夜見世――。
外と格子で仕切られた部屋に通され、もう暗くなっている時刻なんだということに気付く。
そして、私を合わせて二十人はいるだろうか。
こんなにも遊女が居たことに驚く。
しかし、花扇さんの姿だけは無かった。一番位の高い花魁だからだろう。
遊女が格子から見えるように並んで座れば、徐々に男の人が集まりだす。
私はひの依さんの隣で目立たないようにうつむいて座った。
するとこっそりとひの依さんが耳打ちした。
「椿、ちゃんと愛想見せないと」
「…………」
「お客が取れないと下のお店に流されちゃう。
まだ慣れないだろうけど……頑張って」
「…………」
下のお店……これ以上辛い目にあうのだろうか。
しかしそれ以上に、右も左も分からない現状で、信頼できるひの依さんと離れ離れになってしまうのだけは避けたくて、渋々顔を上げる。
途端に声が掛かった。
「お!新入りじゃねーか!
別嬪[べっぴん]だぁ!わしゃあいつがいいね!」
声を張り上げた小太りの男に、使用人だろうか……男の人が近寄る。
「椿は一分二朱でございます。
しかし、声が出せませんがよろしいですか?」
「は?声が出ぬのか。
それじゃやめだ!声が出ぬとつまらんではないか」
その言葉にほっと息を吐く。
声が出ないことに救われた。とてもじゃないがあんな気持ち悪い人に買われるなんて……嫌だ。
身震いすれば、斜め前に座る綾織さんと目が合う。
「残念でありんすなぁ、お似合いの方が選んでおくんなしたのに」
くすくすと周りからも笑いが起こる。
(うう……女のいじめ程怖いものはない)
しゅんと下を見た時、
「おや。これは……素材が良いとは思いましたが予想以上でしたね」
突然の聞いたことのある声が耳に入り、ビクリとなって声の主を見る。
格子越しには――私を売った男がいた。
「―――…ッ!」
「そう睨まないで下さいよ。
知らない男に付いて来た貴女が悪い」
(ひどい……)
「そうですねぇ、お詫びとして……私が初めての客になりましょうか」
にやりと、笑う。
『そんな…!!絶対嫌だ…!』
恐怖で顔を反らし、背中に嫌な汗をかいた時。
この場が少しざわめき、遊女達が色めいた。
綾織さんが立ち上がるのを視界の端に捉える。
「今宵を、わっちと共に過ごすのはどうでありんす?」
綾織さんの気に入る人でもあらわれたのだろうか。
今までに無く優しげな声音だ。
刹那、新たな男の声――…
「いえ、私は‥あちらを」
(あれ……この声)
驚いて顔を上げる。
すると目に入ってきたのは信じられない光景だった。
綾織さんが私を睨み、格子越しには私を指差す新たな男。
――――うそ。
その男は、浅葱色の着物を身にまとい大きい荷を背負う、面妖なまでに色のある男。
……私はこの人を知っている。
すると突然私を売った男が割って入った。
「お待ちを。アレは私が先に買うのを決めたので、退いていただきたい」
「ほぉ……。
では、私はアンタの倍の値を‥出しますが」
「……っ。
……ふ、ひとりの女に馬鹿馬鹿しい。
それならば私が身を退きましょう」
身売りの男は呆れたように踵[きびす]を返し、去っていく。
一方目の前に残った人物から目が離せないでいれば、視線が交った。
途端に私の心臓が早鐘を打ち出す。
『……くすりうり』
思わず出ない声でその人の呼び名であろうもの呟けば、
相手の、隈取りのように朱が入った切れ長の目は、ゆっくりと細められた。
――これは夢なんじゃないだろうか。
この時初めて私は、無意識に頬をつねるということをした。
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08.07.27 tokika