SHORT | ナノ



「lost of out ATLAS」
SHORTSTORY

※if 未来設定の話です。

 今日が特別な日だと知り見上げた空、瞬く星。
 だが、今日は見えそうにもない。どんよりした陰鬱な空の下で。今も思い出すのはやけに暑かったあの夏の事。
 ざわめく街の喧騒の中で、今はもう過去の記憶の淵へ追いやって、誰にも触れられないようにと鍵をかけて封印した筈だった。

「えっ、海ちゃんって能京出身だったんだ」
「はい、そうです」
「進学しなかったんだね。となるとまだ未成年かぁ……。高卒で就職って今時珍しいよね。大卒が多い中、どうしてそうしたの?」
「はい……それは……その、勉強が苦手だったので。それに、早く自立したくて」
「へぇ〜そうなんだ、偉いね」
「いえ、」

 今年入社した同期達で行われた交流会という名の飲み会で海は今時の風貌の大卒男にやたらと話しかけられていた。
 他にも女性は居るのに、隣のこの男はどうして高卒のまだあどけなさの目立つ自分に声を掛けて来たのだろう。こんな愛想も何もない自分の事など、放っておけばいいのに。
 迷惑そうに俯きながら、酔っ払ったテンションで延々と話しかけられたりするのが嫌で仕方ないのだと、不快感を髪で隠し、大卒の彼らとは違いこの雰囲気にも不慣れで、まだ未成年で飲めない海はドリンクを飲みながら大好きなポテトを食べて何とかうまくこの場を突破しようとしていた。

「能京ってあれだよなぁ、ああ〜なんだっけ、野球とかサッカーも有名だけど、ほら、去年全国制覇したあのスポーツ、なんだっけ、ずっとその単語叫ぶ奴」

 聞こえたキーワード。聞き覚えのある単語に思わず海は顔を上げて、静かにむっと閉ざしていた唇を震わせてその単語を数年にも感じるくらい久方ぶりに、口にしたのだった。

「カバディ」

 そう告げる、彼の凛としたキャントの声がコート内で響いていた。
 それは攻撃レイダーによる攻撃の合図。彼の口から紡がれる言葉はまるで魔法のように耳に深く染み入るのだ。一番として大将となる能京を背負う彼の攻撃に転ずる掛け声。彼が唱えるその言葉を聞いた者は彼を知り、そして恐怖に震えるだろう。
 全国制覇。日本一。彼が目指していた夢。その栄光の瞬間を迎えたあの日の事は今も覚えている。誰もが成し遂げられないと思っていた悲願を彼らは己の肉体の身で成し遂げ、達成したのだ。その栄光の瞬間の中には……そう、かつては自分も居た。

「ああぁ〜そうだっけ? あれってどんなルールなの? カバディカバディ連呼してればいいんでしょ? ああ……でも、海ちゃんは同じ高校でもルールまではわからないかなっ」

 マイナースポーツと自分とは対照的に酒を飲んですっかり浮かれ気分の男を一瞥する様に、海は抑揚のない声で呟いていた。

「ただ叫んでるわけじゃ無いです…! カバディと言っている間だけ攻撃できるんです。野球やサッカーみたいにまだ日本に浸透してないだけでカバディ人口はじわじわ増えて来てますし、ルールは簡単に言うと走る格闘技、わかりやすく言うと、鬼ごっこです」
「へぇ、さすが! 全国制覇した母校出身なだけあって詳しいね!」
「その前に、私もやってたので……」
「え、そうなの? それって危険じゃない!?」
「そう? そんなことないですよ?楽しいよ、鬼ごっこ。道具を使わない、自分の身体のみで自分より大きい相手が地面に倒れる光景を見てると……ああ、楽しいんだよね。またやりたいなぁ……」



 にこり。そう微笑んだ海のその清楚な外見からはとても想像がつかないだろうが、彼女もれっきとしたカバディ部の一員で、カバディを愛した彼と共に様々な苦難を渡り歩いてきたのだ。
 海の笑みの裏には、かつて競技で戦ってきた経験がありありと浮かぶようだ。もし変なことをしてみれば容赦しないと言う無言の牽制も込めて。
 男は海のその意味深な言葉に若干引いたのか、そそくさと席を立つなり、他の大卒の同期に絡み、それ以上話しかけてくることは無かった。

 カバディという危険なスポーツをやる女子など、野蛮な女だとでも思ったのだろうか。見た目だけでスポーツとは無縁とか、勝手に判断されるのは納得がいかない。
 そもそも、能京はスポーツが盛んな高校だ。何かしらのスポーツ経験はあるに決まっている。自分はただ一人だけの女で、公式の大会には参加できなくても、そう、あの時はただ夢中で、仲間達と一緒に輪になり共に汗を流した。

 部活動を通して絆を深めた仲間は卒業しても、それぞれ違う道に進んでもいつまでも仲間だとは言う。だがそれは、自分に当てはまることは無いのだ。自分は絆を深めてきた彼らから逃げるように卒業した。

 未成年は22時以降は補導対象だ。未成年で高卒社会人の特権を使い、海は21時頃を回ったのを目ざとく腕時計で確認すると、自分の会費よりも大きな金額である一万円札を置いて、逃げるように馴染めない歓迎会から離脱した。
 ああいう飲み会の場や知らない人たちに囲まれて食事をするのは苦手だ。こういう時未成年でよかったと、使える特権は使うに限る。ついでに入社以来、研修やら何やらでやたらと絡んできていたあの大卒の男とも今後は関わらずに済むだろうか。
 最新のファッションや髪形で着飾っても、スポーツとは無縁のなよなよした体躯に甘いムスクの香水が臭くて気持ちが悪くてたまらない。

「あぁ……雨だぁ……もぅ、また……降って来たの?」

 そういえば、今日の降水確率は何パーセントだっただろうか。靴を履き、入り口のすりガラスから外を見れば大粒の雨がコンクリートに降り注いでいるのが肉眼でもわかるくらいの大粒の雨が降っている。
 確か、今朝の情報番組では大雨警報が出ていた気がする。まだ梅雨明けが遠い時期は突然の雨は仕方ない。とにかく、傘を持ってきてよかった。お気に入りの晴雨兼用傘……。

「え……?」

 毎年日傘は買い替えた方が紫外線カットの効果が続くそうだ。ここで日の目を浴びる事になる傘が役に立つ季節の訪れに、海が意気揚々と傘立てに手をかけたその瞬間。
 確かにここに来た時、居酒屋の入り口の傘立てに突っ込んでいた筈の傘が……どこにも見当たらないのだ。

「どうして……何で、無いのっ……?」

 思わずそう口にしてしまった。まさか、あのお気に入りの多少普通の傘よりもお値段の張った傘が盗まれたというのか。
 外の雨足は激しさを増していくばかりだし、どんどん青ざめていく顔にお気に入りの傘の行方を探し求め現実を受けれいたくなくて放浪しながら海は近くのお世辞にも愛想のよろしくないアルバイトに問いかけた。
 しかし、アルバイトは気だるげに首を傾げ、その見た目通り愛想の良くない表情で知りませんと一言、そう返答して厨房へ引っ込んでしまうのだった。
 あまりの態度の悪さに海は怒りを覚える。アルバイトだとしてもきちんと賃金をもらっているその身でその接客態度はどうなのかと店長を呼びつけコンコンと言ってやりたくもなったが、実際にそんなこと言える勇気など自分にはない。
 好きだった人にさえ好きだと言うので精いっぱいで、返事も聞けずじまいの苦い初恋に幕引きをした。高校卒業と共に。

 今日初めておろしたばかりの傘を盗まれた怒りをグッと堪えて、海は仕方なく自分のお気に入りの傘を盗んだか間違えたかは知らないが、持って行った相手を恨んで泣き寝入りするしかなくて。
 しかし、傘が無いとこのまま雨に濡れながら家に帰る事になる。他の人の傘を同じように奪って持って行くことなど出来ない。仕方なく購入したリクルートスーツを着たまま帰路に着くのだった。

「誰よ……もうっ、私の傘を盗むなんて……許さない、もし見つけたら絶対返してもらうんだから……!」

 独り言のように恨みつらみの文句を呟きながら。海は濡れながら仕方なく駅前まで部活時代の名残の脚力で、まるでキャントを切らさず攻撃をする攻撃手のように。軽やかな足取りで夜の街を駆け抜けた。
 駅まで行けば時間つぶしが出来る施設はたくさんある。そこで少し雨宿りすればいい。
 そうして走っているその間にも雨足はどんどん強くなり、まるでバケツの水をひっくり返したような豪雨へと変化した。
 そういえば、駅ビルのモールで晴雨兼用の傘など売っていないだろうか。悔しいからもっといい物を買い直したい。
 閉店時間までまだ間に合うだろうか。今ならまだ駅ビルに入れてもらえるかもしれない。期待を胸に小走りで駅内を走るが、無情にもずぶ濡れの海を残し、モールの入り口から滑り込み入店してくる者達を拒むように海が辿り着いたタイミングで重々しい電子音と共にシャッターがちょうど下りてしまったのだった。

「はぁ……間に合わなかったよ……」

 今日は厄日だ。忘れた筈の高校時代の苦い思い出を思い出させられ、急ぎ帰ろうとすれば傘は盗まれ全身ずぶ濡れ。人もまばらな駅内で濡れて歩いている人は誰も居ない。
 ガクリと項垂れ、すっかりびしょ濡れの髪も靴もそのままに、失意の中で駅ビルを後にする海。駅ビルからまた駅構内に戻ってくると、さっきは気が付かなかったが、駅の高い天井まで大きく伸びた笹の葉が飾られていることに気が付いた。

 高卒で就職してから、大卒の優秀な人たちと比べられながらも研修を受け毎日の忙しさで忘れていたが、そういえば今日は七夕だった。
 七夕と言えば、天の川で遮られた織姫と彦星が再会を果たす日とも言われているが、実際のところはどうなのだろう。2人は本当に一年に一回の逢瀬を楽しんでいるのだろうか。七夕が晴れたのは今まで生きてきた中で記憶に残っているのは去年の七夕だった。
 皆で集まって花火をしたり、小さい笹に願い事を書いて飾りつけをした記憶がまだ新しい。

 振り返るあの頃、迫る現実の波に忙殺され、あの瞬間。今はもう夢のように感じられる。社会人になってから気付いたことがある。毎日の退屈な授業、早く放課後にならないかな。と、毎日指折り数えて過ごしていた学生生活は長い人生からすればたった数年の出来事でしか無くて。今は、こんなにも静かだ。

 夜の21時過ぎ。人もまばらな火曜日の平日。駅前にぶら下がる短冊に書かれた願い事をぼんやり眺めていると、微笑ましい小さな子供の願いから大人の欲望丸出しの願いや、明らかに酔っぱらった思考の人間の書いた支離滅裂な願い事など、多種多様だ。
 海は過去を思い出すかのように、濡れた服のまま短冊のコーナーに向かうと、ご自由にどうぞとカラーペンに色とりどりのカラフルな短冊が置いてあるのを見つけた。きっと明日には撤去されてしまうのだろうか。昨年書いた願い、叶えてくれたのは織姫でも彦星でもなかった。

 去年のやり取りを思い返しては懐かしくなって。もうとっくに忘れたはず、だったのに。今も目を閉じればあの熱い情景が蘇るようで、鼻の奥がツンとなる。
『王城は願い事書かないの? 目指せカバディ日本一!って書かないの?』
『うん……僕は、いいかな。日本一の願いは神様とか織姫や彦星じゃない、自分の手で、皆の力で叶えたいと思うから……。だから、願うなら僕らが誰一人として怪我で欠けることなく、無事に試合を終えられるように、かな』

 綺麗に書かれた短冊に込めた願い。そして、海が書いていた日本一の短冊を手に、王城は、初恋の彼は自分に微笑んでいた。

『この願いは必ず、自分達の手で叶える。海この短冊は僕が預かるね』
『あっ、ちょっと……』
『はい、新しいのあげるから海はもっと別の願い事にしなよ』
『え?』
『ちゃんと留年しないで無事に進路が決まって卒業できますようにって』
『なっ、何それ……! 失礼しちゃうわね!!』

 そうして、彼は日本一になった時、その短冊をくれたのだ。彼の手で、自分の願いを叶えてくれたあの瞬間、思わず自分は彼に打ち明けていたのだ。彼はカバディを愛している、そんな彼の夢の邪魔にはなりたくない、だから、「好き」という感情を殺し、黙って大金を積んでも二度と戻って来ない高校生活を終えようとしていたのに。

 去年までの楽しかった日々、だが、自分は泣きたくなるくらいに今、この世界に一人ぼっちだ。海は思わずその手に、ペンを取っていた。すらすらと書き綴っていたのは、また、叶いもしない叶う事のない自分の本当の、願い。その短冊は誰にも気づかれないまま、その後突然予報外れに空から降って来た雨風に吹き飛ばされてしまっていたのだった。

 だが、もういいのだ。始まる事もなく終わったこの感情。もうこの先、彼に会えることは無いのだろう。進路も聞かずにそのままだったから。
 だけど、もし、叶うのなら……。

「オイ! 大丈夫か! 兄ちゃん!!」

 突然、静寂の中で背後から聞こえてきたのはやたらと声の大きなスーツを着てべべれげに酔っぱらい千鳥足のメタボ体系の男性だった。そして、その男性に助け起こされながら立ち上がっていたジャージ姿の線の細い黒髪の男性。
 どうやらその酔っぱらいとぶつかったらしく、何度も頭を下げながらゆっくり助け起こされて大丈夫だと告げている。その後ろ姿にどこか懐かしさを感じて思わず、無意識にミュールの踵を鳴らしてその薄い背中に近づいていた。

「すみませんでした。僕がぼんやりしていただけなので気にしないでください」
「それにしても兄ちゃん痩せすぎだぞ、ちゃんと食べろよ」
「はい、ありがとうございます」

 そうして、振り向いた黒髪は紛れもなく。本心では遠ざけながらも、会いたくて会いたくて仕方なかった人。だった。
「あれ……海…!?」
「……おう、じょ、う……」

 二人の視線がぶつかる。忘れはしない、心のどこかでずっと、望んでいた。その不明瞭な瞳に自分が映ることを……。先ほど書き終えた短冊を握り締めて、その短冊に書かれていた。願い事の通りに、七夕の夜に降ると言われる催涙雨(さいるいう)が降り注ぐ駅上空の涼しげなステンドグラスで出来た天井に落ちてはまた流れた雨の中。二人は偶然の再会を果たしたのだった。

「ごめんね、シャワーまで借りちゃって、」
「大丈夫。それよりも全身ずぶ濡れで短冊に願い事書いてるからびっくりしたよ……大人っぽくなってるけど、やることは相変わらずな海で安心した」
「も、もう、それは言わなくていいの……!!」
「今日大雨警報出てたのに傘盗まれるなんて本当に散々だったね」
「本当だよ……もぅ、頭に来ちゃうっ」
「犯人見つかればいいけど、傘だと警察も相手してくれないかな」
「何百万もする超高級ブランドの傘ならまた違ったのかもしれないけどねっ」

 それから、全身ずぶ濡れの海を見かねた王城の計らいで、海はずぶ濡れのままの身体にタオルを与えられ、タクシーに揺られて卒業を機に退寮してから今は一人で暮らしているマンションへと到着したのだった。
「先にそのままシャワー浴びなよ。風邪引いちゃうから。」

 彼は風邪を引いたらいけないとすぐにシャワーを貸してくれて、海は雨ですっかり冷えた身体を熱い湯で温めることが出来たのだった。
 浴室乾燥機でスーツが乾くまでの間、ひとまず彼が貸してくれた相変わらずへんてこなロゴのシャツを愛用しているのか、嫌だとも言えずに大人しくその服を借りた。
 彼以外の人があまりにも恵まれた体躯なのでそれに埋もれがちで細身だがやはりれっきとした男性、平均身長以上もある彼と海では体格差も身長差もあるので、ワンピースのように服に着られている。
 胸元も袖もダルダルで、少しでも屈めば胸元の結構際どいラインまで見えそうだ。彼が愛しているのはカバディなので、そんな彼が仮にも異性という存在に興味があるように全く見えないので、そんなものにいちいち反応したりはしないだろうが、一応見せられる側の彼も見たくはないだろうと、考慮し、前かがみにならないように胸元のたるんだ部分を引っ張り鎖骨まで隠した。

「服乾くまでゆっくりしていきなよ」
「うん、ありがとう」

 彼が淹れてくれた温かいミルクティーをコクリと飲み干し、まだ降りやまない雨の音を聞きながら久々の再会だというのに、彼は黙って逃げるように学び舎を去った海を責めることなくお互いの近況を語りあった。決勝戦で負傷した怪我のリハビリも終え、大学に進学してからも全国制覇して日本一の攻撃手としての悲願を果たした日本代表として活躍の機会を与えられ、日々充実しているとの事だった。高卒社会人で大卒の同期にからかわれだだけなのに無性に苛々している自分とは本当に真逆の生活を過ごしている彼にどことなく後ろめたさを感じながら、海は先ほど書いた短冊のことを思い出していた。そういえばあの短冊は何処にやったっけ、確かカバンに突っ込んだはずだ。

「それで……海?」
「はっ、あっ、ご、ごめん……!」
「どうしたの、眠い?」
「ううん……何でもないの……気にしないで……」

 と言いながらも海の目が泳いでいることに気付いた彼は海が何か探している事を知る、そして、にこにこと浮かべていた笑顔から一転して真剣な顔つきになると、そのまま海の短冊をそっとテーブルの上に置いた。

「ごめん、見ちゃった」
「あっ、それは……!」

 やけに雨の音が強く聞こえた気がして。だけど、試合中の時に見せた真剣な顔つきの彼に見つめられ、望んだ通りにその漆黒を秘めた瞳に自分が映っていた。

「去年のみんなでやった七夕の短冊は雨で濡れて駄目になったけど、皆の濡れた短冊の中でね、海の短冊だけは濡れずに居たんだ」
「そ、それはもう……去年の事だから……」
「短冊には、こう。『王城に好きだと言えますように。王城が、幸せでいられますように。』って名前はないけど、この丸文字は海だよね。そして今落ちてた短冊にも同じことが書いてる。その意味くらい、ちゃんとわかるよ。海はいつも傍に居てくれたのに、僕は……カバディの事だけで、いっぱいで、それで、海には色々辛い思いさせて。海が僕ら、僕から離れたのは仕方ない事だと思ってる。連絡先も知ってる、もし連絡先が変わっていても他の誰かから聞けるし、取ろうと思えば取れたのに、海に拒絶されるのが怖かった」
「王城……」
「馬鹿なのは、僕だね。大事なことを海の口から言わせて、それで海を失って離れてから気付くなんて……。ずっと後悔していた。願いは自分の手で叶えたいとか言って、一番の願いを叶えてあげられなかった自分が情けない」

 先程まで懐かしい高校生活の話をしていた筈なのに。今はお互いまるで違う他人になったようにさえ感じる。耳を突き刺すような痛い位の沈黙の中で、彼は後悔していると項垂れながら、目の前の海に向き直る。

「いいよ。王城、もう、いいの。あなたの恋人はカバディでしょう? カバディをずっと、子供の頃から変わらずにあなたは愛してるんだから。私はそんな王城だから……好きになったし、応援したかった……。何処までもひたむきに、ずっと……。自分の目指すものを求め続けるあなたが好きだから、これからも、王城の活躍を応援しているから……私のこれは気にしないで……あ、そろそろ服、乾いたかな」

 はぐらかすように、彼に背中を向けて立ち上がったその時、後ろからまるで、自陣に戻った攻撃手への追撃のように、彼の腕が海の肩に触れ、そのまま背後から彼女を引き寄せていた。他の選手より華奢な印象の彼だが、女の身である自分と比べれば彼は紛れもなく男で、普段見せない精悍な顔つきに海は一瞬で思考を奪われていた。

「逃げないで、海。もう、何処にも、離れたりしないで」
「王城……」

 彼は、海を無くして失意に暮れていた。いつも傍に居て微笑んでいたから気付けなかった。傷つけた後でしか気付けなかった過ちを抱いてずっと今の今まで過ごしてきたのだった。だから誓ったのだ、もしまた海に遭えるのなら、今度はもう絶対に掴んで離さない、と。

「あの日、ちゃんと伝えてればこんなことにならずに済んだかもしれないのに……本当に、ごめん……海」
「あの日って……?」
「日本一になった時に、海の短冊を海に渡したでしょ? あの時、本当は言うつもりだった、僕の口から、ちゃんと海に」

 思いがけず、言葉にした彼の言葉に海は硬直した。まるでその場に貼り付けられたみたいに動けない。彼が自分をいつからそう思っていたのだろう。分からずに混乱する海に彼は尚も続ける。

「そんなに逃げるほど僕が嫌だったの? 海は……」
「ううん、違う、違うよ…私が悪いの……私に勇気が無かったから、だから……」
「部活が無くなってからすぐ受験が始まって、そして海に避けられるようになって、それで気付いた。でも、今更遅いのは分かってる、でも、今日会えたのをただの偶然なんかで終わらせたくない、海…好きだよ」

 これは夢の続きなのだろうか。どうせ叶うわけないと、思いながらも短冊に込めた願いは巡り巡って彼の手により成就したことに。
 抱き留められる身体が以外にも細く見えたけど広い肩に簡単に自分の身体は収まるようで。それに、今自分は彼のシャツを着ている、全身彼の優しい香りに包まれてこれがもし夢ならば、望むならどうか永遠にこのまま閉じ込めて欲しいと思った。

「王城…」
「名前で呼んで。海、」
「まさ、と…」
「あぁ、それいい。たまらない。駄目。もう、帰したくない…もう一回呼んで」
「いいよ、正人」

 催涙雨、それは雨の所為で織姫と彦星の会う願いが叶わなかった涙、だけど、その涙にはもう一つ意味があって。ようやく会えた二人がまた離れ離れになるときに流した涙だとも、言われている。
 二人は、離れ離れだった空白の時間を埋めるようにお互いの思いを一年前に言えなかった気持ちを雨の中で紡ぎ合った。だが、離れたからこそお互いの大切さを痛感した。来年の今頃にはきっと、二人で今度こそ同じ願いを短冊に込めるのだろう。
 願うのなら、これからも、その隣で。

Fin.
2020.07.08
七夕とカバディ連載5周年とアニメ化決定に寄せて……。
こんなに熱くて筋肉マッチョなイケメンたちが己の肉体でぶつかり合って面白いのにどうしてアニメ化しないのかとずっと悶々としていたので。アニメ化決定のニュースが来たときは、とても感動しました。アニメ化をずっと願っていた身としてこれ以上の幸せはありません……!ありがとうございます。
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