■光の先に
リペアルームで、アーム部分の通信機を調整してもらっているマイスターは、真剣な表情で調整器具を扱うレインの指先を見つめている。
見るからに儚くて、そして小さくて、柔らかそうな指だと、思った。それから、レインの顔を見た。瞬きをするたびに睫毛が揺れて、それから、呼吸と心拍の度に微妙に揺れる、髪。
「緊張しちゃうので、あんまり見ないで下さい副官」
視線を変えずに少し口角を上げてレインが呟いた。
『ああ、悪いね』
マイスターは宙を仰いで、視線をどこに向けていいか考えながら、ふと聞いた。
『あ、そうだレイン』
「はい?」
『君は休暇を取らないのか?』
一時間ほど前、テレトラン1を通じて見た番組で、毎年この季節は、国によってはクリスマス休暇なるものを取ると言っていた。
「うーん、そうですね、でも私の場合、休んでも今不足してる生活必需品の買い出しとか、リペアルームの大掃除とか、しちゃうだけだと思うんで、特別に休暇を取るほどの用事もないときは、いいんです」
レインは喋りながらも視線を変えずに、通信パネルの具合を確かめている。
『いやぁ、だがクリスマスだぞ?』
マイスターがレインを見つめる。
「クリスマスですけど…、特別私、予定ありませんし…もしかして副官、私を休ませたいんですか?」
レインが怪訝そうな顔をしてマイスターを見つめ返した。バイザーはどこをみれば視点が合うのかいつもわからない、とレインは思っていた。何故かそれだけで、マイスターをずるいと思った。
『いやいや、予定があるんならと思って聞いただけだよ。怒らせてしまったな、はははっ』
マイスターが軽く笑った。
「あ、いえ怒ってはいませんけど…」
レインは少し俯き加減に、止めていた作業を再開させる。
「副官は休まないんですか?」
静かに尋ねたレインを見つめ返し、マイスターが答えた。
『私も何か理由がないと休めない質だからなぁ』
そう言ってふと思いついたマイスターは、レインの腕に優しく手を重ねる。
「あっ、副官動かしちゃだ…」
『レイン、私はアレが見てみたい』
え?と首を傾げたレインがマイスターを見返す。
「あれって何ですか?」
レインが目を丸くして聞き返した。
『一度ゆっくり見たいと思ってたんだ、良かったらつきあってくれないか?』
「?」
レインがさらに首を傾げる。
『イルミネーション。今の季節、たくさんあると聞いたんだ』
目を見開いて、それから頷き、微笑む。
「確かに綺麗ですよね、今は特に」
『いつが非番だい?あ、ちょっと待った、私の時間がとれる日も調べなくては』
バイザーを光らせスケジュールを調べるマイスターを見て微笑んだレインが手元にあったスケジュールを開く。
『24日だ「24日ですね」』
二人の声が重なる。
顔を見合わせる二人は同時に笑った。
『クリスマスイブか』
「わくわくしますね!私でよければご一緒します!」
レインは笑顔でオーケーを出した。
『うん、楽しみだ』
:
12月24日、クリスマスイブの夕方。
基地の外で待つレインの元へ、白のポルシェが滑りこむ。
『待たせた?』
レインは首を振って微笑み、マイスターに乗り込んだ。
「きっと夜の方が綺麗ですよね」
『イブの夜に連れ出して悪かったね』
カーステレオ越しの会話は、ますます表情が読み取れない。けれどもマイスターは気を使ったような遠慮がちな口調でレインに謝った。
レインは静かに首を振った。優しい気遣いがなぜか胸に痛く感じた。
「副官」
『ん?』
レインがハンドルを優しく握る。
「今日、楽しみにしてました」
マイスターは静かにそうか、と言ったきり、再生装置を音楽に切り替えた。
:
街の中心地にたどり着き、人型にトランスフォームした彼と、街を歩く。
短い黒髪に青いバイザー。口角だけを上げて穏やかにレインを眺めるその表情が、レインは好きだった。
恋人達が楽しそうに腕を絡ませ、はしゃいでいる。夜の風はいつもと違う、陽気な空気を含んでいる。いつもより明らかに人が多い。
レインはわくわくする気持ちを抑えきれない。
「副官!!」
はあっ、とレインが息を吐く。息は白く浮いて、すぐ消えた。
マイスターはそれをにこやかに眺めた。
『気温が下がってるんだな。寒くないかい?』
こく、と微笑み頷いたレインに、マイスターは辺りを見回した後、呟く。
『多いな』
「みんな、この先にあるイルミネーション目当てだと思います、たぶん」
レインが指差した方向には、光の彫刻と呼ばれる、眩いばかりの照明に彩られたアーチ型の電飾の中に作られた遊歩道。マイスターは感嘆の声をあげる。
『…すごいな』
「行きましょう、副官!」
レインが明るく提案した。マイスターはレインを見やり、
『その呼び方はなんだか任務中みたいだ』
と言った。不満さを含めたような言いぐさで、腕を組んでレインを見つめた。レインが首を傾げてマイスターを見つめ返す。言葉の意味を理解していない様子だった。
「…と…いうと」
レインが呟く。
『今日は、立場も、任務も、なしだ』
「え?」
『呼び捨てでいいよ』
レインが驚いて手を左右に振った。
「えーっ、そんな失礼な事出来ませんよ!」
『今日は距離を置くな、たのむ』
それまで穏やかだった声が一気に真剣なものに変わったので、レインはしばらく考えたあと、
「じゃあ、今日だけですね。すみません」
『なぜ謝る?あ、それから敬語は、なしだ』
口角をあげ微笑したマイスターに、たじたじの様子のレインは、仕方なさそうな表情をしたあと微笑んで頷いた。
:
イルミネーションを楽しみながら、並んで、歩く。
『いやあ、来て良かった』
見逃さないようにしているのか、せわしく左右を交互に眺め、そう呟いたマイスターに、レインは笑顔を返す。
レインの肩に、向かってきた人の肩がぶつかる。
「あっ、すいませ…」
振り向き直って謝ろうとしたレインが、よろけたので、マイスターはレインの腕を掴んだ。
『全く見てられないな』
マイスターは腕を掴んだままため息をついて、大丈夫か、と声をかけた。
「あ、すいま…めん」
『なんだそりゃ』
ごめん、と無理やり言い直そうとした語尾に、マイスターが声をあげて笑う。
「む、無理!!敬語なしは無理で…す…」
レインの唇にマイスターが人差し指をあてる。指の感触に戸惑って口を噤んだレインは、バイザーの奥にある表情を読みとれなくて、またマイスターをズルいと思った。
『たのむ、敬語はなしだ。今日は』
今日は距離を感じたくない。何度もマイスターはそう思った。わがままを結局何も言わずに聞き入れてくれるレインは、底なしに優しいと思った。イルミネーションに照らされた彼女は、一際綺麗に見えた。
レインが観念したように小さく頷いたので、マイスターは微笑んで指を彼女の唇から引き離した。
勇気を振り絞ったようなレインの声がする。
「マイスター…」
慣れていない口調はたどたどしいのに、マイスターは安心した。名前を呼んでくれて嬉しかった。
『ん?』
人の流れに押されながらも、レインはマイスターだけを見つめて、呟いた。
「今日はこれ、はずして…」
そう言って、青いバイザーを、レインが両手で丁寧に外す。
テラコッタカラーに染まったレインが、マイスターのアイセンサーを見つめて微笑んだ。
「やっと、目があった」
ふふ、と嬉しそうに微笑んだレインをマイスターの青い目が、見つめ返す。
「この方がずっと綺麗でしょ?」
レインが辺りを眺めて、ね?と促した。
マイスターは視線をレインから外さずに、
『うん、綺麗だ』
と一言呟いた。
「良かった!!行きま…じゃない、行こう?」
誰に向けて言ったか気づいていないレインに、少し呆れながら、マイスターはふっ、と笑って頷く。
『レイン』
ん?とマイスターを見返したレインの手を掴んで、絡ませた。
離すつもりはなかったし、そうしたかったから、そうした。
レインは恥ずかしそうに俯きながらも、笑顔を向ける。
穏やかなクリスマスソングの流れる街並みを、時々話しながら、歩く。
繋がれた手は、しっかり絡んで、互いの温かさを分け合う。
マイスターはこの上の幸せがあるのかと思った。
ずっとこのまま、この光の彫刻が続いたらいいのにと、繋いだ手を意識して、何度もそう思った。
隣で笑うレインを、何度も目で追う。
バイザーがある時はずっと見つめていたのに、いざ外すと直視できなかった。
ビークルモードにこの姿を変えて、ずっと遠くまで連れ去りたい衝動は、もうずっと前からひた隠していた気持ちだった。
『レイン』
穏やかに名前を呼ぶと、容赦なく向けてくる優しい視線に、スパークが焦がれそうになった。
…もう耐えられそうにない。
光の彫刻は、そんな自分たちを何処にも連れて行ってはくれない。現実なんてそんなものだ。先に見えるのは暗闇だけで、明日は見えない。
「あ、イルミネーション、もうすぐ終点だ」
レインが寂しそうに呟く。
『帰ろうか』
終点につく前に、レインに提案した。
何も疑うことなく頷くレインを見る。はあ、と息をつくたびに白くなる大気は、本当に意地が悪いとマイスターは思った。
所詮、違う生命体だ。
レインと自分は、違う。
「うん、楽しかった!」
:
帰り道、綺麗だった、とか、感動したと何度も目を、輝かせて言うレインは、
「基地に帰ったら、ちゃんと言葉遣い、戻さなきゃ」
と自身に言い聞かせるように呟いた。
『レイン』
「?」
『二人の時はこれでいいさ』
レインが困ったように微笑む。そんな顔してほしくないのに。
「そんな器用なこと出来ないかも」
ふう、と俯いたレインの様子を、マイスターは黙って窺う。
「マイスター」
『?』
「今日はありがとう」
穏やかにレインが笑った。
『こちらこそ、本当にいい思い出が出来たよ』
出来るだけ気持ちを込めて、マイスターは答えた。
『今日は、レインが基地に来てから、一番幸せな日だった。ゆっくり話せて、手がつなげて、嬉しかった』
素直なマイスターにレインは戸惑ったように微笑んだあと、涙が流れる。パタパタッとこの時に落ちてきた予期せぬ涙は、レインを混乱させた。
「あ、…あら?なんで涙が」
みるみるうちに溢れて、流れる、流れる。
『あ…、大丈夫かい?』
自分の言葉で傷つけてしまったかと、マイスターは思った。必死で首を振るレインは、目を押さえながら、震える声で、こたえた。
「私、いま本当に、しあわせ」
それが精一杯だった。
マイスターはレインの言葉を噛み締める。きっとこの恋は、うまくいく。自分たちは、幸せになれる。
『…レイン』
マイスターが穏やかに語りかける。
『日付が変わったみたいだ』
レインは腕時計を確かめた。0時をちょうど回ったところだった。
『「メリークリスマス」』
絶妙のタイミングで同時に出た言葉に、2人は笑う。
あの暗闇の向こう側はきっと、テラコッタカラーの、優しい光に満ち溢れた、幸せな未来だと願いながら、マイスターは基地へと加速させた。
企画/Xmas 7days
架空のイルミネーション群を想像しながら。
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