mononoke | ナノ
また、場面が変わる。
ふたりの出逢いから少し時間が経ったのだろうか。
変わらぬ六畳程の部屋に、親しげに寄り添うふたりの姿。


一緒に居るだけで幸せ……そんな風に感じられる。


「椿、実は読み書きも勉強して、絵本を作ったんだ」


突然そう言って懐から取り出したのは、
綾織さんが燃やしてしまった人魚姫の絵本。
思わず私は身を乗り出す。
椿さんが凄い!と言いたげに瞳を輝かせて手を合わせた。


「ありがとう。椿のお陰で頑張れたんだ。
君と文で会話もしたかったしね」


その言葉に椿さんは笑顔を浮かべ、ぎゅっと沙流々に抱きつく。
沙流々も瞳を細め、幸せそうに抱き締め返す。


ゆっくりと触れ合う体を離し、お互い照れくさそうに笑った。


「これは……人魚姫っていうんだ。
人魚って知ってるよね?」


その問いに椿さんは紙と筆を手に取り、
さらさらと流れるように文字を書く。


“知っています。
半分猿で半分魚、或いは全身鱗に覆われた人面魚。
日本の妖怪ですね”


文を読んだ沙流々がくすりと笑った。
むっと椿さんが唇を突き出す。


「確かに日本ではそうだ。
でも、私の国に伝わる人魚は……違う」
「…………?」
「人魚は、上半身は美しい女性の姿をしていて、
脚が在るべき場所には魚の尾がついているんだ」


沙流々が絵本のページをめくる。
すると美しく描かれた人魚の姿。
椿さんが息を呑んだ。


「これは、海の中で暮らしていた人魚が外の世界に興味を持ち、
人間の男性、王子と出逢い恋をするお話」


“素敵ね”


「でも、結末は悲しいんだ。
人魚は海に住む魔女に人間にして欲しいと願い、
人間の足と引き換えに、美しい声を失った。
王子と一緒に暮らせて幸せな日々を送ったが、結局王子は他の女性と結婚をした。
王子を殺せば人魚に戻れたが、結局それは出来ず
人魚は海の泡になってしまう……」

「…………」

「これは、私が考えた物語ではないんだ。
私の国で作られ、伝わる……おとぎばなし。
これを、椿に持っていて欲しい」


「…………」


声が出せずに悲しい結末を迎える物語――人魚姫。
これを自分が持つことにどういう意図があるのかと、人魚姫を差し出す沙流々を
椿さんは恐る恐る見つめた。
すると信じられない言葉が返って来た。


「私は……これから君に逢えない」
「……ッ!」


椿さんの目が見開かれ、動揺する瞳からは直ぐに一筋の涙が流れた。
その様子に、沙流々は椿さんの手を引き
自分の胸の中に収める。


「どうか……この本を持って、待っていて欲しいんだ。
椿、君を……身請けしたい」


先程とは違う理由で目を見開く。
身請けとは、遊女を買うこと。
遊女が十年という年季を迎える以外に、唯一自由になれる方法だが
それには大金が必要なはずだ。


「君を、本当に愛している。
女将さんから全部聞いたんだ……君は喉に腫瘍が出来て声が出ないのだろう」
「………っ」
「君を身請けして、私の国で手術をしたい。
此処日本より医療は発達している」
「…………」
「このままでは手遅れになるかもしれない。
此処にいては他の男達にも抱かれてしまう。
そんなの……耐えられない」


力強く、椿さんを抱きしめる。
椿さんも先程とは違う涙を流し、沙流々さんの背中に腕を回した。


そして、頷く。


「待っていて……くれるのか」


また、頷く。


「……っありがとう。この絵本を売って百両必ず集めてくる
その時まで、この絵本を……持っていてくれ」



――人魚姫が沙流々の手元に戻ってくる時
それは、この物語と自分達が完全に違うものになるときだ。


ゆっくりとふたりは身を離し、
沙流々さんの手から人魚姫が椿さんの手に渡った。
そして……触れるだけの口付けをふたりは交わした。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -