SHORT | ナノ



「その執事、ニヒリスト」
SHORTSTORY

※執事とお嬢様パロディ

ある朝の屋敷にて。颯爽と歩く漆黒の燕尾服に漆黒のシャツはきっちり第一まで留められている。
首もとの漆黒のタイを翻し黒髪を朝日に靡かせたそれは中性的で妖しくも美しい顔立ちをした青年がそっとノックをして扉を開けると深々と敬意を払いお辞儀をした。

「お嬢様、お早う御座います。」
「ん…」

「海お嬢様、失礼致します。さぁ、今日もいい天気ですよ。温かいブラックコーヒーをお持ち致しました。」

甘い、甘いテノールボイスがアルフォード家の主人が大層溺愛しているそれは綿菓子の様な可愛らしい令嬢の部屋に響いた。もぞもぞ、柔らかなシルクの布団からモグラの様に顔を出した無防備な可愛らしい小動物の様な少女に執事は長く垂れた前髪から紫紺の長い睫毛に縁取られた瞳を輝かせまたひとつ、妖艶な笑みを浮かべた。

「お嬢様、昨晩はよくお眠りに成られましたでしょう?さぁ、起きましょう。私があの(醜い)主人に、また叱られてしまいます、」

「…う…ん…エミリオ、」

さんざんこの水槽の様な世界で甘やかされた海は唯一自分の話し相手であり遊び相手だった彼を有能な執事としてではなく、

「何だ?やはり…昨夜はやりすぎて疲れたか…?」

「…!!な、なに…をっ…!」

普段はさんざん執事として振る舞い、他人にはとことん無関心の世話どころか奉仕なんか絶対にやらない彼が本当に無防備な時の自分だけに見せるその本当の素顔、毒の様に浸食する優しい声、芳しい薔薇の香りに海は肩を跳ね上げた。

「早く起きろ、今度は…立てなくなるまで骨抜きにされたいのか。」

「…ッ〜!う、うるさいの…あなたのせいでしょ?もうっ、私にいちいち口出ししないで…っ!!」

「その執事を毎晩欲しがるのは海お嬢様…だろ?」
「むっ!」

憎たらしいポーカーフェイスにお嬢様の海は高いプライドをお持ちで、恋人の一面と執事の一面、器用に両方の仮面を使いこなす青年に海はいつも翻弄されているからたまらなく悔しい。ふるふるとニヒルに冷笑うニヒリストに真っ赤な顔でフリルとシルクの光沢が美しいベビードールを纏い海は悔しそうに執事・エミリオを睨みつけると、落ち着こうと差し出されたコーヒーカップに口を付けた。

「…きゃ…!」
「如何成されました、お嬢様?」
「もう、このコーヒー熱すぎるわっ!私が火傷したらどうするのよっ!もう、エミリオはクビよ!!お父様に言いつけちゃうんだからっ…!」

湯気の立つコーヒーを乱暴に戻しぷんぷんと愛らしい顔を真っ赤にしたまま唇を尖らせてふんぞり返る#海はご立腹、しかしそんな仕草が何処か可笑しくも愛しくて、エミリオはポーカーフェイスの下に笑みを浮かべてまた頭を下げ。

「申し訳御座いません海お嬢様。貴方が猫舌と知りながらの無礼…どうか、お許しを。」
「…きゃあっ…!」

甘いマスクにその立ち振る舞いは反則だ。主従関係は自分が主で彼は執事なのに絶対に楽しんでいるのだ。そのまま海に跪くと手を取りそっと掌に甘く口づけを落としたのだから…!
真っ赤な顔で飛び上がった海にエミリオはくすりと柔らかく微笑みコーヒーカップを手に再び何食わぬ顔で一礼して部屋を出て行った。

「(全く、困ったお嬢様、恋人だ。…どうして僕が毎朝海の機嫌を取らねばならないんだ。)」
ガラガラとティーワゴンを引きながらエミリオはワイン色の、この屋敷の主の髪色そっくりの似た廊下を歩きながら内心、毒づいていた。ため息を付き、仕方がないと胸に言い聞かせる。そう、この屋敷に身を置いているのは自分をあの父親…の仮面を被った天上の王からから救い出してくれた自分が、かつて殺めてしまった父親の様に接してくれたフィンレイ・ダグの親友であるこの屋敷の主の恩恵にせめて報いるが為。

「リ、オン…何故、だ。」
「フィンレイ、さ、ま…?フィンレイ様っ…!!」


あの日の無力だった、父親に従うしかない犯した罪の代償は到底計り知れないだろう。それでも今も尚、何だかんだで懲りずに今も実の父親の愛を求めているのだから…。

そんな、見返りのない手ごたえのない愛を、気持ちを満たしてくれたのは…任されたこの屋敷の令嬢海の存在だった。出会ったばかりの頃に比べたらこの無駄に広い屋敷の中で孤独に育ち内気で引っ込み思考だった内面的な彼女にかつての自分を重ねた。やがて彼女と時を共有するに連れ互いに互いの孤独に触れ愛を覚えた。そんな海の我が儘が自分にとっては素直に甘えてくれて心を開いてくれた何よりの証拠であるから愛しくて仕方ない、膝を付くのだ。またあるときは執事として教育者として、そしてまたあるときは令嬢の海に近づく下世た輩を自慢の剣技で斬り捨て影の様に月夜を照らす月の様に海を照らし続ける。愛したい人に使える有り難き幸せ。

「はい、エミリオ。これくらいの温度なら大丈夫よ。」
「すまないマリアン、有り難う。」
「ふふっ、初めて自分で淹れたコーヒーを熱いと言われて残念だったわね。」
「…そうだな、すまない、今夜も付き合ってくれ。
海に僕の淹れたコーヒーを必ず美味いと言わせるんだ。あいつの笑顔が見たい…」

そう呟いた彼の横顔に確かに宿る光。柔らかな彼の笑みにマリアンも優しく微笑み返した。エミリオはメイド長のマリアンから再びシュガーポットを受け取ると風の様に颯爽と自分に熱い眼差しを送るメイドたちの間をすり抜け愛しき少女の待つ部屋の扉を開けた。

「お嬢様、淹れ直したコーヒーと、後はマカロンとプリンをお持ち致しました。」
「またプリンなの…?マカロンも、私は、あなたと違って甘いもの好きじゃないのに…。」

ピンクのサテン地のフリルが付いたベビードールを着た海の白い肌が陽光に煌めき眩しくも艶めかしい。その間にエミリオは繊細な筋張った指先でシュガーポットを持ち上げコーヒーをカップに注ぎふわりと微笑を浮かべた。ぶつぶつ呟きながらマカロンを一口で口にするとプリンは決して口にしないまま人肌に温まったコーヒーを飲み干すと。プリンの皿を執事の彼に差し出したのだった。

「…お嬢様…?」
「だから貴方に。あげるわ、」

スッと差し出されたメイド長が作ったプリンにエミリオは溜まらず生唾を飲む。
そう、密やかに甘党なのは自分と海とマリアンだけの絶対の秘密。

「…要らないなら捨てるわよ。」

海はメイド長が気に入らないご様子だ。
何故ならば先程ご察しの通り。同じ目線で彼は自分に接してくれない…、マリアンには接しているのに。そんな小さな嫉妬心から、だ。しかし、それを口に出来ないのはやはり令嬢には令嬢なりのプライドがあるからだろう。

「お優しい心遣い、誠に有り難う御座います」

大好物のプリンを差し出されエミリオは柔らかく微笑み海の優しさを重々と受け取り頭を下げたのだった。

「お嬢様、ほら、服の釦がひとつずれておりますよ。」

態とだと、貴方の冷たいしなやかな指先で直して貰いたかったからよ、と舌を出したら彼はどんな態度を見せるのだろう。釦を直して貰いながら海は自分の顔に近付いた今にも口唇が触れてしまいそうな焦れったい距離にいる執事の美しい顔に密やかに見蕩れていた。

「ふふふ、如何されました?」
「なっ、何でもないわ…っ!」

「左様で御座いますか。それでは、御主人様のお見送りに行きましょうか。…海、お嬢様。」
「お手を拝借。」

エミリオのエスコートに満更でもなさそうに海は真っ赤な顔で彼の手を取り玄関ホールに向かって歩き出した。

「そう、1、2…お上手ですよ海。」

それから、主を見送った後。今日はエミリオのステップに合わせてワルツの練習だ。BGMは仮面舞踏会。優雅に漆黒の燕尾服を翻し海の手を取る。美麗な容姿にスラリとした着痩せした体躯、彼が仮面を付けたらきっと怪人・ファントムも驚くほど映えるのだろう…海は触れては離れる彼の微笑に真っ赤な顔とたどたどしい足取りでワルツを身体に刻み込む。

「右手は腰に、そう、もっと私に身を委ねて。お辞儀は、こう。」
「こう…?」
「Yes my lady.」
「っ…!!」

狡い男だ。そんな低く、甘い声で…耳元で囁いた執事に海が動揺しない筈がない、年を重ねまた更に男にも関わらずどうして彼はこんなに色香を纏っているのだ…不意を突かれ絨毯に足を挫いてそのまま彼の胸に思い切りもたれ掛かってしまった。しかし、エミリオは決して海を離すことなく軽々と抱き抱えると容易く受け止めてしまった。

「あ、あの…っ」
「大丈夫か。」

低く甘い声に囁かれ、海がぶるぶると首を縦に振ればエミリオはまたひとつ艶やかで穏やかな微笑を浮かべて海を抱き寄せワルツを踊り続ける。叶うのならば…どうかこの時が永遠に続けとただ願うばかりだった。こうして夜は再び更けてゆくのだ…

「お嬢様、そろそろ眠りましょう。」

それから更に数時間後。身支度を終え、寝間着に着替えた海と共に添い寝をしていたエミリオがゆっくり乱れた着衣の皺を整えながら目が冴えている状態の海にまた低く甘く囁いた。

「…未だ眠れないの。」
「どうしたら眠っていただけますでしょうか…ねぇ、」

眠れないと駄々をこねる海の瞳に訴えられうぅんと唸ると、ひとつ何か思い浮かんだのか、枕元に腰掛けるとそっと海の耳元で甘く囁いたのだ、

「では、私が…貴方が眠るまで数を数えましょう。羊が、一匹…羊が、二匹」

まさか、しかし夢ではない、さらりと黒髪を垂らした愛しい人に甘く囁かれ海はただただどうしたらいいのかわからないまま彼の自分の髪を撫でる手つきに身を任せながら戸惑った声を上げるもそれは愛しい彼の低い声に遮られるだけ。

「エ、エミリオ…」
「お休み、海。羊が、三匹。羊が…四匹」

それは果てしなく海が眠りにつくまで行われた。甘い囁き、影の様な。美しい三日月の様な貴方は私だけの執事。

羊を数える執事。何て下らない堕落した洒落を、百回目に愛してると囁いた、しかし、少女は執事の服をしっかり掴んだまま愛らしい寝顔を浮かべて再び眠りについてしまったのだった。全く…困ったお嬢様だ。恋人の身にもなってくれ。無防備な口唇に口唇を重ね、執事から男に。タイを解きシャツから抜いて、お嬢様の…恋人の為に仕えよう。男は静かに部屋を後にした。


Fin.
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