初めて見たのは少し驚いたような表情。
それから能面みたいに無表情になって、俺が挑発したら、瞳に闘志を宿した厳しい表情をして。(お坊っちゃんにもそんな顔出来るんだな、と変に感心してしまった)
その後は、事件の黒幕に対して皆一様に(つまりアイツも)呆れた表情になって。

何が言いたいかというと、要するにアイツ――王子さんは初対面の時、俺に対して冷たい部類の表情しか向けなかったってことだ。

だからなのか、セーブルの街に戻る途中、王子さんがリオンや王子さんの叔母さんに向けた笑顔が妙に印象的で。思わず見惚れてしまったのを覚えている。
















王子さんは性格が悪い。
どの位悪いかってーと、俺が今まで会った人間の中で、ぶっちぎりで一番になれる位だ。レインウォールの腐った貴族共と比べて一番なんだから、ファレナ国内で一番と言っても過言ではないと思う。
この城の連中は皆王子さんのことを盲信していて、何かにつけて誉めちぎるが、あれは虎並みにデカイ猫を被っているだけだ。皆すっかり騙されている。

腹立たしいことに、俺とフェイ兄妹を仲間にしたことで、ますます王子さんの信奉者が増えているらしい。曰く、『山賊にまで温情を掛け仲間にしなさるとは、殿下は何とお優しい…。』とか何とか。
反吐が出る。




皆が騙される、もうひとつの理由は、笑顔だ。
王子さんはどんな時も、誰に対しても微笑を崩さない。もちろん、それは完璧な作り笑いだ。それでも誰も気付かないのは、その笑顔が正に『完璧』だからだ。

素直に認めるのは悔しいが、確かに王子さんは綺麗だ。
女王譲りの煌めく銀髪、何処までも透き通っていながら底の見えない青い瞳、すっと通った鼻梁に、桜色の形の良い口唇。肌だって、抜ける様に白い。外見は完璧だ。

そんな王子さんだから、柔らかい笑みを浮かべるだけで、大抵の奴は堕ちる。
俺に通用しないのは、俺が王子さんの本性を知っているのと、本物の笑顔を見たことがあるからだ。




本当の王子さんは、兎に角性悪だ。口だって悪い。(いや、言葉自体は丁寧なんだけど。)
でも、その本性を知っているのは、王子さんの家族や女王騎士連中を除けば、俺だけだ。

セーブルの領主の館に泊まった時に、眠れなくて中庭に出たのが運の尽きだったんだろう。
同じく中庭に出ていた王子さんは、ばったり出くわした俺に向かって散々嫌味を吐いた後、自分の気が済んだら、さっさと部屋へと戻って行ってしまったのだ。
殊勝にも王子さんに謝ろうと思った、その時の俺の誠意は、あまりの暴言にズタボロにされてしまった。

この瞬間、俺は王子さんの評判を落としたことを反省した、数時間前の自分を本気で悔いた。




王子さんがその性悪さを最も発揮するのは三節棍の稽古の時だ。
初めて会った時に散々思い知らされたことだが、王子さんは強い。
だから俺と仕合う時には手加減してくれるのだが、手の抜き方があからさまなのだ。普通は相手に気を遣わせないように、もっと自然にするものだろうし、王子さんの実力なら手加減していることを俺に悟らせないように振る舞うのも簡単な筈だ。
でも王子さんは、手加減していることをわざと知らせるように動く。多分俺の怒りを煽って楽しんでいるんだろう。

その上、俺が渾身の一撃を放った時に限って、受けようとも避けようともしない。
当然、リオンがそれを黙って見ているはずもなく、長巻を抜いて俺達の間に滑り込んで来る。結果、俺は想い人のリオンにぶちのめされることになる。

王子さんは、俺の想いに気づいている。そしてその上で、リオンに殴られる俺を見て楽しんでいるのだ。
超悪趣味。




そんな稽古や王族としてのお勉強の中で、唯一の救いはリオンだった。

俺が疲れたり、集中力が切れてきたりすると、『そろそろ休憩にしませんか?』と王子さんに進言してくれるし、王子さんの嫌味に俺の我慢が限界に達する頃を見計らって、『今日はもう終わりにしましょう?』と早めに切り上げることを提案してくれたりもする。

始めはそんなリオンに心底感謝していたし、惚れ直したりもしていたのだが、実は、休憩を入れるのは自分が王子さんと話したいだけ(もしくは王子さんが俺なんかの相手してるのが嫌なだけ)で、早めの終了を提案するのは、さっさと俺を王子さんの前(つまり自分の前)から追い払いたいだけなんだと気付いてからは、王子さんの嫌味も聞き流すように(努力は)しているし、どんなに難しい問題を出されても王子さんがヒントをくれるまで真剣に考えるようになった。

多分王子さんは、リオンの意図にも気付いていて、だからリオンの提案をいつも素直に聞いていたんだろう。
そう思ったら余計に腹が立って来た。しかも今の俺の行動も、王子さんの思惑に乗せられてる気がする。
ムカつく。




そんな王子さんにも、素で優しく接する相手がいる。王子さんの叔母さんと女王騎士連中だ。
素直で優しい『みんなの』王子さんは正直気持ち悪い。けど、あいつらと接する時には常と同じく素直で優しいが、それが驚く程自然に見える。

それは多分、王子さんがちゃんと笑っているからだと思う。
笑っているだけじゃない。
あいつらといる時、王子さんは色んな顔を見せる。
笑ったり、照れたり、拗ねたり、(滅多にないが)怒ったり、兎に角見ていて飽きない位、くるくると表情が変わる。

笑顔だって、一つじゃない。
リオンや叔母さんと居る時には、甘えを含んだ表情をしたりするし、カイルやミアキスと話しているときには悪戯っぽく笑っているのをよく見る。ちなみに一番多いのは、ちょっと困った笑顔と、照れたような、はにかんだ笑顔だ。

どれも年相応の表情をしていて、とてもじゃないが若干15歳で一軍を率いている人間とは思えない。
そこには俺が以前抱いていたイメージ通りの『世間知らずのお坊っちゃん』な王子さんがいた。
会話を隣で聞いていても、俺と一つしか違わない、まだまだ甘ちゃんな子供だと思える。
ここで俺が会話に混ざれば、俺にも同じように笑顔で話してくれるんじゃないかといつも思うが、そんな訳ないのは身を持って知っている(この城に来たばかりの頃に王子さんとリオンの会話に乱入して、俺に対してだけ表情を変えるという妙技を見せられた)ので、話を振られない限り会話には参加しないことにしている。
リオンや叔母さんはともかく、カイルやミアキスの前でそんなことをすれば、あまりの惨めさにしょっぱい顔をされるのは目に見えているからだ。



「あ、ロイ。」

「……よう。」


王子さんについてつらつらと思いを巡らしながら歩いていると、1階で本人に出くわした。珍しくリオンがいない。代わりにバロウズ家のお嬢様と何やら話をしていたようだ。


「ちょうど良かった。明日の遠征、ついてきてもらっていいかな?」

「…別に構わねぇけどよ。」

「そう、良かった。ありがとう。」


俺の答えを聞くと笑顔で礼を述べ、すぐ女の方に向き直ってしまった。
明日の遠征について、まだ打ち合わせることがあるらしい。たった今、俺も無関係じゃなくなったので、そのまま二人の話を聞くことにする。どうせ後で同じことを聞くことになるのはわかっているが、早めに知っておいても損はしない。
……同じ話を二回聞いている時点で、時間を損してるのかもしれないが。


「あとはベルクートさんとダインさんとリヒャルトあたりに頼もうと思うんだけど…。」

「ですが、それでは魔法が使える方が殿下とロイさんだけになってしまいます。どなたか魔法使いの方もお連れになられた方が…。」


そんな会話を聞きながら、目の前の二人をぼんやりと眺める。
このお嬢様――ルセリナは、王子さんの作り笑いに気付いている。(と思う。実際に確認したわけじゃないからだ。)
年が近いせいか、リオンとすこぶる仲が良いらしく、王子さんとリオンとルセリナの三人で、話をしている所をよく見かける。
多分、その会話の折りに、自分に向けられる王子さんの表情が、リオンに対するものと微妙に違うのを感じたんだろう。
彼女は貴族の娘ではあるが、他人の表情や感情の変化を敏感に読み取り、的確に対応できる程聡い人間だった。
もちろん、それだけが理由じゃないみたいだが。


「…では、そのように。皆様には私からご連絡申し上げておきますわ。」

「うん、よろしく。ルクレティアには僕が報告しておくよ。」

「よろしくお願い致します。」


話がまとまったらしく、内容を軍師のねぇちゃんに報告するため、王子さんは踵を返す。


「あ、あの!殿下、お待ち下さい。」


と、不意にルセリナが王子さんを呼び止めた。


「何?まだ何かあったかな?」


振り返った王子さんの顔には、いつもの笑顔が貼り付けられていた。
それを見たルセリナの顔が、心なしか歪む。


「い、いえ、あの……。」

「? どうしたの?」


ルセリナを見詰めて、やんわりと首を傾ける。


「あの…殿下、きちんとお休みになられていますか?少しお疲れの様に見えますが…。」


……言われてみれば、そんな気もする。
ここ最近、確かに王子さんの不調を裏付けるような出来事が幾つかあった。三節棍の訓練の時には技にキレが無ぇし、勉強中はやたらと溜め息が多かった。


「大丈夫、ちゃんと休んでるよ。」

「ですが、このところお顔色も優れませんし、明日の遠征は延期なされては……。」

「大丈夫だって。ルセリナは心配性だね。」


そう言う王子さんはとても穏やかだったが、その表情とは裏腹に内心は物凄く苛立っているんだろうと、俺には容易に想像がついた。


「しかし、最近は資金繰りなどで遠征が重なっていますし……殿下にもしもの事があったら…」

「ルセリナ、心配してくれてありがとう。でも、」


そこで言葉を切ってルセリナを見詰める。
彼女の話を遮るように発した台詞に、何となく嫌な予感がした。


「君が気にすることじゃないでしょう?」


思った通り、心配するルセリナに向かって、事もあろうに笑顔でそう言い放った。
途端にルセリナの表情が強ばる。


「い、いえ、その…申し訳ありません…。で、出過ぎた事を申しました…。」

「気にしてないよ。……じゃあ、明日の遠征の連絡、よろしくね。」

「あ、はい。……お休みなさいませ。」

「うん、お休み。」


挨拶を済ませ、王子さんは2Fへの階段を上っていく。それを見送るルセリナの顔は、今にも泣き出しそうだ。
少し考えて、俺は王子さんの後を追った。


「おい!」

「あれ、ロイ。どうしたの?」


前を行く王子さんを呼び止める。
呼ばれた王子さんは、先程の会話を聞かれていたにも関わらず、何事も無かったかのように笑顔で振り返った。


「あの言い方はねぇだろ。」


その笑顔に苛立ちを募らせながら、先刻の態度をたしなめる。


「どうして?最後は確かにキツかったかもしれないけど、ちゃんと優しくしたよ。」


まるで優しくすることが義務であるかのような言葉に、俺の苛立ちが増す。


「そうじゃねぇよ!…あいつは本気でアンタのこと心配してんだから、もっと優しくしてやれよ。」

「だから優しくしてるじゃない。」

「優しくする“フリ”をしてんだろうが。いくら態度が優しくたって、中身が伴ってなきゃ意味ねぇだろ。」


図星を突かれたのか、聞き捨てならなかったのか、その一言は王子さんの不興を買ったらしい。
俺に向けられている蒼い瞳が、僅かに眇られた。


「どうしてそこまでする必要があるの?……彼女がバロウズ家だからって嫌な思いをしないように気を配ってるし、僕も出来るだけ優しくしてるし、もう十分でしょう?これ以上する必要はないと思うけど。」

「……あいつ、アンタが本当は笑ってねぇの、知ってんぜ。」

「それが?」

「あいつの気持ち考えたことあんのかよ?……アンタのこと、本気で好きなんだから、ちゃんと笑ってやれよ。」

「ロイに言われなくても知ってるよ。でもそんなの彼女を特別扱いする理由にはならないでしょう?」

「特別扱いとか、そういうことじゃねぇだろ!」

「それに、」


言葉を切って、間を空ける。
王子さんがこういう言い方をする時は、後の展開は大抵録な物じゃない。


「相手に自分を偽るなって意味なら、僕の格好をしてリオンの気を惹こうとしてるロイに言われる筋合いはないよ。」


一番痛い所を突かれ、カッと頭に血が上る。


「……っ!?あぁそうかよ!勝手にしろ!!」

「言われなくても。」


怒り委せにそう叫んで背を向ける。
その俺の捨て台詞に返されたのは、王族らしからぬ不貞不貞しい台詞と、それに似つかわしくない極上の笑みだった。





 ***





「何なんだ、あの態度!マジでムカツク!!」


怒りも覚めやらぬまま、階段を降り、湖上に架かる吊り橋へ足を向けた。
愚痴を溢しながら歩いていたせいか、見張りの兵士におかしな目で見られたが、知ったことか。

自分はただ、常々思っていたことを言ったまでだ。

もっと笑えば良いのに。ちゃんと笑えば、あんなに綺麗なのだから。
作った笑みも確かに綺麗だけど、アイツの本当の笑顔は綺麗で、でも何処か可愛くて、そしてほんの少し温かい。
そう、もっとちゃんと笑えば良い。そうすれば、
そうすれば―――…?

思考があらぬ所に辿り着きそうになって、ギャア!と叫んで上を見る。


(何考えてんだ、俺!)


取り敢えず星でも見て、落ち着こうと、意識を上空に向けると、視界の端に2本の足があるのに気が付いた。屋上の縁に座り、垂らした足をぶらぶらさせている。
屋上は柵も無ければ、風も強い。


「〜〜〜あの野郎…っ!」


落ち着いた筈の怒りに再び火が着き、先程歩いて来た道を駆け戻る。


「テメェ、何やってやがる!」

「ぅえ?!」


そのまま屋上へ駆け上ると、危険極まりない体勢で寛いでいる人物を怒鳴り付ける。


「……え、ロイ?何…」

「危ねぇだろ、馬鹿!落ちても知らねぇぞ!!」


突然怒鳴り付けられた本人は、その蒼い目を真ん丸に見開いた後、


「……っふ、アハハハッ…!」


腹を抱えて笑い始めた。


「何笑ってやがる!」

「…っ…だ、だってロイ、落ちても知らないって、…こ、此処まで走って注意しに来た癖に……っ!」


言われて初めて、自分の言動の矛盾に気が付いた。


「〜〜〜っうるせぇ!良いから、さっさと足引っ込めろっつってんだろ!!」


恥ずかしさを誤魔化す為に再び怒鳴り声を上げると、それに従うように王子さんが足を引き上げた。


「…っふ……はぁっ…可笑しい……!」

(この野郎……!)


未だ笑い続け、涙まで滲ませる王子さんに怒りのボルテージが上がる。
深呼吸をして落ち着こうとしているようだが、見事に失敗している。最早呼吸困難もかくやという笑いっ振りだ。―――其処まで笑うか。


(…………ちょっと待て、)


そこではたと気付いて、王子さんを見詰める。
ようやく落ち着いてきたのか、クスクスと小さく笑いながら目尻に浮かんだ涙を拭っている。


(……笑ってる…?)


至極楽しそうに、王子さんが笑っている。……自分に向かって。
あまりの出来事に呆然としていると、ふと顔を上げた王子さんと目が合った。


「心配してくれてありがとう、ロイ。」

「…っ!!」


そう言って、ふわりと笑った王子さんを見た瞬間、顔が熱くなるのを感じた。
それは、リオンや叔母さんや女王騎士達に見せるものとは何処か違っていて。上手く形容出来ないが―――無邪気だけど子供っぽくもなく、甘えている訳じゃないけど何だか懐っこい。

何なんだ、その顔。
反則じゃねぇか。


「し、心配なんかしてねぇよ!」


固まった舌を無理矢理動かし、辛うじて返事をするも、声が上擦ってしまう。


「へぇ。ロイは心配でもないのに、わざわざ下から走って来て落ちないように注意するんだ?」


しかも恐ろしいことに、口の悪さは相変わらずなのに、表情が違うだけで常日頃感じていた憎たらしさを微塵も感じないのだ。いつもなら(というか、ついさっきまで)、一言一句に腹を立てていた筈なのに。
今は寧ろ、恐らく無意識に傾げられた首と上目遣いの視線が気になって仕方ない。


(コイツ、マジで質悪ぃ…!)


返事をしなくなった俺をいぶかしがって、下から覗き込むように顔を近付けてくる王子さんに目眩を覚える。
取り敢えず、他人がいる所で今みたいな表情を無闇やたらにしないように言い含めておかなければいけないだろう。
……何となく、厄介なことになりそうな予感がするので。




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