SHORT | ナノ



「To Love You More」
SHORTSTORY

降りしきる雨の中、忘れられない記憶が深く深く今も彼女を苦しめていた。
目の前で彼女と悟空に振り下ろされた凶刃、三蔵の瞳に気付けばあの日の情景が鮮明にフラッシュバックした。


ブシュッ!!!



胸糞、

悪ぃな…

「さんぞ…う………!?」


「「「三蔵!!!」」」

全員の声が弾け飛ぶ様に重なった。悟空と少女の前に仁王立ちになったのは紛れもなく三蔵だった。

「何、柄でもねぇ事してんだよ!」
「三蔵!目ぇ開けろよ三蔵!」
「三蔵!!」

うるせぇな、そんなの。
俺が聞きてぇよ。

「三蔵っ…三蔵ったら、ねぇ!三蔵…っ」

ったく、ガキじゃねぇんだ。
いちいち泣くな、うるせぇんだよ。てめぇの声なら聞こえてる。

「…いやあああぁぁーっ!!」

瞬く間に彼の真白の上等の法衣を赤く赤く染め上げ血が雨に流されてゆく。
そしてまたあの鳴り止まない彼女の悲鳴、雨の夜に記憶はループする。

御託のない言動、自分には持ちえない全てを秘めた三蔵が眩しすぎて、対極な気さえしていた。彼は彼だけの価値観や美学を持っている。

彼がそう簡単に彼が人に心を許すはず無いことを知っている。

特に彼は女に対して、絶対に隙を見せたりはしない。
そんな彼、彼だからこそ。
自分に心を開いてくれた事を何よりの至福と甘んじて生きてきた。
言葉で知らしめることは簡単だ。

愛を与えたらきっと彼は無言で抱きしめてくれるのか。

そんなの彼じゃない。
彼は彼だ、私は私。
私にだって譲れない物がある。どんなに顔を近づけたとしてもどんなに暴いてもお互いは決して譲らない。

それでいい、お互い譲らない面があるのは宿命だ。彼が闇の中で強い光を放つ金色の光。自分はきっとその光に導かれて生きていく、そう、思っていた。

夜も更けた頃、お風呂から出ると涼みながらぼんやりと眺めて缶ビールを飲み干した。

ささくれた喉を突き抜ける苦みの中に甘みが溶け込み思考がまどろむ。

「あ…悟空、ちゃんと歯を磨いてね。」
「うん…、」
「悟空…どうかしたの…??」
「なぁ、海はなんで三蔵と喧嘩したんだ?」
「えっ…!」

同じく風呂上がりの悟空が急に自分にそう問いかけてきた。ビールを吹き出しそうになりながら慌てて振り向けば悟空が不安げに自分を見つめていた。

チビザルと皆に言われる中で自分より背の高い彼はちびではなかった。
ならば自分がチビなのではないか。ずっと小学校から変わらない背丈を気にして彼を見上げた。

海はあの夢の断片で確かに金色の瞳に映った空をみた気がした。

「海?どうしたの。」
「…三蔵が刺された日のことが頭から離れないの。

私が、油断したから…っ…きっと、雨が降る度思い出すのかな…また三蔵が…旅をする中できっと、どんどんこの先もっとたくさん危ない目に遭う…

三蔵を守りきれずにいつか失うんじゃないか…そんなことばかり考えてしまうの」

何も言わずに黙ったまま自分の気持ちを秘める事しかできない海が悟空に打ち明けた本音。しかし、心配そうに落ち込む海に反し悟空は何がおかしいのか大きな口を開けて盛大に笑った。

「どうしたの?」
「あははは!だってあの三蔵が死ぬわけねーじゃん!あの三蔵がだよ!俺、妖怪なんかよりずっと三蔵の方が超こえーもん!」

無邪気に笑う悟空。確かにそうだ、あの三蔵が妖怪に不意を突かれて死ぬなんてまずあり得ないだろう。
皆が気付かなかった悟空をすぐさま偽物だと見抜き容赦なく撃ち殺したのだから。
リーダーとしての信頼はさておき彼には確かにそのカリスマ性が備わっている。

彼が死ぬなんて海の杞憂だと悟空が微笑んだ。

悟空の笑顔が張りつめていた心を柔らかく解して、もっと柔らかく温かく包んでくれて。

海はビールを飲み干すと悟空の洗い晒しの栗色の髪を優しくタオルで拭いてやった。

悟空のこの胸が温かくなる笑みを三蔵も見習えばいいのに、なんて。
逆にあの無愛想な三蔵がいきなり悟空みたいに笑ったら不気味でたまらないのだが。

「三蔵は悟浄みてぇに、女の海の気持ちなんかちゃんとわかってねぇんだ、でも三蔵が悟浄みてぇだったら……うぇ、キショい…」
「ふふっ、ありがとね、悟空。私、三蔵に謝ろうかな…」
「ほんとか!?やった!!やっと三蔵の機嫌がマシになる〜!オレ、悟浄と八戒に知らせてくるな!」
「えっ!あ、悟空…今すぐって訳じゃ…」

浮き足だって裸足で走り出し部屋を出て行ってしまった悟空。二人に知らせる、本人に悪気はないのだがこれでは自分は絶対に三蔵に謝らなければならなくなってしまった。

「ど、うしよう…」

冷静に先ほどを改めれば改めてみるほど確かに怒っているとはいえやりすぎたなとうなだれた。

生理前でとてもナーバスになり苛々していたのもあるが男の彼が、ましてや彼は女性の生理の仕組みを理解している様な野郎ではない。
生理を理由に謝るんじゃない、自分のした行いを改めて謝ろう。

ビールを飲み干し海は酒の力をちょっと借りて彼に謝ろうと走り出したのだが。

「あ、いたっ―…」

薬を飲み遅れたのが原因か、まだ鎮痛剤の効き目が効いてこない。痛みに思わず腰と下腹部の鈍痛に手を当て顔を赤くした。

「もぅ、こんな時に…」

生理痛という魔物に苦しむのが女の宿命なのか、悪態突いてみたがそれで痛みが引くわけではない。

仕方ない、出直そうと浴室を背にして気付く。
またそうやって言い訳を重ねて彼と向き合うことから逃げようとする自分が大嫌いなのに。
彼に素直に謝りたいのに…

「はぁ…仕方ない、煙草買ってそれ渡して、謝ろう…」

だけど、そんな逃げ腰な私だけれど、ちゃんと終わりにするんだ…。
確かに悟空の言うとおり納得出来る話だ、どんなに不気味な妖怪よりも、三蔵の方が遙かに恐ろしいのだから。

「あ、三蔵―!!」

扉が開かれ野郎3人の寝る部屋に集まり海と仲直りした三蔵が長風呂から戻ってきたと悟空が瞳を輝かせた。

「よかったじゃねぇかクソ坊主、海ちゃんと仲直りしたか?」
「ふぅ、これでまた平和に戻れますね。」

きっと海と仲直りしたのだろう、そう思って声をかけたのだが、濡れた髪をタオルで拭う三蔵の怒りは全く収まっていなかった。
青のマルボロを手に怒りに獰猛な瞳が皆を黙らせた。
一同はその威圧的な瞳で悟ったのだった。


3週間経ったのにまだ仲直りしてねぇのかよ!!

「おっ、俺、海捜してくる!!」

逃げ出す様に走り出した悟空、追いかける悟浄。2人きりにされた八戒だが三蔵は気にしないのか法衣を脱ぎ捨てアンダーにストレートデニムとラフな姿勢になった。

「雨―…、ですか。」
「チッ、」

降り出した雨が窓を叩いた。嫌な天気だ。三蔵は降り出した雨に舌を鳴らしどっかりとベッドに腰を降ろした。
髪はまだ乾いていない。

「乾かさないと風邪引きますよ、三蔵。」
「フン、うるせぇよ、」

どうという事はないと髪を振り払う彼の瞳は此処ではないどこかを向いていた。
この3週間を視て彼なりに気にしているに違いないのはよく分かった。

沈黙は肯定か、黙り込み意地でも煙草を吸おうとしない三蔵に八戒は言葉を続けた。
伏せきった金糸に遮られその表情は伺えない。

「素直になったらどうです?三蔵、海の事ですよね。

また、泣かせるんですか?」

失う、泣かせる…自分が嘗て味わったその悲しい過去を連想する言葉に煙草を握りしめたままの左手が戦慄いた。

「海は不安なんですよ、だけど三蔵に言ったらブッ殺されるか、重荷に思われるんじゃないかって、未だ気にしています。

重傷の三蔵を海がどれだけ心配していつも影で泣いているかも、」
「フン、偉そうに説教か。
俺よりアイツを視てるつもりか?」

微かに三蔵の背中が揺れた。言葉にせずとも海なら理解していると信じていた。だがそれでは女の心根を掴み続けることは出来ない。

「本当に負けず嫌いなんですから、ほら、早く追いかけて捕まえないと本当に優しい海は貴方から逃げちゃいますよ。」
「…チッ、捜してくりゃいいんだろう捜してくりゃぁよ」
「よく出来ました。」
「八戒、」

振り向いた三蔵は少し吹っ切れた様な表情を浮かべていた。怪我の所為で海を見てやれなかったのが悔しいのか、三蔵の気持ちは八戒の言葉もあり迷いはなかった。

「冗談じゃねぇよ、アイツが1人で泣く様な女だったら此処まで野郎に囲まれて着いてきやしねぇよ、」
「はいはい、お父さん、」
「お父さんだぁ?冗談じゃねぇ。
誰が父親の役なんざ、あんな手間の掛かる娘、いらねぇンだよ。」

"あいつに煙草を新たに買い直させる"
そう、吐き捨て三蔵は法衣を着ると宿を出て歩き出した。

手間が掛かるから、ただ傍に置きその隣にいるだけで良い。
ふわりと恥ずかしそうに微笑むその笑顔を思い出せば少し優しくなれそうな、そんな気がする。

傷つけて散々泣かせた彼女へ、今しか伝えられないならば早く伝えにいこう。

降り出した悲しみを揺り起こす雨はいつの間にか気にならなくなっていた。海の笑みが自分を変えたとは、信じたくないがそれでもよかった。
海は酷く心地よかったのは、魂で求め続ける2人だから。

「うぅん。
雨、止まないなぁ…」

降り出した雨が本降りになる前にと外に出たは良いが案の定雨が本降りになってしまった。

剥き出しの肩を濡らす雨は冷たくて、小さな手で鼻を擦りながら海は早く煙草を買おうと躍起になり慌ててきた道を引き返す。

彼に謝るんだ。自分のしたあの行いがどれだけ彼を苛つかせたか。それを考えたら怖いけど、素直に伝えたい。今更後には行けない。西への旅を離脱しては菩薩に頼まれた皆を導く担い手にどうすることも出来ない。

悲しくはない。彼がいつか死ぬ未来など二度とあってはならない。三ヶ月彼と離れていた温もりさえ褪せてしまいそうな程に。

せっかく買えた煙草を濡らしたまま彼に渡したくない、その一心で背中を向けて、小さな身体で煙草を抱いて踵を返すと目の前に三蔵の姿を見つけた。

「え…?」

ボタボタと海の足下に赤マルが落ちた。

信じられないと言わんばかりに開いた口が塞がらない海の視界の先に映る景色はあの男に不似合いだから。

突然現れた三蔵の姿に心臓が激しくざわつき鳴り止まない。

「さんぞ…?」
「何だ、」

思わず彼の名を動揺のまま口にしてみた。
相変わらずのふてぶてしい態度、雨に濡れようが構わず垂れて水滴の伝う触れれば思った以上の柔らかな金糸。

「…あの、私…貴方にこの三週間散々酷いことしちゃって…本当にごめんなさい…っ!」

撃たれるなり殴られ蹴飛ばされようが構わない。撃たれ掛けたがあれはトラウマになるほどに正直怖くて仕方なかった。

しかし、彼の目をまともに見れたはいいが、何かが、おかしいとは海は俄に何も言わないでただ真っ直ぐに自分を見つめる紫暗の瞳にただならぬ恐怖を抱いた。

ふと、寡黙な三蔵が黙り込むと、空気も次第に彼に包まれて。金糸の髪が揺らぎ何も言わずにいきなり自分の肩に急に凭れてきたのだ。

「え、っ…!?」

トン、と肩に凭れた愛しき存在に思わず喜びではなく先に戸惑った様な声が上がってしまった。

驚いた、逆に不気味すぎる。
あの天下の三蔵がまさかあの三蔵が、自分を抱き締めることはあったが、こんな風にいきなり甘えてくるなど…不気味を通り越してキショいの一言だ。思わず問いかけてしまった。

「貴方…三蔵だよ、ね?」
「テメェはいきなり何頭のおかしなこと言いやがる。俺以外に誰が居るんだ、勝手に目離したら居なくなりやがって。」

どうして今まで何も話しかけようとしなかった彼がいきなり行く先さえ明かさなかった姿を見せたのか。

悟空が彼を此処まで呼んできてくれたのか、気を利かせてくれたのだろうか?
そして抱いた疑惑は確信に変わる、
ぽんぽんとほぼ叩く形ではあるが頭を撫でられながらも海は彼が動けば動くほど仕草を見せれば見せるほどに拭いきれない違和感を募らせた。

何かがいつも通り、素行が世辞にも良くない彼と違うのだ。
彼にしては過度な迄の触れた指先、首筋に感じた温もりがたまらなく愛おしいと思うのに。

無意識に彼の胸板を押す自分にたまらない嫌悪を抱く。だが拭いきれないこの言いようのない深い畏怖が渦巻いて左手に先に彼に警戒した妖刀が具現化された。

シュン!!

「待って…!」

キインッ!!

しかし妖刀は彼女の意志に反し鋭い刃をそのまま勢いよく彼に振り下ろされたのだった。
三蔵が目の前で為す術もなく崩れ落ちてゆく、

ブシュッ―!!

「きゃあああーっ!!」

あの時と同じ冷たい雨が降り注いだ。

夥しい量の血が赤い花弁の様に散り三蔵の法衣を染め上げてゆく…海は絶叫し両頬から抑えきれない涙があふれた。

―雨の中
―彼の腹を貫いた

刃にリフレインした。慌てて彼に駆け寄る、縋る様に広い背を抱き留めて涙を流す海に妖刀は未だ不穏の気配、妖怪が放つマイナスの波動を察知したまま海の意志に聞かず消えずにいる。

妖刀が気付いていた。まるで亡き彼がその刃となり今は海の隣に包み込む様に。

「さんぞ、う!三蔵、ごめんなさ、い!ごめんね、ごめんね!何で、どうして妖刀が…」

「クックックッ…」

「え?」

やがて鼓膜を震わせたのは三蔵の不気味に笑う声だった。斬られて腹部を貫かれた痛みはどうしたのか、
人間の彼が嘲笑にも似た笑みを返すわけがない。

ゆらりと立ち上がった三蔵は端麗な表情を崩しニヤニヤと得体の知れない笑みを浮かべて立ち上がった。

「ひでぇ…女だな、コイツを斬るとは俺の正体が、」
「貴方…三蔵じゃない!」

顔色が変わった、みるみるうちに海の顔立ちが変わり鋭い声が刃の様に研ぎ澄まされた。

「そうだ、若い人間の小娘…美味そうだな、三蔵一行の紅一点…見させてもらったぜ、仲間に化けて油断させて喰っちまおうって考えてたんだがな…」

やがて醜い正体が露わになり妖刀が呼応する様に妖怪の血を求めて海の左手で輝きだして。

「さぁ…おとなしく経文と貴様をよこせぇえ!」
「…」

妖怪の血を吸い糧となり力を増す海の魔具、妖怪に反応しタギらせる。

妖怪がなりすましたのは最愛と呼べる人の醜い醜い姿で、それより腹が立ったのはそれを見抜けなかった自分自身だった。

悔しくて悲しくて…彼を簡単に偽りだと見抜けなかった自分の落ち度にわなわなと拳が震えた。

降りしきる雨音は大地を激しく叩きつけ更に夜が深まるに比例して雨は更に激しさを増して落ちてゆく。

「三蔵の偽物だって…早く気付けたら良かった、」
「どうだ、同じ顔の仲間を殺すのは…………」

刀を手にゆっくり立ち上がると血に流れた雨を踏みしめた。

「仲間、ね。どうかな…私は男じゃないから、女だからどうしてもみんなに対等に見てもらえない…気を遣わせてしまうばかりなんだ。」

今の海と三蔵の冷戦をこの三蔵に恰もなりすました妖怪は知らないのだ。
変わらずに言葉を紡ぐ。涙は見せない、強がりな背筋を張り海は強く悲愴を秘めて言い放った。

「だけど、みんなが好きだから一緒に居れるからいいの。
私は足手纏いになんかならない…女だからって人質にしても無駄だよ!見くびってんじゃないわよ!」

今度は自らの意志で妖刀を振り下ろした海に仲間なら海もだまされると三蔵になりすました妖怪は切りつけられ驚きを隠しきれない。

「牛魔王が妖怪に私たちと三蔵の経文を狙わせたって、簡単に渡すと思わないで…、三蔵の姿で現れたのが貴方の運の尽きだっただけ。
三蔵なんか私が妖怪の人質になったって構わない人なんだから、それに今の私は三蔵に最高にムカついてるのっ!あの垂れ目のハゲ坊主は女の気持ちなんかこれっぽっちも…」

ガウン!ガウン!

その先の言葉を海が発することはなかった。グシャ、と背後で何かを踏みつぶすブーツがあった。
濡れた髪が張り付いて、振り向くと男の足には踏みつぶされたアイスブラストが雨に濡れていた。やはりメンソールがお気に召さなかったらしい。

代わりに落ちていた赤マルを拾い雨に濡れていたそれを見て火を点ける。久方ぶりの煙草に気怠げな紫暗が光っていた。

「よく吠える口だ、人の気も知らねぇで…」

灯る曖昧な紫煙の先に、赤マルを口にくわえどんな時も連れ立ったS&W Mー10を発砲した三蔵が居た。
高貴な気高いオーラを携えた獣の様に佇む彼こそ本物だ。
見間違えはしない、

嫌いな雨に打たれているのも構わずに、三蔵は妖怪に止めを下したのだった。

「本、もの…?」
「死ね、変態下衆野郎」

眉間を容赦なくブチ抜かれ倒れた三蔵になりすました妖怪の化けの皮が剥がれ落ち海はたまらず目を逸らした。

瞳を見開きその場でぼんやりと自分を見上げる海を三蔵は怒りに満ちた表情で見つめていた。
三蔵は海に振り回されペースを崩されていた。挙げ句の果てに土砂降りの雨の中を。濡れながら彼女を捜していた、見つけたと思えば自分になりすますことも出来ない偽物に簡単に触れられて。

「てめぇ…何してやがった」
「それは…!
三蔵こそ、ど、どうして来たの、」

助けてやったのに冷淡に自分を見つめる海が最高にただでさえ不機嫌な三蔵の怒りを煽った。

―この女は分かっちゃいねぇ、何もかも、表面的に口にせずとも傍にいると自惚れていた自分に落ち度もあった。

女はそれだけでは離れていくならどう繋ぎ留めりゃあいい。

ギリッと唇を噛む音がして、気が付いたら三蔵の手が先に出ていた。さんざん心配かけて、どれだけこの三週間あの3人以上に気が狂いそうだったのか。思い知らせてやる、徹底的に。

「何?」
「さんざん好き勝手してくれたな、代償は高いぜ。」

パアアン!!

驚くより先に三蔵の平手が垂直に海に振り下ろされていたのだ。

三蔵には悟空と一緒にハリセンで叩かれることもしばしばあった、しかし発砲や拳骨ではないのが彼なりの優しさだった。

「っあ、…っ!」
「……」

容赦ない平手は垂直に愕然とする三蔵の前には頬を抑えて涙を浮かべる海が居た。頬は真っ赤に染まり痛々しく眉を寄せた。

「…勝手に夜にうろつきやがって!手間掛けさせんじゃねぇ!今も妖怪に騙される始末だろうが!」
「むっ!なぁに、それ!?」
「自分勝手に、弱ぇ奴が足を引っ張りやがる、口で言ってもわからねぇのか」

ついやっちまった、手のひらに感じた痛みがダイレクトに海に伝わって、気付いたときには後の祭りだった。

三蔵はとっさに返す言葉が見つからなくて、吐き捨てた。

「私、貴方達の足手纏いにはなりたくないよ…がんばって強くなるから!」
「俺に殺されんのが本望とかほざいたよな…死なねぇんだろ、そんな奴に守られたってな、」

―パシッ!

急に叩かれた頬に走った熱、抑えて痛みに次第に叩かれた悲しみに涙を浮かべた海がその先の言葉は聞きたくないと彼にカウンターを食らわせたのだ。

「何、しやがるこのクソアマ!」
「その先を言わないでっ!
大切なみんなを守るのが私の、っ…やっぱり、私は、役不足、なの…旅に来ちゃいけなかったの…?」
「馬鹿言うな、」

観世音菩薩による異例な通知、海は旅に連れて行くなと言う命令に背き海を傍に置いたと決めたのは紛れもなく。

「俺が着いて来いっつったらウダウダ言ってねぇで着いて来い!!」

三蔵の声が張り上がった。
急に好きな人に頬を打たれるなんて…女である身の海のショックは計り知れない、涙が次から次へと止め処なく流れてきた。

雨に濡れているせいで濡れた髪が張り付き涙が雨に流されてゆく、離すまいと三蔵は海を引き寄せていた。

「やっ、離して…!」

言葉ではもう2人をつなげない…ならば。彼の迫力に適わない、力も適うわけがなくその筋肉質な腕から逃げられることなど安易に出来なかった。

「海」
「…だって、っ…!
いきなり、何で急に怒られなきゃいけないの?私のことなんかどうでもいいんでしょう、なら構わないでよ…っ!」
「どうでもいい、だと?
今更俺が何の為にお前を無理矢理引き込んだか、」

三蔵の脳裏を羞恥がよぎる。
しかし、今引き留めなければ彼女は居なくなってしまう。
どうしたらいい、不器用な男の下手くそすぎた愛情表現。
なし崩しに抱き締めてやることしかできなかった。

「離してよ、ハゲ蔵っ!」
「悪かった…な…

お前を、意味なく殴ったりはしねぇよ…」
「っ…ううっ」
「見間違えてんなよ、震えてるくせに、怖いなら離れんな。
居るって言ってんだろ、」
「ごめ、なさ…っ…今まで、ずっと…」
「三週間だ…長かった、気が狂いそうで、どれだけ心配掛けさせやがって」
「だって、だって…私、すごくがんばって三蔵好みの女の子になろうとしたのに…丈が短いって、それだけで、」
「っ……他の奴に見られたくねぇんだよ、お前の、脚……お前は俺のもんだろが、悟浄好みに着飾るんじゃねぇよ。」

それ以上言葉には出来ない、しかし彼の腕はしっかり伝えていた。
剥き出しの太股に触れて、髪をかき分けて耳たぶに唇を押しやれば海は身を震わせ大人しくなった。

「んんっ、痛くないよ…」

三蔵の唇がそっと叩いた海の頬に触れたのだ。しかし、彼の唇は止まない雨を加速させる。

「まっ、て…私…でも、私はやっぱり誰のものにもならないよ、でも三蔵は私のもの、だよ…」
「…ッ……何、言ってやがるおまえは。」

微かに唇が重なった、赤いのは痛みではないのは明らかだ、しかしキスで身悶えるほどの羞恥に駆られたのは三蔵だけ、上手を歩みにっこりと柔らかく微笑む海。

柔らかな髪は掴んだ途端に弾けてゆく。彼女を完全には誰も奪えない、三蔵の先に海を見つめる優しげな眼差しがあることを分かっているから。

だがいつか心ごと優しい海を、この手にしたら。
落ち着く位置に海を抱き締めた。

「……それでいい。だから、何も言わなくていい…濡れたから寒い。もう暫くこのままでいろ。」
「はい、」

彼の言葉がこんなにも温かい、胸に染み込んで深く深く届く様に、海は瞳を閉じて背後から抱きすくめていた彼に振り向いて胸板に顔を埋めた。

「三蔵の匂いがする…すごく、安心する…ね、」
「…海、」

何も言わなくても目と目で通じ会える距離が愛しい。

気付けば2人を濡らしていたあの雨は止んで居た。

落ちていた濡れた赤マルを拾い集め宿屋に帰る2人を月明かりが照らしていた、月の明かりに桜の花が微かに舞っていた様に。

部屋に戻ると同じ部屋の悟空の姿はなかった。
仕方なく隣の部屋に行こうとした海を引き留めた。

「風呂に入る、また入り直しだ、背中を流せ。」
「…えっ!?」

手を引いて歩みを止めれば海は三蔵の言葉にまん丸の目を見開き口を動かした。
ずぶ濡れでお互いに見つめ合うこと数分、先に濡れた寒さで負けたのは海だった。

「三蔵、叩いたの怒ってるの?ごめんね、でも嫌よ、」
「さぁ。聞こえねぇな…」

2人の頭上に絶え間なく降り続いた冷たい雨はもう無い。
人知れずに離ればなれだった2人は強くまた手を繋ぎなおした。


Fin.
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