mononoke | ナノ
花魁の花扇さんへの挨拶が終わり部屋を出れば、ひの依さんがどうだった?と心配そうに迎えてくれる。
私は心配させないように笑顔と頷きで返した。
すると一緒に部屋を出た雪埜さんがひの依さんに言う。


「こいつの名前は椿だよ」
「え……」


やっぱり“椿”というのに何かあるのだろう。
ひの依さんまでも戸惑いを見せる。
しかし次の雪埜さんの言葉に顔を綻ばせた。


「いいかい、部屋を同じにするから色々あんたが教えてやりなよ」


雪埜さんが去り、ひの依さんが「部屋に案内するわ」と、嬉しそうに手を引いてくれる。
そして曲がり角を曲がった時、新たな遊女が立っていた。


「まぁ、騒々しい。ひの依ったら……まるで手の付けられない禿[かむろ]のよう」
「……綾織さん」


綾織さんと呼ばれた人は上から見るように私達を見る。


「あら、見ない顔。名を申せ」


私に問われ焦るが、直ぐにひの依さんが助け船を出した。
「今日来た椿でありんす。声が出ないので、聞きたいことがあればわっちに……」


その言葉に、みるみるうちに綾織さんが顔を歪めていく。
冷めた目で見られ、背筋がぞくりとなった。


「椿ねぇ……下品だこと。首の落ちる縁起の悪い名を貰ったのね。
ま、声が出ないとなれば、ぬしにはお似合いの名でありんしょう」


皮肉たっぷりにくすくすと笑い、去っていく。
呆気にとられる私に、ひの依さんが困り顔を向けた。


「気にしなくていいわよ。
あの方は五つ年上の綾織さん。気位が高くて男の選り好みも激しい方なの。
花魁きどりよ。あんな人花魁になれるわけないけどね」


綾織さんが去っていった方に向けて、べっ!と舌を出し
再びひの依さんは私の手を引いた。



案内されたひの依さんの部屋は、客を入れる部屋とは違うのだろう。
花魁の部屋とは違って生活に必要な物があふれていたが、それらは綺麗に整えられていた。
「楽に座って」と言われ、その場に腰を下ろす。


「夜見世まで少し時間があるわね。
使用人に膳をふたつ持ってくるようお願いしてくるわ。ゆっくりしていてね」


ひの依さんが部屋を出て行く。
私はふう……と息を吐いた。


(疲れた……)


自分はいったい何をしているのだろう。
なんで江戸時代にタイムスリップしてしまったのだろうか。


周りを見渡し、また溜息。
もう自分の口からは息しか出ない。
その時、目に付いたものにハッとした。
慌てて鏡台に近付く。


(これ…!)


鏡台の下にあったのは、此処に来る前――古本屋で見た人魚姫の絵本だった。
手にとってパラパラと見る。


(なんで此処に?てか……綺麗)


確かに同じ人魚姫の絵本なのだが、その時見たものより色鮮やかで新しく見えた。
今までの現実と自分を繋げる、唯一の物だと思え、
途端に手放すのが惜しく思える。


人の物を盗むなんてこと、普段は絶対にしない自分だが、
まるで自分の体ではないかのように手は動き、そっと絵本を帯に忍ばせた。

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