SHORT | ナノ



「不器用な二人は愛し方を知らない」
SHORTSTORY

「ねぇ、どうしてここにいるの?」
 試合の時のままの顔つきをした彼に話しかけられ人の居ない静かなロッカールームに反響する声と共に彼女は彼により壁際に追い詰められていた。
 逃がさないと言わんばかりに自分を囲う彼の普段の穏やかさなど微塵も感じさせない冷たく、地を這うようなその言葉に海の心臓がゴトリと音を立てた気がした。
 小柄な自分よりも上背はあるが、細身で、コートでは非力に見える彼に問われ、明らかに自分を非難するような彼からの問いかけに海は何も答えることが出来ないまま俯いている。
 そうだ、いつも温厚で優しい彼が怒るのも無理はない。自分は彼の役に立ちたかったのだ。それだけだった。誰よりカバディという競技を一途に愛している彼に恋をすることがどういうことが、生きている中で幾度か女生徒から告白をされているであろう彼に好き以上の見返りを求めていた訳じゃない。
 生身の女として彼に愛されるなどと、微塵も思っていないし、今の彼は今、身も心も全国制覇、日本一に向けてひたすらに己を高めているのだ、そんな彼に対して自分を見て欲しいなどと言う筈がない。

 だからこそ、彼と対等な場所で「女」としてではなく、「選手」として何か出来ないか、考えた末にこの身体を使って彼の役に立ちたかっただけだった。姿を隠して黙っていれば大丈夫だと言う浅はかな考え。
 この一生のうちでたったの三年。大金を積んでも二度と戻れない、それだけの価値のある高校生活。恋愛や友達と青い春を楽しむ者達も居る中で、彼は仲間とただ一途に、カバディだけを見つめていた。

「海。黙っていたら分からないよ」
「っ……ごめ、んなさい……」
「謝ればいいって問題じゃない……キミは本当に危険なことをしたんだから……」
 インド発祥のスポーツ。走る格闘技と呼ばれる「カバディ」はまだ世間からすればまだその認知度は低く、マイナー競技である。
 故にその知名度や認識も低く、部員や練習試合の為に人数を募っても慢性的な人数不足が否めない現状。彼の身体にはその人数不足故の負担がのしかかっていた。彼はずっと酷使していた足を痛めていた。
「確かに……そう、だけど……でも! 私は……!」
「僕がいつ男になりすまして試合に出てくれと頼んだ? 慶に口止めまでさせて。……そこまでして……どれだけ危険なスポーツか身を持って分かってる筈だよね。それなのに」
「ごめん、なさい……」
 ただ謝ることしか出来なかった。彼の怒りは最もだ、幾ら成長期が遅れている男になりすましたとしても、所詮海は小柄で非力で、屈強な男たちに囲まれれば体格差で明らかに浮くし、彼女の動きは分かられてしまうだろう。そうなればどんな目に遭うか……。
 そんな危なっかしい助っ人が何の役に立つと言うのか。他の人は誤魔化せても自分は誤魔化せない。
 次々と辞めていく部員、親友が脅して連れて来た助っ人には試合をすっぽかされ、今まで苦労を重ねながら人数不足の中でその負担を背負い彼は戦っていたのだ。
 練習試合に明らかに人が足りないと、思い悩んだ末に親友が連れて来たのは小柄で細身のまだ成長期真っただ中といった風貌の高校一年生の黒髪の幼げな顔立ちの少年。しかし、どうも違和感を感じた。
 そして、事件は起きた、彼が自分の代わりに攻撃レイダーに回った時、彼はかつて自分がやろうとした足を酷使する技を披露したのだ。
 その技を見てすぐに悟った、そして、その助っ人が試合が終わる成り着替えもせずに一目散に逃げるようにコートから去ったことで違和感が確信に変化した彼はすぐにその背中を追いかけ、呼び止めていた。
 そして今に至る。2人の足元に落ちた黒のウィッグがその真実を明かす。はらりと束ねた髪も降ろした彼女の顔が、そこにはあった。

「海……。僕は理由を聞いているんだよ。男に成りすまして試合に参加する人間が助っ人なんて聞いた事無い……慶が押し付けたんじゃない、キミが勝手に決めたんだね……」
「っ……はい」
 彼女とは今まで何回コートでやり取りしたと思っているのか。彼に見抜けない筈が無い。そうして彼女の持つ得意な技を繰り出した出で立ち、姿からすぐ海の姿が連想出来た。違和感の正体が分かればあとは彼女に真相を確かめるだけ。
 もし公式戦で彼女が男に成りすました女だと知られたら、能京は失格になっていたかもしれないと言うのに。男達の屈強な肉体がぶつかり合うカバディという競技において女である海が居ていい筈が無い。下手したら大怪我で済まない。誰も思いもしなかっただろう、あの少年は誰だと、聞こえた声、彼はすぐに気付いた、その目、その黒髪からかすかに見えた彼女の色素の柔らかな髪も。
「キミの身体はもうカバディが出来ない身体なのにどうして無茶したの……?」
「部員が足りない、練習も満足にできない、まともに大会前の練習試合も出来ない……近い未来に廃部になってあなたの夢が外堀囲んで消される姿を見たくなかったの」

 好いた女にまで心配されるほどこの部の未来が危ぶまれていることに彼は苦悩した。

この身体が他の攻撃手レイダーよりも壊れやすい事をただ呪った。

 普段、彼女は自分を名前で呼ばない、もう何年も前からわかっていた。いつの間にか抱き始めた淡い仄かな思い、彼女の思いに答えられないことを見越しているから、この部が置かれている現状を何もかも見透かしたような海に対し無性にイラつき、怒りを覚えた。
 あまり感情を、激昴を露わにしない、穏やかに微笑む彼が試合中に見せる不敵な笑み、カバディを心の底から楽しむ姿、細身の彼に授けられた最強の攻撃手レイダーという名の称号。
 そんな彼が珍しく怒りに任せ、自分の為に理解したふりして身を引くような海の物分りのいいそぶりが許せなかった。

「ごめんなさい、正人」
「はは……普段は僕の事は名前で呼ばないくせに、こういう時に名前で呼ぶのはずるいよ。僕の為に自分を犠牲にするなら、海のその考えはおかしい、どうしてここまで僕のため「好きだから」
「……え?」

 話にならないと、滅多に見せない温厚な彼の明らかな苛立ちは海の気持ちを萎縮させた。普段怒らない人間の怒りに歪む顔ほど恐ろしい物はない。海は震えながらも、正直な今の思いの全てを、彼に打ち明けたのだった。

「正人が好き、ずっと……。好きだった。だから、あなたの望む夢の力になりたかった。でも、あなたの気持ちの見返りが欲しいとか、普通のみんなみたいに付き合いたいとか、そう言う事は思ってない。男に成りすましてでも、あなたの抱えた身体の負担を減らしたかった……。あなたの迷惑になるから、卒業まで、ううん、一生言わないつもりでいた……、ごめんなさい」
「それ、本当?」
「うん……」
「海……」

 その言葉に怒りのボルテージが減少した。愛して止まないカバディ夢中で気付かなかった。こんなにも自分の為に支えてくれた彼女が、まさか自分に対してそんな気持ちを抱えていたとは。
 彼女が自分の傍で優しく微笑んでくれることに、自分は気付きもしなかった。
「いつから……どうしてキミは、僕の事を……?」
 彼の問いかけに、海は静かに答える。彼への恋情を封じてそれでも、不毛な片思いだとしても止められない。見返りなどいらないくらいに彼が好きで、この気持ちを抱いてもたとえ実らなくても、その瞳に自分が映らなくても、離れることは出来ない。女の姿を捨てても試合に出て彼を助けようとした。

「私は正人に救われた。だから、最後まで一緒に居たい。もう男のフリしたりとか、卑怯な事はしないから……私の気持ちに答えようとか、あなたは一切、思わなくていい。嘘をついてごめんなさい。大事な時に、心を惑わせてごめんなさい…。だから、お願いだから……好きにならなくていいから、どうか……あなたの傍に居させて……」
 誰よりも遅くまで残り、ひたすら己の持つ技を一途に磨き続けるその背中に、自分は何も出来ない。自分が思いを伝えた事で彼を苦しめてしまうかもしれない、だから口にしないと決めたのに、脆い決意は儚くも崩れ、自分は口にしてはいけないと言う思いを口にしてしまった。

「海……」

 禁断の果実を口にしたかのように。彼は俯きながら、どこか安堵したかのように自分より頭一つ分小さい海の肩に凭れるように額を乗せていた。

「本当に、海にはかなわないなぁ…」

 彼の顔が眼前に迫る。互いに目線が交わる。恥ずかしそうに俯く海だが、目の前にある整った顔に魅入られ、彼の色白の疲労がまだ残る顔にたまらず触れていた。触れる頬には自分の温もり、温度、と幼い頃の可愛らしい彼のまだかすかに残る面影が残されていた。

「僕が……言うつもりだったのに」
「正人……?」

 苦しげに、互いの思いを吐露する。だけど……二人は――……。今はこんな一時の熱に溺れている場合ではない。

「気付かなくて……ごめん……。だけど、今の僕にはこれしかない。カバディは僕にとっての全てだ、けど、それと同じくらい……、海の事が大切だよ」

 力強く抱き締める、自分よりも華奢な彼女を己の腕の中で囲うように。2人は初めてお互いの思いを確かめあった。
 まさか、彼が自分と同じ気持ちでいたことに海は喜びよりも驚きの方が大きかった。彼はカバディしか見てないと思っていたし、そんな彼を好きになったから。
 一生口にしないつもりで、お互いに性別は違うが、カバディを通して彼と繋がって居られればそれで満足だった。
 付き合ってしまえば、もっと求めてしまう、飽きる事無く、結局いつか来る別れの不安を抱える事になる。このままでいいと思っていた。

 結局、自分は非力な女でしかないのだ。嫌になるほど、思い知らされる現実ばかりが突きつけてくる。容赦なく彼の細い身体には幾つものダメージが蓄積していた。
 彼を守る盾に自分はなれない。
 ならば疲弊した彼の代理となる有能な攻撃の刃になりたかった。女の身では無理なことを、なら女を捨ててもいいと自分はしようとした。
 カバディはひとつ、海という存在が彼の代わりなど、埋めることは出来ない。
 自分の恋が破れる瞬間以上に辛いこと、悲しいこと、自分の気持ちなど二の次でいい。訪れて欲しくない未来、それは彼が苦しむ事、悲しむこと、陥落する姿、夢も、三年間目指してきた目標が壊れる瞬間だけ。
 彼の事を思うからこそ、自分は彼の名前を敢えて呼ばない。自分の本心を隠すように、彼の事を思うから、見返りはいらない。

 初恋は実らない、いや、そもそも彼と自分との間に、恋情は存在しない。そもそもこの愛は始まる事すらないのだから終わる事もないのだ。
 まだ愛の意味の何たるかも分からない。しかし、それが確かな無償なる愛の定義。愛する者の為、敢えて身を引くことも相手を思い合う上で愛さないという選択肢になる。
 お互いの気持ちが引き合う様に、この成就しない恋に口唇はごく自然に、重ねられていた。不思議と悲しくはない、始まってもいないこの感情に名前など付けなくていい。
 悲しい口づけを交わして二人は離れた。これが始まりになる事も知らずに。

Fin.
 2020.07.04
 練習試合で時々参加してた小柄な少年がまさかの怪我でカバディの選手生命を絶たれた夢主で怒る部長
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