人 魚 姫 ― 二の幕 ―
戸を開き、私の前に現れたのは雪埜さんだった。
着物を着せてもらっている私を、上から下まで品定めをするかのように見て、満足そうに口を開く。
「うん。よく似合ってるじゃないか。
これで口が利けたら文句無しなんだけどねぇ」
「…………」
「ん?なんだい。
何か言いたいことでもあるのかい?」
私は頷き、ゆっくりと伝わるように口を動かした。
『おとこの、ひとは』
「男?あぁ、あいつはもういないよ。女衒[ぜげん]だからね。
ちなみにあたしは此処鈴蘭屋の女将、雪埜だ」
(ぜげん……?何なんだろう)
「……もしかして、状況が飲み込めてないのかい?
あんたは廓[くるわ]に身売りされたんだよ」
「………!!」
やっぱり……!
あの男に騙されたんだ!!
私は今置かれている状況をハッキリと理解した。
傘を差し出してくれた男は、江戸で雨宿りの場所を用意するという名目で私を誘い、遊廓に売った。
最初からこのつもりだったのだ。
絶望的な現状に、怒りとも悲しみともいえない感情が渦巻く。
しかし声を出すことは叶わないため、抑えきれない感情は涙となって落ちた。
「あーもう、あんたはもう此処の遊女なんだ。涙は客に対して使いな!
そういやあんた、読み書きはできるかい?」
読み書き……。
確かにできるが、ここは江戸の遊廓だ。
あの、人魚姫の絵本に書かれていたような昔の文字のことを指しているのだろう。
それならば、とうてい無理だ。
涙を必死で堪えながら横に首を振る。
「はぁ、声が出せないんだから余計にでも出来てもらわなくちゃ困るよ。
本当、七つの時に来てくれてたら教養がついたろうに」
「…………」
「ま、おまえは色が白いし顔が良い。まず実践から入ろうじゃないか」
「……!」
ショックで目を見開く。
実践とは、男の人の相手だろう。
「もう今日にでも出てもらうからね。
そうそう、花魁[おいらん]の花扇[けせん]に会わせないと。
ひの依、髪と化粧を済ませたら花扇の部屋に連れて来ておくれ」
「あい」
ひの依さんの返事を聞いた雪埜さんは私達を残して出て行った。
とたんに緊張の糸が解れ、涙がぼろぼろと出てくる。
そんな私の髪を、ひの依さんは優しく撫でるようにすいた。
「美しい髪ね。まるで樺茶[かばちゃ]色」
(かばちゃ…?)
「知らないかしら。樺茶染めっていう人気の染物があるのよ。殿方に流行ってる色だわ」
「…………」
元気付けてくれているのだろうか。
優しい声音に他愛無い会話……。
『ありがとう』
出ない声でお礼を言い、涙を手で拭う。
辛いのはひの依さんも同じなんだ。
私が落ち着いたのを感じ取ったのか、ひの依さんはそっと話す。
「花魁の花扇さんだけどね、気位は高いけどそれは素敵な方よ。
心配しなくても大丈夫」
(ああ、ひの依さんて……なんて優しい人だろう)
ぎこちなかったかもしれないが、私は笑顔でひの依さんに頷き返した。