THE LAST BALLAD | ナノ

#42 遠ざかるあの日の影

 5年前、シガンシナ区。
 残酷な現状から離れた懐かしい故郷は酷く穏やかで、白昼夢のようだった。
 あの抜ける様な青空の、美しい空の下。一番外の真白の壁に囲まれた世界が全てだったと。
 いつもと変わらず壁は聳え立ち、これは紛れもなく夢なはずなのに、懐かしくて、置かれている感覚が、まるで自分は穏やかな5年前の頃に戻って来たようだった。

「ミカサ……ウミ!!」
「アルミン、どうしたの!?」

 誰にも言わずに調査兵団を去った頃だ。ミカサと並んで買い物をしていると、半べそをかきながらアルミンが助けを求めるように二人の元に駆け寄ってきた。

「ウミ、あっ、ミカサ……エレンが……!! エレンを助けて!!」
「エレンがどうしたの!?」
「エレンが例の三人組に……僕が買ったパン取られちゃって……。それで取り返しに一人で……止めたんだけど――!! あ、待って−!!」
「ミカサ!? 女の子なのに駄目よ!!」
「あっ、ウミ!! ウミだって女の子じゃないか!!」
「私はもういいの、とっくに女は捨ててるから」
「ダメだよ!! そういう問題じゃないよ」

 “エレン”その言葉以外に興味を抱かないミカサは彼のピンチを聞き付け、アルミンに買い物かごをを押し付けるとそのままくるりとアルミンが来た方角に向かってダッシュして一直線に駆けて行ってしまったのだった。追いかけるように走り出すウミ

「ウミは来なくていいから大丈夫だよ、ただでさえ怪我して調査兵団引退したんだから! 喧嘩に巻き込まれたら僕がウミのお母さんに殺されるかもしれないし……」
「大丈夫だよっ。お母さん車いすなの人なんか殺せないでしょ、それに…クソガキ共の喧嘩だよ? 大したことないでしょ」
「えっ!?」
「あっ、何でも、ないの…」
「ほんとに、どうしたのウミ!? ずっと思っていたけど調査兵団から戻ってきてからウミの口調、時々乱暴いや、とっても乱暴、だと思うんだけど、まさか、調査兵団で何か、あったの?」
「ごっ、ごめんごめん…、ついつい。あ、ほら、同僚に口が悪い人が…居たからそれが移ったのかもしれないね。気にしないで。ほら、行こう」
「ごめん…いつも、いつも…自分で取り返せばいいのに…エレンとミカサに助けられてばかりで…もう自分が情けないや…」
「アルミン、そんなこと言わないで。アルミンは誰よりも賢くて優しい子だから、別に喧嘩できなくたって口で言い負かしてやればいいのよ。
 喧嘩はエレンとミカサが専門なんだから、任せておけばいいんだよ、男の子は喧嘩だけが強ければいいってわけじゃないの。英雄になんかならなくていい、男として大切な人を守れるように、そして一途に思い続ける事が大切なんだよ」
「大切な人、」

 苛められてばかりの自分を恥じているアルミンにウミは諭す。アルミンは非力だが臆病ではない。勇敢で誰よりも知恵があり、彼はきっと将来その博識な頭脳でみんなを導く大きな存在になるだろう。

 口調が「彼」に似てきていることを指摘されながら、ウミは自分は未だ彼の口調を無意識に言葉にしている事で彼を未だ忘れられていないのだと感じていた。酷く懐かしかった。
 地下街で共に過ごした2人を、そして最愛の父を失い、そして残った自分と彼、が調査兵団の主力として頭角を現したことで、自ら離れた。
 彼に出会って自分は色んな意味で本当に変わった。だんだん口癖も似てきて彼と同じ仕事をして。一緒に地下の街を駆け抜けた日々が遠く感じた、潜在意識に楽しかった頃の記憶として、そうして刻まれているのだろうか。
 よく夫婦は長い間同じ時間を共有することによって表情や口調がだんだん相手に似てくると誰かが言っていたことを思い返していた。もう戻れない道を選んだのは自分。これからは静かにゆっくり、彼の思い出を胸に生きていこう。
 愛された記憶があるからこれからも生きていける。彼の輝かしい未来の為に。

 駆け抜けるシガンシナの街はいつもにぎわっていて露店にはいろんな商品が並べられている、その広場はいつもシガンシナ区の住人たちで溢れていて、平和ボケした駐屯兵団のハンネス達が業務を放棄して休憩という名の酒瓶片手に呑んだくれている中でエレンがアルミンをいつも苛めている年上の悪ガキ大将に対して怒りを露わに詰め寄っていた。

「アルミンのパン、返せよ!!」
「だから言ってんだろぉ?もう食っちまったって。なぁ?」
「あれはアルミン家の3日分のパンだぞ!」
「嘘だろ? あれっぽっちで?」
「止せよ、可哀そうだろ。ジジイと二人暮らしでまともな飯も食えねぇんだからよ、ゲロで良ければ返してやるよ。ウェ〜〜〜〜」
「何だと……!? だったら…弁償しろおお!」

 吐いて返すとゲロを吐くマネをしたガキ大将にエレンが頭突きをお見舞いしてそのまま投げ飛ばすと、吹っ飛んでいく悪ガキが露店にそのまま倒れ込んだ。
 ガキの喧嘩で商品を傷つけられてたまるかと露店商のスキンヘッドのいかつい風貌の店主が昼間から広場で酒を呷りポーカーに明け暮れているハンネス達駐屯兵団たちに早く弧の喧嘩を辞めさせるようにと怒鳴りつけた。

「おい、やめろ! おい! そこの酒食らってる兵士さんたちよ! 喧嘩くらい止めろよ!」
「う〜るせぇなぁ…。ガキがじゃれ合ってるだけじゃねぇか、」
「これのどこがじゃれ合いだよ、早く止めろー!!」
「まぁまぁ、大丈夫だよ。多分もうすぐ俺達より頼りになんのが来る」
「あぁ?」
「エレーン!」

 誰よりも早いスピードでエレンのピンチを察知してやってきたミカサとそれを追いかけるようにミカサに助けを求めたアルミンとそれを追いかけウミが到着すると、エレンを殴ろうとした悪ガキに向かってワンピース姿だと言うのにお構いなしにミカサの強烈な蹴りが炸裂し、悪ガキはそのまま思いきり蹴り飛ばされていった。その威力は店主の酒瓶を割り、ぶら下げていた大きな酒瓶も割れてしまっている。
 突然やって来た見た目は儚げで艶やかな黒髪の美しい美少女がまさかこんなに喧嘩が強いなんて聞いていないと、それ以来恐れられているミカサの登場にいじめっ子たちも戦慄している。
 蹴とばされたいじめっ子は半べそを掻き、その光景を見てハンネス達は大いに爆笑している。

「ミカサだ…!」
「ミカサ! お前なんで!?」
「エレン、早く帰って薪割りしないと。またおばさんに怒られる」
「コイツ…女の癖に舐めやがって!!」

 怯える悪ガキにアイアンクローを決めたままカサがエレンにそう促すと、背後からミカサに殴りかかる悪ガキをアイアンクローを決めたままの状態で器用にひらりと避けてそのままもう一人に投げつける。
 毎回毎回ミカサに助けられるなんて、そんなの男として情けない、エレンには逃げると言う手段はない、取り押さえようとしたアルミンを突き飛ばしエレンは立ち向かっていく。

「エレン!! ここはミカサに…」
「でっきるか!!!!!!」

 ミカサに喧嘩をしてもらうなんて一度喧嘩を吹っ掛けた自分が、どんな不利な状況だとしても絶対に逃げない、そう決めたのにプライドが許さないと危険を顧みずに無茶を承知でどんなに図体のでかい相手にも臆せず掴みかかっていくエレン。

「いいぞぉー!! エレン!」
「ミカサに負けてんなぁ!」

 ミカサと共に喧嘩をおっぱじめる2人を煽るのは兵士であるハンネス達。まるで酒飲みの余興だと大いに盛り上がる彼らをウミが睨みつけながら駆け寄り叱りつけた。

「ちょっと、ハンネスさんたち、早く喧嘩を止めてよっ! また憲兵が来るじゃない」
「なんだよ、それならお前が止めりゃあいいだろウミ!どうせ調査兵団辞めてから巨人との生活から離れてだいぶなまってんじゃねぇのか?たまには暴れたって構わねぇぞ!」
「いいぞ! やれ! 元分隊長!!」
「そ、それは…、私…きゃっ!!」
「さっさと止めろって言ってんだよ!! 俺の店を何とかしろよ!」

 その時、暴れる子供たちによって露店を滅茶苦茶にされた店主が怒りを露わにこっちに向かって酒瓶を飛ばしてきたのだ!それは綺麗にウミの後頭部に命中し、割れた破片が飛び散り、ウミは頭からつま先まで割れた酒瓶によってずぶ濡れになってしまった。

「さっさと止めろって言ってんだよ!! この無駄飯食らいが!」
「何だとぅ!? てめぇ、もういっぺん言ってみろ!!」
「ああ、言ってやる!! 税・金・泥・棒!」
「……てめぇ、やりやがったな……ぶち殺すぞ、ハゲ」

 その露天商の言葉に、くるりと振り向いたウミはもうさっきまでの笑みは消え、全身ずぶ濡れで、目は完全に据わり、その額には青筋が浮かぶほど拳には並々ならぬ怒りが満ちていた。その言葉と共に飛んだウミの強烈な回し蹴りが露店商に命中し、体格もお構いなしに重みのあるその蹴りによろめいた隙を見てハンネスが殴り掛かった。

「よくやったウミ!!」
「誰が税金泥棒よ! 少なくとも調査兵団は違う!! 命を懸けて人類の未知の領域に挑んでるんだ!! 調査兵団を馬鹿にする人間は全員許さない!!!!」
「あんにゃろう」
「止せ、本当の事言われただけじゃねぇか!」
「ウミ! やっちまえ!」
「……もう頭にきた。ぶっ潰してやるからかかって来い!!」

 ハンネスも加わり周囲もそれに便乗して応援して大いに盛り上げ始めたのだ。
 ガキの喧嘩から大人達まで広場での殴り合いの喧嘩に発展する始末で。シガンシナ区の街は混乱に見舞われ、ウミが蹴りを見舞えば、ハンネスが殴り飛ばし、露店商もやられっぱなしではない。

「露店商にしとくにゃあ惜しいパンチだな!」

 顔面をぶん殴られたハンネスが親指で鼻血を拭い、晴天の下、エレンとミカサにハンネスとウミという大人達も加わって、焦点を巻き込んだ大乱闘にまで発展してしまった。
 そもそもの原因である3日分のパンを取られたアルミンは自分が奪われたパンのせいでここまで大騒動になるだなんてと青ざめ、とんでもない事態になってしまったとどうすることも出来ずにいる。もうとりつくしまが無い。最初は争いを止めようとした温厚なウミまでもが完全にブチ切れてしまい、暴れるウミを見て誰も手が付けられない。調査兵団にいた時よりも生き生きと関節技を決め派手に蹴りをお見舞いしているその姿に唖然とするばかりで頭を抱えるアルミン。
 自分より何倍も体格がある相手でも構わずミカサは難なくすいすいとパンチを交わして受け止めた相手の力を利用してそのままぶん回す。

「ウミ! やりすぎだよ! 止めなよ……もう、いい大人なんだから!」

 ウミは子供のアルミンにいい大人だからやめろと指摘されても止めない。もう完全にスイッチが入ったのか、エレンを守るために戦うミカサと背中合わせに共闘し、ボロボロになっても戦うエレンに助太刀するようにガキどもの喧嘩に果敢に飛び込んで子供相手に構いなしに掴みかかりそのまま転がるように投げ飛ばす。
 ハンネスも酒に酔いながら拳と拳で露店商と殴り合いしている。商店を巻き込んだ大騒動を聞き付けた憲兵が慌てて笛を鳴らした。

「コラァ! お前たち何をやっている! やめんか!」
「アルミンのパン!返せよ!!」

 掴みかかりもみ合いになる中でエレンは押し飛ばされ地面に背中を打ち付け悔し気に顔を歪めていた。

「こらぁ!!」
「おいぃ……なんか大事になってるぞ……!」
「もういい! 逃げるぞ!」
「エレンももう帰ろう!」
「待てよ!」
「エレン、パンのことはもういいんだ! ありがとう!!」

 エレンを引きはがして無理やりやめさせようともういいと謝意を述べるアルミンが止めさせた。
 しかし、追いかけてきた憲兵にさすがにまずいと感じたのか、慌ててミカサに完膚なきまでにボコボコにされた悪ガキたちは慌てふためき逃げていく。どこか遠くを見ていたウミに話しかければウミは驚いたようにアルミンを見つめ返してようやく冷静さを取り戻すのだった。

「エレン、ウミ。私たちも帰ったほうがいい、」
「ごめん。……ああ……私、またやってしまったのね…」
「大丈夫。ウミのお母さんには黙っておくから気にしないで」

 元兵士が派手に喧嘩に立ち回ったなんて知れたら…青ざめるウミを冷静に戻すミカサ。しかし、エレンは逃げ出した悪ガキを追いかけそのまま走って行ってしまったのだ。

「お前らは先帰ってろ!」
「エレン! 待って!!」

 ミカサが叫んで追いかけようとするもエレンはその手をすり抜けて悪ガキの後を追いかけ行ってしまった。伸ばした手は空を切りミカサが追いかけようとするも憲兵に制止されそれは叶わない。

「エレン! 待ちなさい、1人じゃダメだよ!」

 その合間をするりと、小柄な身体で交わしてミカサの代わりにエレンを追いかけていくウミの背中も遠くなっていく。

「エレン――――――――!」

 いつも、どうして。
 エレンに置き去りにされて、悲痛な声で叫んだミカサの声は慟哭のようだった。エレンがいなければ生きている意味が無い、エレンがいないこの世界、まるで迷子になってしまった小さな子供のようにミカサは1人に絶望し、悲観にくれた。
 叫んだこの声はもうエレンには届かない、エレンはミカサの手の届かない場所まで走って行ってしまった。あの時からいつも置き去りのまま。
 幼いミカサは夢の中で泣いていた。どうしてエレンはいつも私たちを置いていくの?と、張り裂けそうな思いに胸を痛め叫び続けていた。

 ▼

 鎧の巨人と超大型巨人と交戦から既に5時間が経過した。
 壁上は今は激しい戦いの果てに大きな損害を残して嵐が過ぎ去ったかのように静まり返っていた。
 アルミンは一人、膝を抱え静かにミカサの目覚めを隣で待っていた。エレンからもらった大切な赤いマフラーそれを枕にして。
 超大型巨人が鎧の巨人の叫びと共に落下した衝撃はまるで爆発のようにすべてを巻き込み一瞬で戦闘を終わらせた。
 爆発したその勢いは凄まじかった。美しい人形のような顔に傷を受けたミカサが長い睫毛を震わせてガバッと勢いよく壁の上で目を覚ました。その周囲には超大型巨人の爆発に巻き込まれ横たわるハンジ班たちの姿があった。

「ミカサ!?」
「アルミン、エレンはどこ?」
「ミカサ! 落ち着いて…」

 エレンが居ない。最後に閉ざした記憶の中でエレンの姿が無いことに不安に苛まれ周囲を見渡して静かに探していた、突然襲い来る断続的な頭痛に見舞われ、そのミカサの元へアルミンが慌てて駆け付けた。激しく頭を打った筈だ、いきなり動いては脳へのダメージが深刻だ。

「アルミン! エレンは!? どこ!?」

 ものすごい剣幕でアルミンの胸倉を掴み、いなくなってしまった大切な幼馴染で、彼女にとってすべてであるエレンの居場所をアルミンに問いかける。どこを見渡しても見当たらない彼の姿にただ、ただ、胸が痛い。

「ミカサ落ち着いて! 動くんじゃない! まだ怪我の度合いが分からないだろ!」
「う…」

 慌てて先ほどまでエレンがライナーと死闘を繰り広げていた壁の下を覗き込めば、壁の下の地面には大きな穴が空き、そこには巨人が居てこちらを見上げて手を伸ばしていた。

「エレンは!? どこ!?」
「エレンは連れ去られたよ。ユミルも、そしてウミも、ベルトルトとライナーに……」

 アルミンは静かにエレンが連れ去れたその時の様子をぽつりぽつりと語り始めた。軽傷で唯一意識を保っていたアルミンが、誰も守れなかった自分を悔むように膝の上で拳を握り締めて。

「超大型巨人――……ベルトルトは落下の衝撃と同時にその体を一気に蒸発させたんだ。その熱と風圧で下にいた僕らは一時再起不能となるダメージを受けて、上にいたハンジ班の人たちもしばらく近付けないほどの一撃だった。その中で、辛うじて見えたのがエレンが鎧の巨人に敗北する姿だった。鎧の巨人だけがあの衝撃に耐えることができたんだ。そして、エレンはうなじごと鎧の巨人に齧り取られた。
 それからしばらくして、熱風が少し収まると同時に超大型巨人の残骸からユミルを抱いたベルトルトが現れた。ユミルと一緒に口に入れたウミの立体起動装置を着けていたんだよ」
「ウミの……どうして!?」
「分からない。だけど、ウミは5年前あの二人の妨害をしたんだってね、その恨みでもあるのかな……。そうやって3人をあの二人が連れ去っていったんだ…それから……もう5時間は経ってる」

 自分が再起不能のダメージを受け失神している間にそんなひどい状況になっていたなんて。重い沈黙に包まれながらミカサは静かにアルミンに壁の向こう、ウォール・マリアの咆哮へと消えていったエレンの身の安全を暗示ながら静かに問いかける。

「5時間も……? 誰か……その後を追っているの?」
「……いいや、」
「どうして!?」

 重い沈黙の果てに静かに否定した彼の両肩を掴み顔を近づけるミカサのただならぬ剣幕に圧倒されるアルミン。かけがえのない存在であるエレンを失い、もう今すぐにでも駆けだして追いかけたいだろう。ミカサにとってエレンは常に彼女にとって絶対の存在。
 この美しき残酷な世界の中心で6年前に救われたあの日から全てなのだ。
 は誰よりもエレンを思うが、それは悪く言えば激しくエレンへ執着しているようにも見える。
 しかし、ここで感情的になるミカサに合わせていたらますますミカサは興奮してエレンの為なら自分の命を賭けてでも救わねばと一人で突っ走りかねない。はやる気持ちとは裏腹に、すぐには追えない事情があるのだと冷静に相槌を打つ。

「いいかい、ミカサ……馬をあちら側に運べないからだよ。エレンを取り戻すには馬をあちら側に移すリフトがここに来るのを待つしかない。ミカサは今はそれに備えてくれ……ハンジ分隊長や他の上官が重傷で動けないでいる。小規模でも索敵陣形を作るには、一人でも多くの人手が必要なんだ。手練れは特に…わかったかい?」

 掴んでいた手を離すミカサと同時に頭痛がミカサを襲った。目を抉る様なズキンとした鋭い痛みに襲われアルミンの胸ぐらを掴んでいた手を離しミカサは頭を抱えた、ああまただ。なぜ今になってこの痛みが襲って来るのだろうか。

「うッ……あぁ……。またこれか……」
「どこか痛いの?」
「……いや、頭を強くぶつけたようだけど、大丈夫……。でも、エレンがアニに攫われた時、私はすぐに追いかけ、リヴァイ兵長と戦って……やっと……それでようやく……取り戻せた。でも……5時間も経った後では」

 最悪の結末を予想してミカサは涙ぐみながら少し離れた場所にあるエレンが暮れたマフラーを手に取り首に巻きながらアルミンへと問いかけた。

「ねぇ……アルミン……何で……エレンはいつも私達から遠くに行くんだろう」
「……そういえば、そうだね。エレンは昔っから一人で突っ走って行くんだ。僕らを置いて。きっとそういう星の下に生まれついたんだよ……エレンは」
「……私はただ……そばにいるだけでいいのに……それだけなのに……ウミも居なくなってしまった。助けられなかった……いつもウミは私たちを助けてくれたのに……ウミまで居なくなったら、どうしよう……」

 こんな時に優しく微笑み励ましてくれた。三人目の母のような、大切な年の離れた姉のようなウミも連れて行かれてしまった。寂し気な表情のアルミンと涙を流して悲しむミカサ、酷く落胆する2人の元へとハンネスが野戦糧食を手に優しく笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。

「ミカサ、気が付いたのか!? 腹減っただろ? ほら、食えよ」
「ハンネスさん」
「まぁいつもの野戦糧食しかねぇが……ほら、アルミン」
「ありがとう……」

 ミカサとアルミンに野戦糧食を手渡すハンネスはそれの封を切るとバリボリバリと音を立てて二人の横に座るといつものように野戦糧食を食べ出した。

「うん……まずくもうまくもねぇ……いつも通りだな」

 エレンとウミの居ない空間、悲しみ項垂れる二人にハンネスが静かに話し始めて。

「まぁいつものことじゃねぇか! あのワルガキの起こす面倒の世話をするのは、昔っからお前らの役目だろ?腐れ縁ってやつだよ。まったく……お前らは時代とか状況は変わってんのに……やってることはガキンチョの頃のままだぜ。だろ?」
「はは、街のガキ大将と巨人とじゃ背の高さが違いすぎるよ」
「まぁ……しっかしあのバカはロクにケンカも強くねぇくせに相手が3人だろうと5人だろうとお構いなしに突っ込んでったよなぁ。そんでミカサや兵士に止められる頃にはもうボロボロだ。ただな……、勝った所はついぞ見たことねぇが……負けて降参した所も見たことがなかった。あいつは時々俺でもおっかねぇと思うぐらい執念が強ぇ。何度倒されても何度でも起き上がる。そんな奴がだ……。ただ大人しく連れ去られて行くだけだと思うか? いいや。力の限り暴れまくるはずだ、ましてや敵はたったの二人だ。それに、ウミが居るんだぞ? ウミが居ればエレンは絶対大丈夫だ!  地下街を生きのびてあのどんなにいい女が迫っても相手にすらしないリヴァイ兵長が骨抜きになった人類最強を落とした女だぞ!? 相手が誰であろうと手こずらせ続ける。俺やお前らが来るまでな。なぁ、いつもそうだろ?」

 ハンネスの言葉に落ち着きを取り戻し耳を傾ける2人。親を亡くしてからハンネスは自分達の父親のような存在だった。そして、ウミ。彼女のお陰で今の自分達がある。彼女まで何故連れていかれたのかはわからないが、とにかくあの二人を取り戻す為に。

「俺は……あの日常が好きだ……。いつも飲んだり騒いだり、楽しかったよな。エレンに言わせりゃ、そんなもんはまやかしの平和だったのかもしれんが……。ウミは一般人として、俺は役立たずの飲んだくれ兵士で十分だったよ。あの何でもない日常を取り戻すためだったら……俺は何でもする、どんだけ時間が掛かってもな……俺も行くぞ お前ら3人に、そんでお前らをいつも見守ってくれたウミが居ねぇと、俺の日常は戻らねぇからな」

 ハンネスのその言葉に闘志を燃やすアルミンとミカサは腹が減っては戦は出来ぬとそのまま野戦糧食にかじりつき昨夜から休まず走りっぱなしで飲まず食わずでいたことにまずは飢えを満たすべく貪るようにガツガツと野戦糧食を漁り食いその飢えを満たしこれからエレンとそしてウミを取り戻す為の英気を養い力を蓄えた。

 ▼

「来た……!!」
「おおい、あれは、」
「エルヴィン団長……!!」
「憲兵団まで!!」

 それから数分後、腹を満たした2人は激しい音と振動を立てて馬の嘶きの声に伏せていた顔を上げればそこにはエルヴィンを筆頭にした調査兵と憲兵団の緊急の編成部隊がようやく駆けつけなんと彼らは壁の上をそのまま馬で駆けてこちらに向かってやって来たのだ。エルヴィン団長のお出ましに、身を引き締める一同。ようやく出陣の準備が整い、馬を降ろすリフトも到着していよいよエレンを奪還するための作戦会議が開かれる。

 目を覚ましたモブリットが安堵したようにエルヴィンの元へと駆け寄る。やはり自分達の所属する兵団の上官の存在感は、安心感はとても大きい。

「壁の上を馬で駆けて来るとは」
「確かに、あれが一番早い」

 その言葉に気付けばいつの間にか調査兵団の服に着替えたクリスタ、ヒストリアが居た。彼女自身も命の恩人であるユミルを救出に向かうために、危険を覚悟で乗り出したのだ。

「クリスタ……やっぱり君には残ってほしいんだけど」
「何度も言ってるけど、それは無理。ユミルが攫われたのにここで待つなんてできない。二人にはわかるはずでしょ?」
「クリスタの言う通りだぜ……アルミン。俺達には奴らを追いかける理由が多すぎだろ。俺はまだ信じらんねぇからよ……。ライナーもベルトルトも敵だったなんて。奴らの口から直接聞くまでは……」

 コニーが険しい顔つきで佇んで遠くを見つめていた。昨夜共に危機を乗り越えた仲間だと、自分の村が壊滅したかもしれない恐怖と悲しみに暮れていた自分を励ましてくれたみんなの頼りになる兄貴がまさか...どうしても確かめたいと、そう口にした。

 エルヴィン団長と憲兵が馬から降り、リフト設営をすると次々と馬たちをそのまま壁の向こうへと降ろし、沈黙を破いて着々とエレン救出に向け、慌ただしく動き出し始めていた。

「エルヴィン団長!? 間に合ったのですね!!」
「状況は変わりないか?」
「はい!」
「リフトを下ろせ!」

 その時、目を覚ましたハンジが焦ったようにまだ痛みと全身へのダメージでボロボロのだと言うのにエルヴィンに伝えねばと、しきりに何かを口にしながら這いつくばるようにずりずりとモブリットの足首を掴んだ。その顔はベルトルトが放つ高温の蒸気により普段mのの代わりに身に着けているゴーグルのお陰で目へのダメージは大丈夫だが、酷く熱傷を受けている。

「ハンジさん!?」
「モブリット、ち……地図を……持ってきてくれ」

 比較的軽傷でミカサと同じく爆発の衝撃で気を失っていたモブリットも自分の上官の願いを聞き入れ慌てて地図を用意させた。
 全員で地図を囲み、負傷しながらもハンジがぼろぼろの身体でエルヴィンに指示を出した。

「ここに……小規模だが巨大樹の森がある。索敵陣形でそこを目指すべきだ…まぁ…鎧の巨人の足跡は隠しようがないと思うけど……多分……彼らはここに向かいたいだろう」
「なぜだ?」
「賭けだけど……。巨人化の力があっても壁外じゃ他の巨人の脅威に晒されるようだし、あれだけ戦った後だからエレンほどじゃなくても…えらく消耗してるんじゃないか?アニも寝込んでいたらしいよ。
 彼らの目的地をウォール・マリアの向こう側だと仮定しようか。さらに…その長大な距離を渡り、進む体力が残ってないものと仮定してみよう。どこか巨人の手の届かない所で休みたいと思うんじゃないか!?巨人が動かなくなる、夜まで!」

 ふり絞るような声でハンジが叫ぶ。あの戦闘からもう5時間が経過している。早くしなければ夜になる、夜までに追いつかなければエレンは永久に失われる。
 人類の希望となるシガンシナ区の壁を塞ぐ唯一の手段を持つエレンを失えば、今度こそ人類は終わりだ――……。何としても奪還し、ウォール・マリア奪還への足掛かりを見つけなければならない。

「夜までだ!! 夜までにこの森に着けば、まだ間に合うかもしれない!!」
「行くぞ! これよりエレン奪還作戦開始を開始する!!」

 エルヴィンの言葉を合図に一斉にエレン奪還のために動き出す。命運はすべてをエルヴィンに託し、深刻なダメージを受けたハンジ班はここに残ることになる。

「ウミを……エルヴィン、頼む……連れていかれてしまったんだ。狙いはわからない、たぶん立体機動装置かもしれない。あの子の立体機動装置はタヴァサと共に、二人から受け継がれてきたから多分何かしらの細工が施されている筈…。頼まれたのに、大事な友人のリヴァイの分まであの子を守ると私は約束したのに、私はウミを守れなかった。……もしウミを永遠に失えば、いつかの未来を信じて調査兵団で戦ってきたリヴァイは……」
「動くな、分かっている」

 彼女の苦しみも、そしてリヴァイの苦しみも痛いほどに分かる。
 互いの為にウミは身を引いたのだ。身を斬られるよりもつらい決断をたった一人でまだ若い彼女は決めた。
 そして、それによって彼女はさらなる深い悲しみをその身に受けた。
 故郷もたった一人の肉親も失い突然三人の幼い彼らの親となり、頼りない小さな身体に抱え。必死に懸命にこれまで生きてきた。

 長い長い沈黙の果てに離れ離れだったその絆を、もう一度結ぶことは容易ではなかった筈。様々な葛藤に晒された事だろう。それでも2人はもう一度対話の果てにめぐり逢いすれ違いの果てにまた新たな絆を結び、そして2人はもう二度と離れないと共に生きていくと誓った。
 そんな2人の結婚の話を聞き、とても嬉しかったし、だけど、寂しくも感じた。どちらも欠けてはならない大切な友人だから…。
 この5年間彼を愛するがゆえに離れたウミの気持ちも、さよならも言わずに突然失われた当たり前の存在を無くし崩れ落ちたリヴァイの失意に暮れる姿も、知っている。

 調査兵団の中、いや、この壁の中でも彼は人類最強と言われているが、その人間離れした化け物じみた強さは心までは失われていなかった。
 本当は誰よりも失う痛みを知っている、誰よりも慈愛に溢れた人間で、戦えば戦うほどに研ぎ澄まされる刃、仲間を失う度に誰よりも心を痛めていたのは間違いなく彼だ。
 だから彼は色んな人から慕われ、そして、今調査兵団には必要不可欠な存在として君臨している。

 もう一度うわ言のように、ハンジはエルヴィンに願い出て、そして懇願した。
 どうか彼の、良き友人であり今はかけがえのない仲間であるリヴァイの為に、そして、どうか一緒に連れていかれてしまったともに戦い苦楽を共にした大切な少女の存在を彼に託す。しかし、エルヴィンはある一つの事を口にする。
 この緊迫した状況下で私情を口にするなとハンジへ叱咤するかのように。
 それはこの世界の残酷な現実。

「何故、ウミまでもがエレンとユミルと共に連れていかれたのかはわからない……。だが、簡単に殺されるような子なら今ここにはいないだろう。あの子は過酷な壁外でも、そして絶対に生存が絶望だと思っていた地下街で生き続け脱出の機会を待っていた。そしてあの子の声でリヴァイを調査兵団に引き入れたのは人類にとっても調査兵団にとっても本当に大きな功績を残したと言っても過言ではない。だが、今優先すべき命はただ一つ、エレン・イェーガーただ一人だ」
「ああ、そうだね……理解しているよ。リヴァイには、申し訳ないけれど……ウミの命を考えている場合じゃないってことをね」
「リヴァイは俺たちを許しはしないが理解はするだろう」
「だけど、もし、ウミを失って、エレンを救出することに成功して、ウォール・マリアの奪還を果たしたとしても……その後、リヴァイには何が残るの?」
「……エレン無くしてこの壁の世界の存続はありえない。私は団長として、エレンを奪還する。その為なら、俺はリヴァイに恨まれようが…悪魔になろう。ウミを助けることは諦めろ」

 ハンジはエルヴィンの言葉に力なく項垂れた。
 理解している。分隊長として、今までもそうやって決断し、そして多くの仲間を時には見捨てそうしてこれまでを生き延びてきたのだ。しかし、まだ自分にはほんの少しのマトモな人間の心が残されていたようだ。

 ただ、ウミの良き友人として、共に過ごしたかけがえのない仲間としての自分を殺せなかった。
 ウミとはあまりにも付き合いが長すぎる。彼女を助けに行けない動けない自分の身体、思い通りにならない自分自身が歯がゆく、もどかしかった。

To be continue…

2019.10.31
2021.02.08加筆修正
prevnext
[back to top]