(……ここは?)
また居る場所が変わってしまった。
今度は椿の花の装飾が見るものを惹きつける、六畳程の和室。
部屋の中央にはお酒や料理が用意されていた。
部屋を飾る装飾は違えど、薬売りに買われ雪埜さんに案内された部屋と同じに思える。
周りを見渡していれば、傍にある障子が開いた。
慌てて隠れようと思うが、生憎そんな場所は無かったため立ち尽くす。
するとそこから入ってきたのは、見知らぬ女性と、沙流々だった。
(やばい…!)
更に慌てるが、ふたりは此方に目もくれず
料理の前に腰を下ろした。
――私の姿が見えてない?
(……あ!)
知らない女の人。
しかしよく見れば、先程自分が着ていた椿の刺繍の着物を身にまとっていた。
一方今の自分を見ればひの依さんから借りている着物姿。
――もしかして。
さっきまで、あの人の中に自分は入っていたのだろうか。
黒髪で、椿という名がよく似合う可憐な印象の人。
予測だが、あの人が亡くなった椿さんなのだろう。
私は……過去を見ているのだろうか。
椿さんが傍にある紙と筆を手に取った。
やはり声が出ないようで、意思疎通を図るために使うらしい。
しかし沙流々さんは、その行為を止めるように
そっと椿さんの白い手の上に自らの手を乗せた。
「すみません、私……まだ字は‥読めないんです」
「…………」
「本当に、すみません」
椿さんが困ったように視線を落とす。
そしてゆっくりと口を開いた。
『名前……』
「あ、名前……そうですね。
私はCharles[シャルル]と言います」
名前なら書けますので、と紙と筆を借り
“Charles”と“沙流々”の二つを書いた。
「私、日本の浮世絵に 惚れて。
時春さんの所で、勉強させてもらっているんです。
そこで先生に……こちらの“沙流々”の名を頂きました」
椿は頷き、自分は椿だと口ぱくと字で教える。
「美しい……日本の花‥ですよね。お似合いです」
椿さんは驚き、片言で紡いでくれた褒め言葉に嬉しそうに微笑んだ。
沙流々さんもその様子にほっとしたように笑む。
初恋でもしているかのような初々しいふたり。
此処が遊廓だということを忘れてしまうくらい、
淡く優しい雰囲気に満ち溢れていた。
――――――――*
あっという間に時間が経ったのか、使用人が布団をひいていった。
ふたりの距離が縮まる……。
やはり見てはいけないだろうと思い、目を反らす。
本当なら部屋を出ていきたいくらいだが、何故か自分の意思では障子は開かなかった。
「……やっぱり……やめます」
途端に響いた沙流々の声。
驚いてふたりを見れば、椿さんも驚いたように沙流々を見ていた。
「私は……他のお客と 同じに思われたくないので」
「…………」
「‥手を繋いで寝ても 良い……でしょうか」
椿さんは驚きを隠せず、肯定も否定も返さない。
「……子供 みたいですよね」
落ち着かないように癖のある髪をかく。
そんな彼の頬は少しばかり赤みが差していて、
遊女と楽しむための一興というわけでは無いことは直ぐに分かった。
椿は初めてのことに最初は戸惑いもしたが、くすりと笑い頷きを返した。