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日替わり、分替わり、秒替わり真剣な瞳でフィールドを写しながら、時折解説を入れる氷雨さん。
それでもやはり、泥門についての情報は何一つ漏らさない。
途中で問いかけてみても、口元にだけ笑みを浮かべて、あっさりと誤摩化されてしまう。
うっかり漏らす、と言うことがないらしい。
そして、前半が終わり、不利すぎる状況であっても、彼女は平然としている。
泥門が勝つと信じているのだろう。
「信じてるんですか?」
「約束してくださったので」
ハーフタイムに入って、気を緩めた氷雨さんに問いかける。
ふふ、と笑った彼女はフィールドに視線を向けた。
何を?と問いかければ、目を外さずに苦笑を浮かべる。
「なんだか良くわからないんですが、私が阿含さんに気に入られたらしくて」
「え?」
「神龍寺が勝ったら、私を寄越せと言ってきたらしいんです」
やる気をあげるための嘘だと思いますが、皆さんが“お前は俺たちの仲間だ”と言ってくださいましたから。
優しく笑って、泥門ベンチに向かって、手を動かす。
こっちを見ていた蛭魔が同様に、何やら伝えてきているようだ。
それにまた返す彼女は、口元に緩やかな笑みを浮かべている。
蛭魔が笑って、背を向けた。
「何を話していたんだ?」
「ただ、信じてますよ、ってだけです」
目を伏せて、肩をすくめて、氷雨さんが笑う。
しかし、他の観客はそうもいかず、多くが席を立った。
関東最強と言われる神龍寺に前半だけで32点の差をつけられている。
この状況で笑みを浮かべられる事実に、羨望すら覚えた。
「勝負は最後まで見なきゃ、意味がないのに」
彼女は言いながら、呆れたように出口に向かう人々を見つめる。
泥門を信頼しきった瞳に、思わず息を飲んだ。
無垢に、純真に、ただそれしか知らないかのように真っ直ぐに。
泥門が勝つと言う未来しか、考えられないと言った表情で。
結果的に、彼女のその信頼は裏切られることはなかった。
36対35で泥門デビルバッツが勝利して、準決勝に駒を進める。
ビデオカメラを停止させて、氷雨さんは嬉しそうに笑った。
「これで、次は王城の皆さんと対決になりそうですね」
「…それは、俺たちを応援してくれていると思ってもいいんですか?」
口元で笑みを浮かべて、眼鏡を押し上げる。
一瞬きょとんとした氷雨さんは、くすり、と妖艶な笑みを浮かべた。
「いいえ、事実を言っただけですよ」
思わず黙り込んだ俺に、もう一度、今度はいつものような顔で笑いかける。
ずっと降ろしっぱなしにしてあった髪を最初と同じようにまとめた。
カメラを鞄に入れて、立ち上がる。
最後にフィールドにいたヒル魔と何か手で話して、肩をすくめた。
移動する前に俺たちを振り返って、軽く手を振る。
「では、また後で」
にこり、笑って颯爽と去っていく後ろ姿を、俺たちはただじっと見つめていた。
話しかけることも、手を出すこともできず。
ふ、と一度息を吐いて、気持ちを持ち直した。
この後は、太陽対白秋の試合があるんだ、と席を動かず、フィールドに視線を向ける。
氷雨さんを次に見るのは、今日ではないだろうと思っていた。
思っていたのに、俺たち…いや、会場にいる全ての人間の前で。
いつも通りの笑顔を浮かべている彼女を見ることになった。