SHORT | ナノ



「CRASH」
SHORTSTORY

自ら声を発し頼まなくても自分の顔以上ある巨大なジョッキには大量のビールが並々と注がれテーブルに所狭しと並んでいる。座敷で胡座をかいたまま表面は冷静に澄ましていたが内心冷や汗を浮かべる。社会人で未だ新人の彼に断れる立場があるわけでもない、そんなの初めから理解している。潰れた振りをしなければこのジョッキは延々と山を作り続けるだけだろう。隠れ甘党の男には凄まじい量の酒に既に世界はホワイトアウト目前、許容範囲など既に超えていた。

そんな飲み会の帰り、散々飲まされふらついた足取りで夜の繁華街を千鳥足で歩く上司をタクシーに任せ帰路に立つ。成人したは良いがやはり酒はどうも苦手だ。

額に手を当て夜空を仰ぐ、年々星が鮮明に見えなくなってきたのはこの空が都会化により汚染されてきたという事だろうか…綺麗に輝く星々…男は無言で星を見つめさらりと涼やかな風にアルコールで火照った身体を癒した。何とか覚束無い足取りをしっかりと支え何とか海沿いのマンションまで辿り着くと漸く一息つく事が出来た。スーツを脱ぎボタンを外しネクタイを緩めラフにカッターシャツを崩すとミネラルウオーターを飲みながらベランダに出てアルコールで火照った身体を柔らかな風が包み靡く。ベランダの手摺りに両手を置き身を乗り出す、視界いっぱいに見渡す先…男の視界には水平線が広がっていた。

海を見ると癒される反面、心が酷く揺さぶられるのは何故か…男、嘗て、リオン・マグナスと畏れられた存在はもう居ない。リオンは瞳を閉じ長い睫毛に揺らぐ先に置き去りにした儚い淡い思い出を握り締めるかの様に抱き締めた。

夢の中の小さな少女、海辺を歩く特別目立つようなセクシーでも誰もが振り返る様な美人でも無いが、儚くて酷く愛らしく優しい存在だったんだ……、

「リオン君、」
「エミリオ君…?」
「…うん、信じてる。
私、エミリオ、はすごく短気で怖いけど優しい人だって事、ちゃんと知っているから。」
「不幸な生い立ちの人は不幸なまま人生を終える?そんなの間違ってる…エミリオにだって幸せになる資格はあるの…っ、幸せになりたいなら欲しがって…私が、ずっと…、…!」


「……っ…頭が割れそうだ…」
…お前は誰だ?
思い出せない、二日酔いで激しい頭痛に苛まれよろめきながら起き上がり何とかシャワーを浴びる、後少し、頭の此処までもう思い出しかかって来ているのに、覗く瞼越しから見える光が余りにも眩しすぎて…

問いかけても答えが返ってくることはない。いつもそう、其処で夢が途切れる。高校を卒業し短大を卒業し無事に就職を果たして毎日休む暇もなく多忙な生活を続ける日々。貪る様に睡眠に耽る。ほとんど自宅には寝に帰ってきてる様な物だ。

不可思議な夢を見るんだ。今も変わらずに、優しい声だけが脳裏を占めて酷く泣きたくなる。夏の日射しの様に輝く季節、笑顔の儘で素顔の儘…、

「リオンさん、」
「…!、あぁ、どうした。」

物思いにも似た酷く切ないノスタルジックな思い出から急に思考が遮られリオンは慌てて、しかし周囲には焦りを悟られない様にゆっくり顔を上げる。其処に居たのは美人で華やかで、職場の異性からも人気である高卒の新入社員だった。最近やたらと彼女と会話を交わす様に、否、一方的に話しかけられる様になったのだが男にとってそれは別に気にも止めないで居た。どうと言うことはない、

「あの…、今晩ご飯食べに行きませんか?」
「…?、何故だ?」
「ご相談したいことが…あるんです。」

相談?意図の読めない物言いに懐は警戒心で剥き出しだ…疑る玲瓏な顔には皺が寄る。ワードを立ち上げながら企画書をタッチタイピングして行く片手間に会話に耳を澄ませるとあまりにも、彼にとってはどうでもいい存在の女からの食事の招待。しかしざわついたのは彼の心ではなく周囲の彼女と彼に向けられた視線だった。

ずいぶん卑怯な誘い方だな、内心毒づきながら男は断れない状況を把握し見事に自分を食事に勧誘した後輩を見つめてため息をつきながらも誘いに応じるしか選択肢は残されていなかった。まるで、愛する人の命を人質に運命の悪戯に翻弄され、そして海底に沈んだ末路の様に。男は周囲から、冷やかされたりする様なタイプではないが周囲から見ても異性から見ても玲瓏な彼は黙って居てても他の人の眼を引きとても魅力的な男性だった。仕方なくリオンは仕事終わりに彼女の相談を受ける事を了承し仕事にまた精を費やした。

「すみません、お待たせしました…!」
「あぁ、行くぞ、」
「はい、」

息を切らし駆け寄ってきた後輩を見つめると後輩は真っ赤な顔でこちらを上目遣いで見つめている。しかしリオンは子犬の様な瞳で強請る様に見つめられても何も感じもしない。彼女の態とらしく開いたシャツから見えた胸元を見向きもせず彼女に背中を向けるとエスコートを彼がどうもしない女にする筈もなく大股で歩き出した。この女…今までその眼差しで上司ともどんな男達をも手に入れてきた彼女は次にリオンに照準を当てていたのだ…。しかし、リオンが女に靡く様な男ではないことを知りながら無謀なことを…打ちのめされた彼女のプライドは言葉通りリオンにより粉々にされたのだった。急いで仕事を片付けたのだろう、悔しげに填めたままだった指サックを抜いた。

「此処か、」
「はい、私もよく連れていってもらうんです。おいしいし、2人でゆっくり話せますし…」
「そうか、」

リオンはオフィスを出て早々既に好きでもない世界で一番自分が可愛くて完璧だとその天性の小悪魔な魅力を持つ女と一緒に繁華街を歩くことに限界を感じ始めていた。だんだんネオンのいかがわしい光が視界に入り込んだ頃、2人はレストランに到着した。

そのすれ違い様に1人の女性が俯きながら歩く癖はどんなに歳を重ねても変わらない。向かいのバーに入店した事を知るはずもなかった。

頬杖を付いてのんびりウォッカを呷りながら物思いに耽る時間が好きだ。喉を焼き尽くす激情はまるで今にもあふれ出しそうな孤独の涙を引き寄せてきた。この例えようのない虚無感は何だ、酷く目の前の女が苛々して仕方がなかったが会社での立場もある。会社の悩みを適当に相槌を打ちながら手に顎を乗せ上目遣いで見つめてくる勝ち誇った様な作り笑いの笑顔が余計に苛立ち、焦燥感を募らせた。

そして思い出す、化粧では決して作れないありのままの素顔の愛しさで溢れた笑みを、リオンはグラスの氷をからからと揺らしネオンの外を見つめた。そんな姿も実に様になる。女は月すらも背負う成長し立派な男性となったリオンの佇まいにうっとりと見惚れ必ずやモノにしたい…振り向かせたい、リオンの焦燥感に比例しますます愛情を募らせた。

「リオンさんは、本当に素敵ですね。頭もいいし仕事も出来るし、足も長いし」
「そうか…」
「リオンさんみたいな素敵な男性と付き合えたら…私、ずっとリオンさんの様な男性と…」
「やめろ…気安く触るな!!」

足の長さは関係ないだろう、彼女の胸が引き締まった脇腹に引っ付いた瞬間、ついにリオンは自分でも思った以上の低い声を発し、彼女を睨みつけた。息をやや乱し眉間にはくっきりと皺が刻み込められていた。

「そんな上辺だけの、見た目に囚われ中身は…その外面でたくさんの物を自分の物にしなければ気が済まない自己中心の固まりのお前に端から興味などない。どうせ僕の見てくれだけだろう?」

図星だったらしい、リオンの鋭い眼差し、低い怒気を含んだ声に指摘を受けた女がリオンを言い負かす言葉を見つけられる筈あるはずもなく、黙り込むと悔しげに人工的に植えた睫毛を伏せた。

「タクシーで帰れ、お前の気持ちには答えられない」

そして、リオンはずっと懐に肌身離さずぶらさげていた今は背が高くなりその体格に比例して手足も成長した為にすっかり填められなくなった海との指輪をチェーンにぶら下げネックレスにしていたそれを胸元から覗かせ彼女に見せた。

「…僕が愛しいと思う女は、あいつだけだ、」


"「エミリオ…っ!
こっちこっち、早くおいで、」"

海。そう、そうだ…海。お前と約束したんだ。次は、もっとちゃんとした指輪をお前に渡すと。リオンは記憶の中の、もう朧気にしか感じられない温もりごと自分を呼ぶ彼女のはにかんだ様な大人しそうででも眩しく厳しくも優しかった微笑みを抱き締めていた。

財布から出した紙幣を彼女の手にしっかり握らせるとリオンはどんなに好きじゃない女だとしても最後まで彼女が帰るのを見届けた。
しかし、そのリオンの愛しいと思う存在に張り巡らせた愛する人、海を思い浮かべて人を見下した冷徹な姿を捨てた素のエミリオの表情に叶わないと知りながらまた更に彼に強く惹かれた自分にタクシーのフロントガラスに凭れた涙目で息をつくばかりだった。

「また簡単に好きになってもらえると思ったけど、そう、だよね…やっぱり見た目だけじゃ、飽きられて…終わり、だよね。自分で分かってたのに…」

薄々理解していた、でもリオンさんに指摘、言われて分かるなんて。女は涙を浮かべ、歩き出したりしないリオンの此方が見えなくなるまで見つめる眼差しを見てため息をついた。見た目ばかりに囚われて…見た目以上に大事な中身を忘れた人形になってしまっていたんだ。

「リオンさんの好きな人が…羨ましい…」

辛辣で漆黒や月の光さえも纏ったその頑なに冷たい心を開いた人だけに見せたリオンの穏やかな微笑み…手厳しい彼をあんなに優しく愛しくさせる存在がとても気になった。

そんな彼女を見届けながら…明日から会社のマドンナを振ったどころか怒鳴りつけた自分は酷い目に遭うだろうな。リオンは冷めた笑みを浮かべながら美人局の被害に巻き込まれなくてよかったと背を向けどうせなら隣のバーで少し飲んでから思い出に浸ろうかと思い歩み出した。

…you are always beside me.
…僕がいつもお前の傍にいる、その笑みが絶えない未来を歩いていこう

4年前の青くまだ幼かった人に愛されたいと願い愛されないと悲観していた自分を変えてくれたのは、変わるきっかけをくれたのは紛れもなく彼女だった。

2人の果たせなかった願いが其処にはきらきらと輝いていた。リオンはティファニーで知らぬ間にずっと持っていた包みを取り出しネオンの光にその指輪を翳し眺める。

「ティファニーはね…女の子なら一度は憧れるブランド、なの。好きな人から貰ったらすごく喜ばれるよ、」

彼女が嬉しそうに頬を染めて笑うから。海もひっくるめた女の子なら誰しもがあこがれるジュエリーブランド。ラウンドブリリアントカットのダイヤに内側に刻まれた文字。そしてアメジストがはめ込まれた指輪が乱反射する波間の様にきらきらと輝いている。

そして、それを何と無く手持ち無沙汰に指先で弄びながらバーに足を踏み入れ適当に長く伸びた足を組み座り込んだ。

「一緒に飲もうよ、」
「私に…構わないで、」
「なんだよ、つれねぇおばさんだな」
「…っ…!
…悪いけれど、ここはガキの溜まり場じゃないのよ?」

そして、運命の悪戯か何か、リオンは瞬く間に飛び込んできたその凜とした声に耳を澄ませた。男だらけのバーに不似合いな女性の、しかし何処か震えた…支えを無くし生きていく為に強く成らざるを得なくなった4年の月日を重ね見違えるほど頑固で逞しくしかしふんわりした雰囲気は変わらない、狂おしいほどに愛した少女だった…女性ー海が居た。

ふわりと柔らかな髪がブラックライトに輝いて、長い睫毛がふわりと瞬いた。スッとした鼻筋、ピンク色に艶めく柔らかな唇、しかし表情は嫌悪に満ちあふれていた。

「そんなに強くない酒をくれ。」
「かしこまりました。」

それを横目に彼女の近くに座る、勘違いだと言い聞かせたが紛れもなく海で、獣並に研ぎ澄まされた勘を持つリオンが見間違うはずがなかった。紫色のカクテルを飲みながらどうやら隣からピンク色の可愛らしいしかし彼女が苦手そうな甘ったるいカクテルを差し出されしつこく絡まれているらしい。怒って相手に逆上されやしないかリオンはオーダーすら上の空で冷や冷やしながらも思わぬ、焦がれた再会に今すぐにでも背後から強く抱きしめ口づけの嵐を送りたかったが公衆の面前、人混みに紛れて交わしたキスを簡単に出来る子供ではなくなっていた。

しかし躊躇うもう1人の自分が椅子から動かそうとしない…、もう自分のことなんか海は忘れてしまっているかもしれないなんて。

だが、もう我慢成らなかった。自分だけが触れて良い存在に…気安くその肩に触れるな…リオンの剣幕に近くにいた客はそそくさと逃げ出すように酒を飲み干した。リオンも酒を煽りまた海に視線を向けた瞬間、愛らしい女性となった海の口から不似合いなカクテルの名前が飛び出したのだ。

「魔王。」
「かしこまりました」

リオンは思わず見た目にそぐわない海の酒のチョイスに酒を吹き出しそうになったが必死に耐え海の背に熱い切なさを秘めた眼差しを送った、そしてまた次々と誘いを無視してお酒を飲み干して行く海を見てリオンは明らかに飲むペースが速くなってきている海の身を案じ今か今かと助けに行く覚悟を決め始めた。


人違いでも良い、海に会いたい…ずっと記憶に邪魔され見失っていた存在を思い出したから。あの夢の存在は紛れもなく…探していた、逢いたかった、気持ちが膨らんで今にもはちきれそうなんだ。そして記憶が蘇った脳裏では加速度を増し彼女との目まぐるしい思い出が別れ際の抱擁が、惜しまなく交わしたキスが激しく点滅しフラッシュバックする、愛は季節みたいに移ろうものなんかじゃない、愛は変わらない、一途にを愛していこう、瞳を閉じればいつだって…彼女を感じることが出来る。甘くて儚くて切ない幸せな記憶。

どうして忘れた?何故、今更になって思い出したんだ。しかし、それはもう愛しい海を間近にして考えることではなかった。あれから4年もの月日が流れたんだ、もう彼女は…他の男と幸せになっているかもしれないのに。今更彼女の前に姿を現すなんて…

しかしもう戸惑っている暇など無かった。隣の席の若い風貌をした今時の男性が何かを話しているけれど分からない、不意に肩を抱き寄せられてどさくさに紛れて彼女の柔らかな頬にキスをしたのだ。

瞬間、鈍器で頭を殴打された様な衝撃が駈け巡ったのだ、怒りでアルコールで火照る身体が戦慄く…でも、きっとここで騒ぎを起こしたらもう彼女はこの店で飲めなくなってしまう。

耐えろ…怒りからは何も生まれない…彼女の言葉じゃないか。ましてやこの世界では相手に軽い怪我を負わせただけでも直ぐに厳重な処罰が待っているのだ。

しかし、大人に冷静なんて成れるほど自分が不器用なのは、理解していた。もう我慢できない…好きな女が他の男に触られているのを黙って見過ごせる筈などない。形振りなんか構う前にリオンはついにアクションを起こした。

「…すまない」

バーテンダーに近づき万札を差し出して端麗な顔を持ち上げ見据えた瞳に揺るぎない気高い意志が彼女の瞳をのぞき込んだ。

その瞳はもう虚ろ気で…ふらついた海の肩をさり気なく抱こうとした男から引ったくるように抱き寄せた。まるで、身体の一部の様に。

「彼女のと僕のを一緒に、」
「つけておきますよ、」
「すまない、助かる、」

眠る小さな彼女の身体を軽々と抱え海の代わりに代金をつけといてくれたバーテンダーと意味深に笑みを交わすさらりとした黒髪のスーツを着た男性を不信人物だと疑る人間はいない、優しく慈しむ様に膝を抱えて何の苦もなく軽い身体を抱き上げた。

「おい、其処のお前」
「な、何だよ、」
「こいつに…触ったか」
「ひっ…なっ何だよお前!」

胸ぐらを掴み今にも殴りかかりそうな勢いで一発を喰らわせ睨みつけるとその鋭い瞳からはただならぬ怒りと覇気が醸し出されている…リオンの剣幕に得体の知れぬ恐怖心に駆られた男を威圧したまま一瞥した。

「こいつの…男だ。下衆野郎が、」
「ぐはあっ!!」

リオンは容赦なく、しかし支障のない様にだ、男を殴り飛ばし。右ストレートを一発喰ら男はカウンターによろめいた。盛大に見下すと吐き捨てた。

「こいつを持ち帰ろうとして骨が折れなかっただけありがたく思うんだな、」

殺気に触れ彼女を軽々と抱き抱えたスーツ越しに分かる見た目よりも実戦と厳しい鍛錬で鍛えられた腕に太刀打ちが出来ないと分かると男は殴られて痛む頬を噛みしめ諦めた様に周囲の冷ややかな目から逃れる様にその場を後にし二度と其処に来ることはなかった。4年の歳月が流れても大人びた、少し匂い立つ様に儚い色香を帯びた顔立ちになった彼女の背丈は変わらずに小柄なままで、それが彼を安心させた。

離れていた間に穏やかな温もりすら忘れ既に冷え切り感じなくなっていた彼の神経は海の温もりで暖められて行く…仕事に追われ1人で眠るベッドの冷たさにこの世界の冷たさに慣れてしまっていた。

覚えている、そう、あれから4年たった今でも、変わらずに…、愛しているのに。お前を夢の中の幻想にしまい込み忘れたまま生きていた僕は、今更お前に愛を囁く資格はあるのか?

「…おい、…」
「う…ん…気持ち悪…っ」

リオンの顔が気持ち悪いわけではないがリオンは自分と瞳が交じりあったタイミングで海がそう口にしたものだから内心ショックを受けた。

「…止せ!…駄目だ、お前の家まで保たない…」

しかし、声を掛けても海は強い酒を飲み過ぎ焼ける様に身体が火照り桜色に綺麗な雪肌が染まっている。

道端で、自分に吐かれるのは海だから全く構わないが正直後始末が大変だし何より、彼女自身がショックを受けてしまうのだから考えようだ。

すっかり酔い潰れているのか自宅の鍵を聞いても何も答えない、ましてや吐きそうだと頻りに頭を振る姿にリオンは観念した様に近くの夜景が見渡せるが、所謂恋人同士の海が嫌がるホテルに海を運ぶこと以外もう選択肢は無かった。

ホテルに運びトイレに海を連れて行く。ラブホテルだが其処は夜景がよく見渡せる絶景で内装も部屋は少し狭いが海の好みそうなユーロピアンな内装をしている。

ラブホテルをあんなにも毛嫌いしていた海の話していた様ないかがわしさの微塵もない、言われなければ普段のビジネスホテルと全く変わらない。

漸く落ち着くと着ていたスーツを脱ぎボタンを緩めた。するとすっきりしたのかトイレからふらついた足取りで出てくると子供の様にこてんと寝転がった海の髪を撫でながら優しく囁き漸く暖かな笑みを浮かべた。

「海。シャワーでも浴びてすっきりしてこい、起きれるか?」
「ん…んん……」

駄目だ、全く起きる兆しが見られない。シャワーは半ば諦め仕方なく先にリオンが浴びることにした。

それよりも少し頭を冷やしたかった、目の前には愛しい焦がれた海が此方を向いて微睡んでいる。貸し出し用のバスローブを裸体に纏うとそっと大きなベッドに寝転がる海の小さなとろけそうな甘く優しい眼差しを見つめ、少しぎこちない夢でないように確かめた。

「エミリオ、…?」
「どうした、」
「ほ、んもの…なの…っ?」

たった少しの沈黙さえじれったいくらいに恋しくて…この4年間よりも長い長い永遠にも感じる様な沈黙の後、リオン…エミリオは柔らかく微笑んで無言の肯定を告げた瞬間、海の垂れた丸い瞳が震え出し、気丈な心は折れ解き放たれた其処に頑なに意地を張る必要はない、安心し、大粒の涙を流した。

「エミリオ、エミリオ…っ、うぅっ…あ、あ…っ」
「…相変わらず、よく泣く、」
「ふっ…くっ…ひっく…ふうっ…」

急に起きあがると広い胸に縋り付く様に抱きついてきた海は大人になっても泣いた顔はやはり子供みたいにあどけなく4年前と変わらない泣きじゃくる姿を腕の中で見せてくれた。エミリオはそっと両腕で彼女を強く抱き返し其処にいたのは紛れもなく、と同じ、年を重ねすっかり成長した大好きな、ずっと焦がれて逢いたくてキリがなかった存在。

「…っ…!」
「おい……海っ!」

慌てて身を起こすと海の瞳が空を描く、大きく回りそのまま仰向けのまま背後から崩れ落ちてしまったのだ。アルコール濃度の強い酒に仕事で蓄積されている疲弊した身体が悲鳴を上げていたらしい、足下が覚束無くサイドテーブルに側頭部を強打しかけた彼女をベッドから飛び降りエミリオは力強い腕を差し出し抱き寄せると海の柔らかな後頭部を抱き支えると見つめ合ったまま二人は絨毯の敷かれた床に転がり込んだ。そのままの流れで合図は要らない。緩やかにシーツの波間に髪の毛が広がる、約束なんて果ても無い刹那の時間に瞳が緩やかに微睡み始めた。アルコールに火照らされた身体がまた熱く高鳴りエミリオを見上げればエミリオが今にも泣きそうなくらいに甘くて優しい表情を浮かべているから…また切なくて、私までつられて泣けてくる…もっと、エミリオに近づきたくて、私はそっとエミリオに唇を重ねた、舌を絡めるキスじゃなくて、そしてエミリオの手が私の頬を包み啄む様な甘い口づけを何度も交わす。

口付けを交わしながらお互いの着ていた服を肌蹴てゆく、オレンジ色の間接照明が綺麗に肌を縁取る。お酒で桜色に染まった私の肌に手のひらが滑る様に触れて、羞恥に頬を染める余裕さえもなく甘い吐息がまた零れた。

「っ…熱いの。すごく、」
「あぁ、焼けてしまいそうだ…飲み過ぎだな、程々にしろ、辛いのはお前なんだからな」
「ん…」
「白いな、お前の肌…桜色に火照って、綺麗だ。」

思考はない、何も考えなくてもいい、ただ感じるままにエミリオに身を委ねて僅かな刹那にただ瞳を細める。こみ上げてきた羞恥もエミリオの前では要らない、こんな私を包み込んでくれる温もりが愛おしくて、広い背中、厚い胸、筋肉質の男の人の身体に胸の奥がまた締め付けられた。

「エミリオ、エミリオ、行かないで…離さないで…もっと、ああっ、もっと…うっ…ひっく…」
「海…っ…力を入れるな!」
「やっ、止めないで…エミリオが、欲しいの。」
「お前の声は相変わらず来るな、」

crashしてしまいそうな彼女の甘く強請る声にエミリオも既に理性の欠片も無くどちらがどちらかも分からないくらい、久々の繋がりは決して交わらない個体だと言う知らしめを与えた。焦燥感は一層の拍車を掛けまた白いシーツに弾む姿態の儘に身を委ね快楽を貪る、柔らかな襞に吸い付き迸る蜜を啜る。

色づきだした世界が確かに存在していた。明かりの消えた暗闇、リオンは海を窓から見渡せる夜景のガラスに抑え込むと後ろから抱き締めた。

「綺麗な夜景だな…まるで星みたいだ、プラネタリウムでお前を抱いて居るみたいで…」
「駄目…いや、見えちゃう」

濡れた表情を見せる海は酒の力でより一層身体を快楽に震わせ2人きりの空間で甘くすすり泣いた。

極彩色の光を与えてくれた存在、夢じゃなければいいのに、貴方の温もりを離さないまま深く眠りに落ちたい…そんなことを今切に願いながら涙を流し続ける彼女をエミリオは優しく包んでまた抱き締めてやった。やがて柔らかな朝日が射し込むまで私は夜景が見渡せる立派な部屋に備え付けられた簡易プラネタリウムの下その温もりを必死に焼き付けた。腰を抱え直し更に深く迄穿つ、壊れるまで彼女を抱きたくて、身体が心を追い越しエミリオの流れた汗が顎を伝い彼女の項に落ちた。

「いやっ、行かないで、エミリオ、愛してるっ!!」
「海。お前を縛り付けることを許してくれ…お前が他の誰かの者になる日が来るまでお前が好きだ、愛している…!だから、幸せになってくれ・・・!」

その言葉を最後に海は身体を仰け反らせ行き過ぎた快楽に自分が壊れてしまうと涙を流すとエミリオの背中に強く指を立て意識を完全に白に染め涙で滲む瞳を閉ざしたのだった。エミリオも熱を出し漸く微睡んだ。


ーーーーーーーーーーー


淫れる海に誘われ激しく抱き合った夜を越えた翌朝、海の乱れた衣服を正すとまた甘い声で身じろぎ可愛らしく寝息を立てていた。朝早くにエミリオはタクシーで眠る彼女を自宅の変わらないマンションまで送り届けた。鍵を鞄の中から拝借し慣れた手つきで開ければあの日以来実に4年ぶりの彼女のマンションにある白い壁を貴重とした海の肌の香りのする部屋のベッドに横たえてやった。

「海」

2人の願いを、叶えよう。そう約束したはずの思いはすやすやと眠る海には届かなかった。2人が添い遂げるにはあまりにもブランクがありすぎたのだ。

リオンは戸惑っていた、自分はこの4年で完璧にあのときとは違う別人の大人の男となってしまったのだから…

海の部屋を見渡せば相変わらず洗濯された下着やら衣類やらがタンスの中から溢れておりエミリオは苦笑した。一人でずっと寂しい思いをさせてしまった罪悪感から余計に海に顔を合わせる勇気がないのだ。

エミリオの頬を伝ったのは熱い涙だった。悔しかった、悲しくそして愛おしい優しい海の花が綻ぶ様な明るい笑顔をいつまでも見ていたかった。その笑顔に自分はいつも救われていたことを思い出す。

やがて、エミリオはますます感涙に咽び泣くことになる。

彼女の部屋の一角、いや、もう至る箇所にだ。自分の写真が飾られていたのだから…。エミリオは海の一途さに心打たれ泣き崩れそうになりもう両の脚で立つのが精一杯だった。彼女の記憶にはいつまでもいつまでも変わらない16歳の自分がぎこちなく恥ずかしそうに、しかし穏やかに瞳は弓の様に笑っていた。顔を両手で覆い声を押し殺して泣いた。

優しく射し込む朝日はエミリオにはより一層輝いて見える。未だ再会する勇気のない臆病な自分。海にあなたは誰?と首を傾げられる程恐ろしいことはない。

究極の選択を海に忘れられてしまう恐怖なんて知らないままがよかった。これならば海底に溺死し沈む方が未だマシだ。せめて、ティファニーのかわいらしいダイヤをあしらった指輪をそっと海の左の薬指に填めて彼女を抱き締めてそしてマンションを後にした。

「エミリオ…!!」

指輪の裏に刻まれていた約束の言葉にまた涙が浮かぶとまた新たな確信が生まれ溢れる涙を今度こそ抑えることが出来なくなってしまった。

…you are always beside me.
…僕がいつもお前の傍にいる、その笑みが絶えない未来を歩いていこう

誕生日、おめでとう―…。

それは、貴方ともう一度巡り会える約束の環。僕はお前と同じこの冷たい平成の世を生きている、昨日の出来事は夢じゃなかった、誕生日、これを届けに会いに来てくれた…―その事実が嬉しくて愛おしくて…目覚めた海は指輪を抱き締め声が枯れるまで泣き続けた。

どうか待っていて…貴方を見つけるから、だから、今だけは…貴方のことを思い出になんて出来ない私をどうか許して下さい、そして次は笑って貴方に、お帰りなさいと、言わせて、ね。エミリオ、ありがとう…素敵な誕生日を、ありがとう。

そして2人は歩き出す、お互いの瞳が再び交わるそのときまで。


Fin.
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