り合う。
その顔の距離は、かなり近い。
と、男の方がそれに気がついたのか、顔を赤らめて後ろに仰け反る。
両隣の黒々しい空気が増した。
が、氷雨は此方をチラとも見ずに、その男との会話に興じている。
楽しそうな満面な笑みを浮かべた彼女に、がたり、と両隣から音が揃った。
このままじゃ、あの文官がヤバい、そう思って声を張り上げる。

「氷雨!そろそろ帰って来いよ!」

俺の声に気がついたのか、氷雨は此方に笑みを浮かべて、男に一礼してから帰ってきた。
そして、第一声。

「あの者は、司馬師様の役に立ちそうです」
「…は?」
「地理に精通している上、よい筋肉をしています」

真顔で告げる彼女に、思わず苦笑いを返す。
良い筋肉ってなんだよ、なんて突っ込みたいが、氷雨が本気で言っているのは事実。
無言で彼女の様子を見る兄上は、はあ、とため息を吐いた。

「氷雨、」
「はい、どうかされましたか?」

氷雨はにこり、いつも通りの笑みを浮かべ、首を傾げる。
兄上は普段滅多に浮かべない氷雨専用の笑みを浮かべた。
ちなみに、この笑顔を垣間見た女官は悉く兄上に惚れる、という対象以外には百戦錬磨の笑みでもある。

「その美しい姿を、他の男には見せたくはない。隣で、私に酌をしていてくれないか?」

氷雨は無言になって、それから、へにゃりと眉を下げた。
何とも言えない表情だが、兄上に対して悪い感情を持っている訳でもないだろう。
すぐに口元を緩めて、御意に、と兄上と俺の間に腰掛けた。
そのあと、俺のいた場所を賈充が奪っていったのは言うまでもない。

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