兄から母へ
『ちょっとお前来い』、と私を廊下の影に引きずり込んだのは学問担当の先輩だった。
「あっ、どうもです」
「シノ、すげー噂立ってるけど」
「私、カエルなんて飼っていませんよ」
「誰も、んなこと聞いてねーよ、どんな噂だよ!」
「違いましたか?」
「ちげーよ」
本題に行く前に疲れている先輩に『相変わらずだなぁ、この人も』と心の中で、笑ってしまう。単にからかっただけで、先輩の言う『すげー噂』には心当たりがあった。
数秒で復活した先輩は私の肩を掴み、顔を寄せてきた。
「お前、ジャーファル様と付き合ってるのか」
そう聞いてくる先輩の目は真剣に私を心配していた。そんな先輩に私は申し訳なくなりー
「…ダメです、先輩」
「はぁ?」
「顔が近いです。ジャーファル様に怒られます」
からかいを続行した。
私の言葉を聞くと同時に先輩はばっと私を離した。
「ま、まじかよ」
目が見開かれている。
「ジャーファル様とは幾度も(急な仕事で)夜を共にしました。最初は(睡眠不足で)苦しい毎日だったのですが、だんだん体がなれていきました。次第に私はジャーファル様の(途方もない業務量的な)要求に答えていくうちに、何よりの喜びを感じるようになってしまいました。あの方も、私(が仕事をこなせるようになっていったこと)の変化に気づいたのか、ますます要求はハードにー」
「何言ってるんですか」
そんな台詞と同時に何かで頭をぽふっと軽く叩かれた。どうやら手に持っていた丸めている資料を武器にしたようだ。
「噂に拍車をかけてどうするんですか」
「いや、事実を一部伏せてありのままに」
「先輩をからかわない」
そう言って、またぽふりと資料で叩かれた。当の先輩は、問題の本人ジャーファル様の登場に固まっていた。先輩は気付いていなかったが、私はスパルトス様に呼び止められたジャーファル様を廊下で待っていたのだ。話が終わった彼がいなくなった私を探すのは必然で。
『どっきり成功』とか思っていると、無言でまた頭を叩かれた。
「シノとは部下と上司以上の関係ではありませんよ」
ジャーファル様は、この前の初老文官を相手にした時とはたいそうちがい、穏やかな顔で否定した。
「ジャーファル様、先輩には優しいですね、いつもなら問答無用で撃退してるのに」
「君の先輩でしょう、心配してくれているのですよ」
『君を心配してくれる数少ない方です。大切にしなさい』『数少ないとかひどいです』『事実でしょう』そんな会話を私と繰り広げているジャーファル様に、先輩は、『こいつよろしくお願いします』と頭を下げ、『はい、お願いされました』とジャーファル様は返した。何だ、この状況。
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