THE LAST BALLAD | ナノ

side.L I wish you were here

 漂う過去の記憶、男は水面に揺らぐ意識の中でこれまでの日々を思い返していた。
 あれはいつの記憶だったのだろう、もう遥か昔の事なのに、今も鮮明に覚えている。
 これが走馬灯なら。優しい夢の中で。
 思えば思うほど、愛を知る事がこんなにも痛いと知りながらも何故、どうして人は愛を求めずにはいられないのだろう。何故、愛を求めてしまったのだろう。

 過去の自分は孤独だった。心を許せる瞬間など無く、常に力だけが全ての世界だった。
 ガキの頃、一緒に暮らした男から生きる術を学んで生き延びてきた。
 あの地下街で生き延びる為に。
 幼い小さな手にナイフを握らされ、「この世で一番偉いのはこの世で一番強いヤツなのだ」と教え込まれた。
 そして、あの男の言葉の通りに生きてきた。
 愛を知らないままで居られたから強く居られた。
 守る存在があると人は動けない、戦えない。
 だからこそ、孤独を貫いた。
 そして、孤独は強くあろうとする気持ちに寄り添ってくれた。

 ――「リヴァイ、」

 優しく、愛しい存在を思い浮かべて男は深い深い意識の底に身を沈めた。
「俺も怖い」
 初めて口にした、愛する者へと微笑みそうして手を握り合いながら。失う恐怖を知り、そして失った。そして今度はつなぎ止めて、幾度ももつれ合うように抱き合い確かめ、重ね合った2人の日々が、あの夜がもう薄れていくようにこの命も儚く消える。遥か遠くに感じた。
 どうして、いつも、いつも、この心は一緒だと誓い合った。臆病な二人は、失うことが怖くてただ重ね合った。そんな日々の果てに。
 それでも抱き合う瞬間だけは、ウミの心に確かに触れた気がした。この5年間の空白を埋めるにはまだまだ、時間がかかるだろう。

 これは過去の記憶。
 そして現在へと、エルミハ区までの移動、大勢でぎゅうぎゅう詰めで乗っていた馬車はもう自分と司祭しかいない。少しでも妙なことをすれば即座に風穴を開ける。そうして綺麗な装飾を施された銃を手に男は見つめていた。
 馬車に揺られながら向かう先、戻って来たトロスト区が懐かしく感じた。まだ完全ではない足を引きずりながら壁が破壊され大変な騒ぎとなっている一度危機を切り抜け巨人から栄光を取り戻したトロスト区。ウミと地上に出て初めて連れてこられた場所、そして愛を確かめ合い、その手を離した場所。

 地上に出たら添い遂げると交わしたウミとの約束。地上に出て贈った揃いの指輪が静かに光る。ふたつでひとつの完全に自分達だけのその環。
 目ざとくそれを見つける者、密やかな噂としてやがて波紋となり大きく大きく、広がっていくことになる。

 ▼

「司令、ピクシス司令。起きて下さい」

 そのトロスト区の壁上では、異常事態を聞き付け至急に対策本部を設置して調査を行う部下たちを待ち続けそのまま夜を明かした酔いどれの姿があった。壁上で座り込みグーグーいびきをかいて眠るドット・ピクシスの姿があった。その背後から近づくのは彼の副官を務める駐屯兵団の参謀アンカ・ラインベルガーがあろうこと過剰感であり最高責任者のピクシスのつるつるのスキンヘッドをぺチンと叩いたのだ。

「ここで寝たら体壊しますよ?」
「ふぐ!?」
「いつの間にこんなに飲んで……」

 まさかこんな緊急事態でも飲んでいたなんて。命の危機をリスクを抱え命懸けで調査に走り回っている者達に示しがつかないではないか。急いで酒の空き瓶を片づけるアンカ。ピクシスは未だ寝起きで頭が回らないのか、それとも酒がまだ残っているのか呆然としている。

「もうお年なんですから……私は司令のおしめのお世話をするなんてイヤですよ?」
「美女に世話してもらえるのなら望む所じゃ。して、状況は?」

 アンカに怒られたばかりだと言うのにこりもせずにグビグビと一気に酒を流し込むピクシスにアンカは呆れたように状況を報告したのだった。

「第一・第二防衛線に巨人が現れなくなってから索敵を送っているのですが、それでも殆ど巨人を見つけられなくなったそうです」
「ふむ…壁沿いを走ったハンネス達の先遣隊が無事であれば、帰り着くのはもう直かの…。もしこの時間に着くのなら、丁度クロルバ区との中間で引き返したことになるが、その場合はやはり巨人との遭遇も少なかったんじゃろう?壁に穴が開いていたのならそうはいかんじゃろからの」

 懐中時計を手に冷静に時刻を確認しているとその時、立体機動装置のガスを蒸かしながら大きな体躯の男が背後から姿を現した。調査兵団現団長のエルヴィンだった。彼とこうして話すのはエレンの審議所での秘密の朝の散歩以来だ。

「ピクシス司令!」
「ん? おぉ エルヴィンか。例のねずみっ子を一匹捕らえたらしいの」

 ピクシスが立ち上がると、とうとう引きずり出した壁内の破壊をもくろむ知性巨人の本体の一人を多数の犠牲者とストヘス区を荒らしながらも捕縛したエルヴィンをねぎらう様に手をかけた。

「えぇ……しかし……あと一歩及びませんでした」
「しかし、あれで中央の連中は考えるであろうぞ。古臭い慣習と心中する覚悟が自分にあるのかをのぅ」
「えぇ……そのようです。見て下さい、ついに憲兵団をこの巨人のいる領域まで引きずり下ろすことが叶いました」

 そうしてその壁下には緊急事態だと徴収された一角獣の団服を背に背負った憲兵たちの姿があった。エルヴィンが引き連れここまでやって来たのだ。調査兵団前団長のキース・シャーディス団長でも、ウミの父親ですらそれは成し遂げていない。改めて彼の手腕をピクシスは労った。

「そうじゃ、とうとうあのリヴァイの小僧が婚約したと風の噂で聞いたぞ」
「直接報告したかったのですが、やはり噂が広まるのは早いですね。リヴァイを贔屓にしている貴族たちまで拡散されなければいいでしょうが」
「なぁに、あの男が貴族の女に振り向くような性格ではないじゃろう。クライスの小僧がな、わざわざ知らせに来てくれたんじゃ」
「クライス」

 エルヴィンの脳裏に浮かぶ。共にリヴァイやハンジよりも長い期間人類の領域に挑み駆け抜けてきた手練れの多いミケ班たちをまだ疑惑が溶けるまではと隔離する際の監視に任命した。それ以来消息不明のミケ班たち。救援に向かったハンジたちは間に合ったのだろうか。そして壁内の隠された本当の歴史を知る貴重な人物であるクリスタ・レンズの救出も。

「して、式などはどうする予定なんじゃ?」
「そういいつつ本当は酒を飲みたい口実ではないですか」
「そうだ。めでたい宴の席じゃ。こんな時だからこそ少しでも明るい話題が、人類の希望になるような話が欲しいと思っていたからな。あの男も、彼女もきっと自分の娘の晴れ姿をみたかっただろう。代わりに見届けねばな、」
「そうですね…。ただ、事情は大きく変わってしまいました。なので、しばらくはその話題は噂のままとしておきたい。互いに思い合うのは自由です、ですが…ウォール・マリア奪還の目的を果たす為にはあの2人の存在はなくてはならない、今の調査兵団には欠かせない貴重な戦力です。まずは自分たちお互いの幸せの為ではなく、この壁内の人類の為に心臓を捧げて欲しいと私は強く望みます」
「そうか、残念だが、今はおぬしの言う通りじゃ。まずはこの事態を収束させ、そして最終的に来たるマリア奪還に向けて動かねばそもそもの未来はないのだからな」

 愛し合うことを望むふたり。
 しかし、それは今この現状を前にしてそれでも愛することはもう許されはしない。
 あの地下街でただ寄り添い合っていた日々はもう終焉を迎え、これからあの二人が向かうは死の最前線である。例えどちらかの命が失われたとしても命の限り戦い続けなければならない。

 エルヴィンの記憶。調査兵団に入団したエルヴィンの傍にはいつも幼い彼女が居た。たどたどしく愛らしい声がいつも自分の周りを走り回っていた。自分には無縁の存在、誰よりも勇敢な、かつて愛した、最愛の女性の大切な忘れ形見。
 かつて大好きだと微笑んでくれた天使は自分の手を離れそうして走り去っていってしまった。彼女を腕にだくあの男の眼差しに包まれ美しい女性へと成長した彼女をまだ、ここで失うわけにはいかなかった。そう、そして彼女にはこれから多くの活躍の機会がある。女型の巨人と交戦した時、やはり思った。
 彼女は「女」としての幸せではなく、「兵士」としてその命を捧げてこそ、価値のある存在なのだと。
 しかし、引き裂こうとしてもその愛は余計に離れはしないと強固なモノとなる。ならば、調査兵団の、そして壁内の人類の未来を担う者として、団長として、自分は部下たちを引き連れ地獄へと誘う悪魔になろう。
 彼女の幸せではない、人類が存亡するための大切な鍵を失わないために。

 人類存亡の危機にようやく動き出し、そしてエルヴィンの言葉で中央から引きずり出して来たのは内地の憲兵達。見せかけの立体機動装置を装備して、巨人に遭遇したことも巨人の本当の恐怖を知らないない憲兵達。いざ夜通し馬を走らせ今人類の最も突出した地区に来てみれば、肝心の巨人の姿が見当たらないという情報が錯綜し、駆け巡っていた。
 待機するリヴァイ達に巨人はどこだと、それはそれは厭味ったらしく下品な笑みでにやにやと憲兵達が絡んで来た。

「オイオイ……非常時だと聞いて来てみりゃ……ずいぶんのんびりしてるじゃないか」
「なぁリヴァイ。俺らの獲物はどこだ?」

 その言葉が憲兵共の口から出るとは思わなかった。わざわざ中央から駆り出されたというのに待機を命じられて暇を持て余した肝心の巨人が居ないと言うことを皮肉っての質問だろうか。くるりと振り向いたリヴァイは一瞬面食らったように巨人の恐怖を知らない憲兵達からの意外な言葉に驚いていたようだった。

「何だ?お前らずいぶんと残念そうじゃないか。悪いな、お目当ての巨人と会わせられなくて。今回の所はまぁ残念だったかもしれんが…壁外調査の機会はいくらでもある。調査兵団は常に人不足だからな。これからは力を合わせて巨人に立ち向かおうじゃないか、」

 リヴァイは涼しい顔で告げる。そんなに巨人と戦いのなら一緒に壁外調査にでも行こうと、遠回しに死地へ行こうと、さらりと告げられ、ゴロツキとして地下街では無敵のそして今や調査兵団兵士長として君臨する男の言葉に放たれた無言の威圧感に蛇に睨まれた蛙のように偉そうにふんぞり返っていた憲兵団達は一瞬にして言葉よりもその獰猛な視線に睨みつけられさっきまでの威勢のよさは消え、戦慄していた。

「まぁ……あれだ……俺達にも内地の仕事が――」

 淡々と口にしたリヴァイの冗談には聞こえない言葉とこれまでの経験で培ってきた無言の圧力にさっきまでの威勢はどこへやら。途端に口ごもる憲兵たち。

「そうだ、お前、あの死神と婚約したんだとな」
「何? そうなのか?」
「お前なら女ならごまんと群がってるのに……お前もいつかあの女の不幸の巻き添え食らうぞ」

 そして、2人が密やかに育んできて愛を交わしたことは憲兵達の間でもその噂は持ちきりだった。
 幼い頃から調査兵団として過ごしてきた。内地での仕事があるからと逃げようとした憲兵達は何も言い返せないのをいいことにあろうことかウミの名前を出したのだ。巨人に絶望的な死をもたらすとして、幼い頃から両親に守られてきた彼女を非難する声から庇う両親はもういない。憲兵との間の深い深い溝。それは5年ぶりに調査兵団に戻って来たウミの噂と共に新たな批判の的となっていた。彼女が分隊長として多くの兵をいたずらに死なせたと、彼女を恨む者も多い。憲兵は死とは無縁の兵団なので現役時代の彼女を知る者が多い。そして、地下街のゴロツキあがりで今や人類最強として恐れられている自分と結ばれた事で尚の事その小さな背中には罵声の言葉が降り注がれていた。

「憲兵と張り合うような生意気な女とよく結婚する気になったな」
「黙ってりゃ、それなりにいい女なんだがなぁ…誰も扱いきれねぇよな」
「分隊長になったのは実力じゃなくてあの両親が居たからで…今じゃもう大好きなパパとママに泣きついたり出来ねぇがな」

 言いたい放題言いやがって。
 リヴァイは凄んだままこんなにもウミが批判の的になっていることを改めて感じそして決意する。ウミと初めての出会い。そして偶然地下街で刃のない地上で横流しされ手に入れた立体機動装置を手にした時のあの嬉しそうに街を飛び回る姿の流れるようにまるで背中に羽が生えた空想上の天使に見えた。
 彼女は死神ではない、かといってやはり天使でもない。彼女は本当にどこにでもいる普通の良き血の通った人間なのだ。
 誰よりも優しくて、寂しがり屋でそして人の生き死に敏感で傷つくことを恐れている…調査兵団も兵士も関係ない、誰よりも人間らしい不器用な自分の大切な唯一添い遂げると誓った存在。

「そうだ……あいつは今も変わらず俺の女だ。お前たち憲兵の元薄汚ぇ師団長に強姦されそうになった、な。お前らこそその口の利き方を改めるなら今の内だ。そんな風に、俺の女の事を悪く言う奴には……お仕置きしてやらねぇといけねぇからな。俺は今この通り使い物にならねぇが……。まぁせいぜい、他の憲兵の連中にもよろしく伝えておいてくれ。すぐに元気になるからな。そして、俺の妻の話をするときは背後に気を付けろよ」

 リヴァイは静かに吐き捨て、未来の夫の手前口を慎めとその威圧感だけで黙らせた。昔の自分だったら愛しい恋人の悪口を言う輩など、ウミを守るように片っ端から殴り飛ばしていたと思うが、今この状況でもめ事を起こしてどうすると言うのだ。
 更に憲兵との仲を悪化させるようなことがあってはならない。調査兵団存続の為に、そしてウミの悲しむ顔は見たくはない。殴らなくとも黙らせる方法ならいくらでも。
 ウミの話を安易に口にするなと表情は変わらないのに、淡々としたその口調で静かに睨みつけられる方が憲兵達には末恐ろしい。近くにいたジャンもその会話が聞こえていたのか、改めて人類最強と呼ばれるこの男を怒らせるのがどれだけ恐ろしい事なのか、ひしひしと身を持って思い知るのだった。
 その証拠にさっきまでああだこうだ文句を言っていた憲兵共はもう何も口にはしなかった。重い沈黙に包まれる兵士たちの空気を遮るように一人の兵士が大声で待機中の兵士達へと叫んだ。

「先遣隊が帰って来たぞ!! ピクシス司令に伝えろ!!」

 急ぎ馬を走らせて戻って来た先遣隊の報告を受けてリヴァイはその場から立ち去るように兵士たちを引き連れピクシスの元に向かった。

「か……壁に穴などの異常は見当たりませんでした」
「そうか……やはりのう」
「し、しかし……大変な事態になりました!」

 慌てて馬を走らせトロスト区に戻って来たのは先遣隊の一人と、そしてサシャだった。2人はよほど切羽詰まった状況を伝えるべく急いで戻って来たのだろう。水を飲み干し先遣隊の兵士が喋っている間もサシャは延々と水をがぶ飲みしている…。
 やはり、壁に穴は見つからなかった。だとしたら巨人たちは一体どこから湧いて出てきたと言うのか。その言葉にリヴァイは眉を寄せた。果たしていったい何が起きたと言うのか。

「我々はトロスト区に報告に向かう帰路でハンジ率いる調査兵団と遭遇しました!その中に装備を着けてない104期の新兵が数名いたのですが……その中の! 3名の正体は……巨人でした!!」

 まさか、エルヴィンが、リヴァイが、ピクシスの顔色が変わる。疑問を残しながらまた新たなるそれ以上の脅威が発生したことを告げるその言葉。その言葉に激しく動揺したのはエレンの替え玉となりかつての同期のアニ扮する女型の巨人捕獲作戦に参加した104期生のジャンだった。

「は……何言ってんだあんた!? あいつらの中に……まだ!? さ、3人って…誰が!?」
「あ……その……」

 焦ったように問い詰めるジャンの姿に押し黙るサシャ。サシャはまだ状況を把握しきれていないのだ。アニが女型の巨人の正体だと言う事もまだよく整理しきれていないのだ。戸惑っているのも無理もない。それにジャンもジャンで三年間共にした104期生の中に壁内の破壊をたくらむ知性巨人が潜んでいるなんて。アニが女型の巨人の正体だった事が確定したのもショックだったのに。エレン達がハンジ班やウミと共に救援に向かった先で隔離された同期の中の三人が巨人だったなんて。
 いったい誰が巨人だったのか、エレン以外に誰が?
 前線に居るミケ班たちと104期生救出に向かったハンジたち、ウミもその中に居る。まさかそっちの方で巨人と遭遇するとは。全員無事なのか。

「(ウミ……)」

 また、彼女は自分のいない場所で巨人の脅威に晒された。信じている簡単にやられはしないと言うことは理解している。今作戦で待機組になったジャンは余計に不安に苛まれていた。焦るジャンを落ち着かせるようにエルヴィンが冷静に諭す。

「ジャン。待つんだ。それで……正体が判明してどうなった?」
「調査兵団は「超大型巨人」「鎧の巨人」と交戦――……我々がその戦いに加わったあと、すぐに決着が…」
「うわっ! 何だこの馬!? 血まみれだ!!」

 その瞬間、突然門を抜け姿を見せたのは白い毛並みを赤く染めた美しい馬がその群れに向かって突っ込んで来たのだ。

「タヴァサ」

 リヴァイが駆け寄るとタヴァサは飼い主の大切な人物だと駆け寄ってきた。馬に好かれるのかそれとも動物はリヴァイが持つ心根の優しい部分を知っているのかタヴァサは怯えることなく彼の元へ向かう、なぜこんなに血まみれなのか。
 巨人の血を浴びたとしても巨人の血は蒸発するから明らかにそれは人間の血、そして紛れもなくウミの大切な愛馬。

 そして…今は確かクライスが乗っているはずだが…自慢の毛並みが今は赤く染められていて何が起きたのか、壮絶な経験をしたのか怯えている。
 宥めるように頭を撫でながら彼女が何を見て何を感じ、そして一人孤独にここまで血まみれになりながら逃げてきたのか。そして、そのタヴァサが背中に乗せていたのは。

「ク、ライス――お前か……」

 もうほとんど巨人に食い尽くされ無残な肉片と化したクライスの半身だった。ワインレッドの自慢の髪でかろうじて彼だと認識できる程遺体の損傷が激しく、下半身は完全に喰いちぎられ、内臓が露出してぶら下がっていた。ずるりと滑り落ち地面に落ちた彼の腕。周囲からどよめきが上がり、戦場とは無縁の憲兵団の一部ではその肉片を見てあまりの衝撃に吐き戻している者までいる。それが予見するものは。まさか実力者で調査兵団でも貴族出身でありながら訓練兵をスルーして入団した中でも腕の立つクライスがやられるなんて。誰もが重く口を閉ざしこの先に待つ現実がどれほど過酷なものかを改めて覚悟した…。サシャもジャンもかつて卒業模擬戦闘試験で一緒に過ごし、トロスト区奪還作戦では共に補給室で戦いを乗り越えた上官の壮絶な遺体に言葉を失っていた。

「今は、まだ弔っている場合ではない。ここに居ても仕方がない、ハンジの班と合流しよう」

 そう告げクライスの姿を気にしつつも今置かれた現状、巨人が出現して交戦したハンジたちが気がかりだ。
 故郷を奪った巨人と再び相まみえたウミ。彼女も無事だろうか。エレンを死に急ぎ野郎に変えた凄絶な過去、トラウマ、そしてウミの笑顔の裏に押し隠した激しい憎しみ。巨人へ余計に深い憎しみを抱くことになった抱き続けていた…
 慌ただしく動き出す兵士達。その群れの中でリヴァイは運ばれていくクライスの半身を見届けていた。
 なんだかんだ、互いに罵り合いながらもイザベルとファーランを失いウミと離れ傷心状態の彼に声を掛けてきたのはクライスだった。
 気休めにウミに似た女性の働く酒場に連れていかれたのは余計なお世話だったが、孤立していた彼を調査兵団の輪の中に引き込んだ。自分と夜を共にしたいと、資金繰りの貴族の令嬢に対して男色だと噂を流したのも彼の余計な親切心だった。まるで年の近い弟のような存在だった。
 しかし、もういない。死んだのだ。
 まさか彼が死ぬなんて、俄には信じられなかった。これは何かの間違いなのではないかと思う程。
 ならば他のミケ班の面々は無事なのか。ウミは、最後の生き残りの腹心の部下の死を知った時、どう感じるのだろう。
 役職はない一般兵の中でも抜きんでて実力があったクライスがやられるなんてただ事ではない。いったい何が彼を……。
 その時、クライスの腕に握られていた封書に気が付きそれを抜き取った。
 血で汚れていて見えないがそれは紛れもなくクライスの認めた遺書だった。

 ――「遺書だぁ?バ−カ、んなもんいらねぇよ。それにな。俺はそう簡単に死なねぇよ。良い男は死ぬ時はいい女と腹上死って決まってっからな、はっはっはっはっは」
「(馬鹿野郎……普通に死んじまってんじゃねぇか……)」

 遺書なんか残さねぇ主義だと言っていた男が残した文章に目を通す。相変わらず見かけにそぐわない癖のある女みたいな文字だ。その内容を読み上げながらリヴァイは言葉を失った。

「……オイ、」

 死人に口なし。クライスはもう何も語らない。
 そして真実も知らないまま、突如として湧いて出てきた巨人たちのそもそもの因果となった、巨人の王の存在を。そして、そいつとの迫る決戦の足音がひたひたと近づいていることを、まだ、リヴァイは知らない。

 ▼

「おう。エレン、起きたか」

 巨大樹の森の中、木の幹に座るライナーとベルトルトの姿が目覚めたエレンのエメラルドグリーンの瞳に飛び込んで来た。
 そのエレンの隣にはユミルが座っており、そしてー…エレンの視界の先には縄でぐるぐる巻きに拘束され木に縛り付けられてぐったりとしたまま動かないウミの姿があった。

「オイ……嘘、だろ」
「ああ、立体機動装置は奪ったが暴れられたら危険だからな。ああするしかなかったんだ」

 その腰まで長かった髪はあの衝撃で全て消し飛んでしまって、今はもう肩上で揺れるだけという無残に傷つき服も蒸気でボロボロの変わり果てた姿になっていた。

To be continue…

2019.10.30
2021.02.07加筆修正
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