1.隣同士が一番自然
ガタン、音を立てて隣に座る彼女を盗み見る。
…今日だけで一体何度目だろうか。この目にその姿を焼き付けるのは。
「ごめんごめん。ドリンク作ってたら遅くなっちゃってさ…って、トシ?なに?じっと見て」
「…いや、当たり前のようにそこ座んだなと思って」
「え?何?座っちゃマズイ?」
いや、別にそういうわけじゃねーけども。そう続ければ彼女はそう?とニッコリ。爽やかに笑う。
放課後、俺たち以外誰もいない教室にふたりきり。慣れてるっちゃ慣れてるそれに今さら動じる事もなく、俺は淡々と目の前の日誌と向き合っていた。
高校3年間、同じクラスで隣の席。彼女…ナマエとは、もはや腐れ縁の仲だ。
ちなみにナマエとの不思議な縁はそれだけでなく。
日直は絶対同じ周期で回ってくる。何故か推薦で決まる委員会、中学から続けていた部活だって。何故か気付いたら彼女とは一緒だった。
そう、気が付いたら。いつの間にか隣にいるのが当たり前になっていて。
「あ、そういえばトシもうすぐ誕生日じゃなかったっけ?」
「…あぁ、そういやそうだっけ」
「ええ?自分の誕生日忘れてたの?」
何それ?変なの!と隣で笑う彼女を少し恨めしげに見つめれば。
「そんなに睨まないでよ!プレゼント、用意しといてあげるから」
野球部のみんなとね!そう続けられたナマエの言葉に募るのは妙な違和感。…なんだ?何かが、おかしい。嬉しいはずなのにモヤモヤ、胸の中を這い回る黒いもの。
気分が悪い。…どうして、こんな気持ちになるんだ?
見ればナマエは俺の書いた日誌を覗きこむように見ていて。相変わらず丁寧ねぇ、なんて笑う。
…おかしい。今日の俺はおかしい。
なんで、こんなドキドキしてんだ?…ナマエ相手に。
「…ねぇ、トシ?」
「えっ?」
「あのさ…」
その、ね?と。何とも言いにくそうに言葉を選び始めた彼女。…珍しい、かもしれない。こんなしどろもどろなナマエを見るのは。
だってこいつは自信家で、いつだって飄々としてて、こんな…
「…誕生日の日、ちょっとだけ二人で会えない?」
「え!?」
「話が、あるの…トシに」
こんな、不安気で力のない表情をする奴だったか?
窺うような視線を寄越すナマエを前にいろんな言葉が浮かんで消えて。内心慌てふためいているせいか、何も答えられずに見返せば。
「…やっぱり、ダメ?」
「いや、ダメっつーか…」
どうして、潤んだ瞳で俺を見る?少しだけ赤く染まった、その頬の意味は?…まさか、んなことあるわけねェ。下手な期待はするもんじゃないって…分かってる。分かってっけど。
カァッと昇ってくる熱を誤魔化すようにスッと逸らした顔。
…まさか、そんな馬鹿な。だけど最後に行き着くのはどうしたってそれで。
横目でナマエを盗み見る。瞬間、持っていたシャーペンが音を立てて落ちた。
「…ごめん迷惑、だよね」
そう言って。見たこともないような、泣きそうな顔で笑うから。
「…今じゃ、ダメか」
「え、」
「お前の話聞くの」
そう言って、その小さな手を握って。キョトン、と俺を見るナマエを黙って見つめ返していたら急に顔を真っ赤に染めて。
「い、今?それは、その…心の準備がね、」
ていうか、え?手?何?と、今度はナマエが真っ赤な顔で慌てふためいている。
視線をあちこちにやるくせに、決して俺の方は見ようとしない。それでも、繋がれたこの手は離そうとはしないから。
「だったら先に、俺の話聞いてくれねーか?」
そう言えば、恐る恐るこっちを向いたナマエ。繋いだその手を思いきり引いて。
「好きだ」
耳元でそう言えば今にも泣き出しそうな顔で俺を見る。本当に?漏れた小さい声に、嘘なんかつかねーよと返せば。
「私も、トシが好き」
今までの中で一番の笑顔を見せて。俺の胸の中に飛び込んできたナマエを強く強く抱き締めた。
それからもう一度彼女に好きだと言って、その唇に自分のそれを重ねようとしたら…
***
…目が、覚めた。
なんつー夢見てんだ俺。
屯所内の自室の布団の中。ぼう、とする頭を必死に回転させて夢の内容を思い出す。
…何故、夢の舞台が見たこともない教室?なるものだったのか。
そもそも野球?なんてモンも委員会なんてモンも知らねーし。なんだったんだ…今の夢。
「副長!山崎退、ただいま戻って参りました!」
「…あァ、後で報告書出しといてくれ」
「了解です!」
その言葉と共に食堂を後にする山崎を横目で見やりながらハァ、と一つ溜め息を吐く。
朝飯についている納豆をかき混ぜながら頭を過るのは忘れられないあの夢で。
…ナマエ。女のことをそう呼んでいた俺は今よりも少し若かったか。
だが確かにアレは俺自身だった、間違いねェ。それから、相手の女も。俺同様、幼い顔をしていたがアレはナマエだった。
…何故だ?ただの夢とは思えない。
ぐっちょぐっちょ、気付けば混ぜ続けていた納豆の姿が全く見えない状態になっていた。まずい、と一旦混ぜる手を止める。
現在、俺は一人でいつもより遅い朝食を取っていた。
…あんな夢を見たせいか、いつもの時間に起きれなかった。最悪だ。
それだけじゃない。今日は常に持ち歩いているMYマヨネーズを部屋に忘れた挙げ句、昼からは総悟と見廻りだ。
取りに戻る元気さえ無く、どっと押し寄せる疲労にまた一つ溜め息を吐く。…今日マジでついてねェ。
何も考えたくなくて、再び納豆(もうほぼ泡しか見えない)混ぜを開始するとスッと目の前に現れた影。
徐に顔を上げて見ればそこには今しがた思い描いていた、俺の疲労を倍増させてくれる奴の姿があって。
「おはようごぜーやーす、土方さん」
「…おう」
「どうしたんですかィ?朝から陰気な面しちゃって。あ、そうだ。土方さん、もしかして今日ナマエさんの夢でも見てやした?」
「は、はァ!?何だイキナリ!」
な、なんで知ってんだコイツぅぅう!誰にもあの夢の話なんざしてねェのに…いや、待てよ。まさか、まさか!
「…俺、なんか言ってた?」
「なんかって?」
「いやその、寝言…とか」
「あぁ…そういや部屋の前通る時聞こえたなァ。ナマエ、好きだ〜って」
ニタリ、真っ黒い笑みを浮かべてそう言った総悟に全てが終わった…と悟る。
それから奴は飄々と、だからナマエさんにそうメール送っといたんで。と追い討ちをかけるから尚更。
「…なんて日だ」
ポトリ、納豆がついた箸が隊服のズボンに落ちる。…コレ、昨日洗ったばっかりなのに。
しばらく現実逃避の旅に出ようと思う、今日この頃です。
end
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