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I Need You!

彼女のひとりごとの理由

初運転初日はくたくたになった。たいした距離、走ってないのに。ものすごく疲れて、即行で眠りに落ちた。寝る前後の記憶がほとんどない。こんなに眠れたのは久しぶりだというくらい、心地よく眠れたのだ。お陰で今日は朝日とともに起きることができた。
昨日今日と仕事は休み。カーテンの隙間から覗く青空は連日雲ひとつなく、絶好の…

「…お出かけ日和…ですな…」

そう言ってから思い出した。何も予定が入っていない今日、借り物の黄色いカマロを洗車しようと思っていたことを。

「いつ返すことになってもいいように、洗っとかないとね」

ベッドから跳ね起き、クローゼットから漂白剤の使い方を間違えたせいで色が変わってしまったショートパンツを出す。汚れを落としたくて洗濯表示なんぞ見ずに漂白剤を放り込み、失敗した。実家にいた時はこんな事なかった。もしこんな事があったら、洗濯をしてくれる母親に向かって感謝の気持ちも述べずに文句をならべて、不機嫌な態度を取っていたはず。母はそんな失敗をいっさいしなかった。それだけで偉大だと思えたのは、離れて暮らし始めてからである。
日常を送る意外な難しさ。掃除しなければしなかった場所にはかならず埃がたまる。庭の雑草を定期的に取らなければ自分の土地ではないような形相になる。手をかけなければ、本来の持ち主である地球に還るという自然の摂理。色褪せたショートパンツひとつで、母親に感謝ができるようになったのは大きな成長のように思う。
着たおしてくたびれたTシャツも出して、クローゼットを閉めた。
着替えながら昨日買っておいた洗車グッズを眺める。まだ袋に入ったままで部屋の隅にあったのでそれを取り、寝室に使っている部屋を出る。歩きながら袋を覗きこみ、ちょっと洗車が楽しみだと思う。なんとなく、あのカマロに対する最初の恐怖心が少なくなっていることに気がついた。
最初の日、あの車は喋ったような気がする。なんか、ハンドル握ってればいいよって言われた気がする。何日もたっていないのに、そうだったのかも、あんまり思い出せないほどである。そのくらいここ何日か、車が来てからなんとなく濃い毎日で…、よくわからない。だけど、あれはサムにカスタマイズされた車。サムにカスタマイズされたのだから、自分の声には反応しないのだろう。きっとそうなのだ。
あまり深く考えても仕方がない。
借りてる間は、たくさん運転の練習をして、楽しむしかない。





ユマが昨日買ったと思しきショッパーを持ってガレージへとやってきた。動かしてくれる事を楽しみにしていたので、彼女の登場が嬉しかった。
今日はずいぶんラフな服装だ。よそ行きの格好じゃないのは俺にも分かる。こんないい天気なのに、出かけないのか?

「黄色い車さん」

───なんて懐かしい呼び方!
コツコツ、とサイドミラーのあたりで、扉を開ける時みたいな優しいノックをした彼女は、

「綺麗にしますからねー」

そう言って笑っていた。ずいぶん柔軟な態度に変わったな。何があったんだろう。ユマは俺のエンジンをかけて、ガレージからほんの少し車体を外に出した。ユマはカーステを一度だけ覗き込むと、

「なんだろね、どうやったら起動するんだろう?やっぱりその辺、サムに聞いとけばよかったなぁ」

そう言った。起動、ってなんだ?
俺をカーナビの延長みたいな認識で扱ってる?
まぁ…何も知らなければ、そうなるか。ユマは運転席に乗ったまま、フロントガラスの方へ身を乗り出し、天を仰いだ。

「いい天気!」

運転も素人だが、きっと洗車も素人だろう。出かける気満々だったので少々気が重かったが、洗ってくれると言うのならそれに従うまでだ。タイヤの泥を落としだした彼女の横顔がほんの少し見えた。途中で髪が煩わしくなったのか、ふと立ち上がり、その髪を簡単にまとめている。そして横目で俺を見て、なぜかため息をついた。

「…って、なんでまた話しかけてるんだろ…」

仕方なさげにそう呟いて、水道の蛇口をひねりに行った後ろ姿が、身軽で気取っていない。

「水をかけて、砂や埃をはらい落とす」

ルーフに水をかけてならしながら、しかしあちーなー!と付け加えてタオルを首に引っ掛けたユマがちょっと面白かった。まだ成人したての乙女にしては作業中のおっさんのような口ぶりである。

「ドアの隙間もたまるからかける、と」

…ん?

「流水でボディの汚れを落とす!」

もしかして、君は洗車の方法までわざわざ…調べ…

「…本当に、やっぱり喋らない、普通の車なの?」

動きを止めずに、水を流しながらタオルで汚れを落としていくユマに思わずビークルモード時のカメラを向ける。

「それならそれで、いいんだけど…最初の日に、ほとんど運転せずに帰れたから」

何か気づかれたか…?

「あれもサムの計らいなら、彼にお礼、しなきゃと思って」

これは、話をするべきだろうか…
柔らかいタオルと、流水が冷やしていく身体の心地よさに酔いながら、そう思った。

「でもすごいよね、自分の好みにカスタマイズして、友達みたいに思えるって、すごいよ」

───君は最初の車だよ
サムの言葉は、嬉しいものが多い。時々、親友だとさえ思う。
この友情は、誰に何と言われようとこの星に来た最大の収穫だ。

「…いいよね、マシンと人が、そんな関係になれるってそうないと思う…」

人間にこの関係をすごいとか、いいよね、とか言われることはそうないので、貴重な感想だと思った。
だいたいは責められる。むかつくけど。

「私は…一人暮らしをするようになって、働いて、何もかも一人でするようになって、車を持って、…そうしたら…」

ぼんやりと話しながら、ちゃんと手は動いていることに感心しながら、話の筋を挫かぬよう静物に徹する。彼女の話を、聞きたい。聞いてみたい。

「ああ、自由だーって。だけど…」

一通り撫で洗いされ、水分を取り除くように拭かれる。これだけでも生き返った気分だ。

「テレビを見た、お店で素敵なものを見つけた、今日みたいないい天気だった、とか、何かを思った時に…
ねえ!見て!って…一緒に暮らして言う人がいない時に…」

ゆっくりと思いつく言葉を声に出していくそのさまを眺める。優しい眼差しは青い空を仰いでいる。

「ああ、自由ってほんの少しの寂しさと引き換えなんだ、と思った」

そう言った顔はだいぶ寂しそうで、開放感溢れる格好の身体がとても小さく感じる。

「変だよね、家族がうとましい時は自由を求めてたのに…」

ふと車体に視線が戻り、

「───そんなことを思う時ある?」

そう呟いた彼女を見つめた。幸い、この視線は誰にも知られることはない。だからずっと見ていた。

「…人を乗せてると、乗せてないとき、寂しくならない?ガレージでサムを待ってる時とか…」

そんなことを聞かれたのは初めてだな。考えたことなかった。
だけど…あるかもしれないな。寂しいっていうのとはちょっと違うな、なんていうか、ツマラナイ、っていう感情が一番しっくりくるかも。

「…ないか」

いや、なくはない、よ。

「でも…車って乗らなくなると動かなくなるって、よく言うよね」

そうなの、か?

「それってそういう事なんだと思うよ」

ん?どういうこと?

「寂しさは生命力みたいな、なんかそんなのを奪うんだろうね」

寂しそうな君は、生命力を、奪われてるのか?

「物や、生き物…」

バケツにカーシャンプーを大量に入れたユマは無表情で勢いよく水を入れ、そこにふかふかの泡ができた。ちょっと泡は苦手だ。だけど、終わったあとのすっきり感が違う。
それをスポンジに含ませて、ゆっくりボディを洗い始めた。

「…でも、サムに大切にされてるあなたは、すごく幸せなんだね」

………

「…ってまた話しかけてたし」

君は、

「しかも、ガッツリね」

今、俺が何をしたら、幸せに、なる?

「もーほんと、独り言多いよ!」

悲しそうに何度も笑いながら、ユマは俺を拭きあげる。君と話せたらいいのにな。なんて言えばいいんだろう。こういう気持ちはなんだろう。サムにも似たような気持ちになった事があったな。ミクと喧嘩をした時や、ロンが一度倒れた時や、あの時この時、俺は彼を守りたかった。
いつだって守っていたかった。
別に正体を明かしてもいいんだろうけど、もう少し俺は君を知りたいんだ。

「よし、いいかな。ワックスがけはちょっとわかんなかったから、また今度チャレンジする!」

そう言って、ユマは額の汗を拭き取った。

「よし、おしまい!かっこよくなったよ!あ、違う!もっとかっこよくなったよ!か!」

彼女は俺を撫でて、ゆっくりドアに手をかける。ガレージに戻そうとしてるのか。
待って、もう少し話を、

「…本当に、かっこいい車。……売ってくれないかなぁ」

エンジンをかけたユマの指先の感触を確かめた。ガレージに車体を戻したユマは、そのままエンジンを切ろうとした。
我慢が出来なかった。彼女と本当に友達になりたい。

『───”こんにちは”、”本日の天気は終日晴れ、穏やかな1日になりそうです”、”ドライブなどいかがでしょう”』

瞬時に出来るだけ優しい口調の声優や俳優の台詞を演算し再生させる。こういうのは得意なんだよ。それでもユマは思わず飛び上がり、仰け反った。大きな目でキョロキョロ辺りを見回している。
ああ、怖がられるかな…

『”丁寧な洗浄”、”まことにありがとうございます”』

どうすればいいのかわからないなんて、初めてだ。

「………」
『………』

どうか彼女が怖がらずに、

「……ど、どういうタイミングで起動してんの、これ…」
『……』

またユマは車内を見回している。カーナビに視線を戻し、

「はっ!せ、洗車か!?もしかして!」

いや、洗車で機嫌よくなったとかそんなんじゃないよ、俺は君とただ…

「…ドライブ…」

ユマは勢いよく車から飛び出た。とても慌てている。
やっぱり、ビビるよな…ダメだったか…
そう思った。しかし、俺のその予想は大幅に外れていた。

「ま、待ってて!!その機能、絶対オフにしないで!待っててほんとに!」

え?

「───支度してくる!!!!」

今俺、人間だったらたぶん、笑顔になってる。

『───”了解しました”、”ごゆっくり”』

一抹の希望が灯った。
今日は身体も綺麗になって、いい日だ。反射する太陽の光が眩しかった。


2015.05.08