先輩の職場見学


「失礼します」

学問担当の下っ端文官には無縁である財務担当部屋の前に俺は立っていた。多少の緊張が声に混じったかもしれない。が、この部屋に来る多くの文官は皆似たり寄ったりだろう。

どうぞとの声が聞こえ、入室すると入り口近くの文官が顔をあげた。

30代半ばで精悍な顔つきに、鍛え上げられた筋肉。とうてい文官とは思えぬ男性だが、彼は確かに官服を着、机の上には財務官らしく、俺には確実に扱いきれないだろう大量の資料を積み上げていた。

「何かようか?」

捻り出される低音の声に俺は正直びびった。やっぱりわざわざこっちに来るのではなく、あいつに学問担当部屋に来るように言えばよかった。財務担当になって忙しいみたいだし、後を引き継いだ寺子屋話を聞くついでに職場見学してやるぜと思った俺がバカだった。

あのどこかぬけた後輩がいるとはいえ、ここは財務担当部屋なのだ。その本質は以前とまったく変わらなくて。

行動ミスった。てか、あいつここでやっていけてんのか。

脳内で反省会と後輩への心配を悶々としている間にも、筋肉文官の俺を見る目は険しくなっていく。

やばい、捻り潰されそう。回れ右をしよう、そんなことを思った時だった。

「あぁ、シノですか?」

奥から聞こえてきた穏やかな声に俺は心底ほっとした。

我らが下っぱ文官の憧れジャーファル様だった。『彼は寺子屋設置企画の後任者ですよ』とジャーファル様が説明してくれたおかげで、筋肉文官の中で俺は不審者の地位から脱することができた。

「すみません、あの子今黒秤塔に行ってまして」

その言葉に内心俺はガッツポーズをした。帰ろう。

『じゃぁ、伝言を―』俺がその言葉を紡ぐよりジャーファル様の言葉がほんの少し早かった。

「もう少しで帰ってくると思いますので、少々待ってもらえますか?」
「えっ」
「お互い仕事が忙しいでしょう。また会うのも手間だと思いますし」

一理あるが、俺は部屋に帰りたかった。不審者扱いを脱したとはいえ、この筋肉文官の視線が鋭いことに変わりはない。が、俺のそんな内心なんてジャーファル様の好意の前には塵に等しい。

「今空いてるスペースないので申し訳ないですが、そこのシノの席に座っておいてくださいね」

そしてジャーファル様が指を指したのは、筋肉文官の隣、一番扉に近い席だった。

い、いやだ!

なんて、言えるわけはなく俺は全神経を右隣に集中させながら、『どうも』と軽く会釈をしてあいつの席に座った。

『あぁ』と頷き視線を自分の書類に戻した筋肉文官は黙々と羽ペンを動かし始めた。俺達に視線を注いでいた他の文官達も、それぞれの仕事に戻り、室内は静けさに包まれた。

落ちつかねー

見慣れぬ部屋に無自覚に視線を泳がせていたが、自分の行動に気付き、慌てて視線を机に落とす。何か重要書類でも見てしまったら大変だ。

あいつの机に書類らしいものは置かれておらず、俺は安心して机を眺めることにした。俺の目に飛び込んできたのは学問担当長官が、配属した際に皆に必ず贈ってくれる自作の木彫り像アバレウミガメだった。ちなみに学問担当の俺の席にある木彫り像はパパゴレッヤで隣の先輩はパパゴラスだ。『なんで私だけ南海生物なんですか。長官には、私がアバレウミガメに似てるように見えるんですかね』としょげていた後輩の姿が思い出される。俺達の予想では単にネタ切れなだけだ。

後輩とのやり取りを思い出し、少し緊張がほぐれた。すぐには気付かなかったが、今俺が尻にしいているのは見慣れたクッションだし、なんか、ここだけは学問担当だなと思った。

そんなことを考えていたら足に何かがあたった。どうやら机の下に物を突っ込んでいたらしい。覗き込むと、袋に乱雑に放り込まれた、掛け布(使用感有)、アイマスク(目らしき絵付き)、枕(多分羽毛)等が見えた。

ここお前の部屋かよ…





程なくして『戻りましたー』と扉が開き、あいつが大量の資料を抱えて部屋に入ってきた。

「あー、先輩だ。久しぶりです。どうしたんですか?」
「久しぶりじゃねーよ。この前廊下で会ったろ」

どんだけ物忘れが早いんだと、聞き慣れた声に返事をすると、以前と変わらぬトーンで『そういやそうでしたね』と呑気に返すこいつに俺は気が抜けた。財務担当になっても、こいつは変わらないらしい。

「ちびすけ、こいつ、お前の昼寝セット見てどん引きしていたぞ。枕はないな」

俺の行動をしっかり見ていたらしい隣の筋肉文官があいつに喋りかけた。『ちびすけ』って…

「えっ、枕って必須じゃないですか。直接床に寝ると頭痛いじゃないですか。むしろアイマスクの方にひいてたんですよね、先輩!」

床で寝てんのかよ、こいつ。俺はむしろその行動にひく。

「てめー、人が譲ってやったもんにケチつけんのか」
「変な絵を描かれたからって、私に押し付けたようなもんじゃないですか」

筋肉文官と言い合っているこいつは思った以上に、財務担当に馴染めているようだった。

「君達いつまでしゃべっているんですか、さっきから彼を待たしていたんです。さっさと話をして部屋に返してあげなさい」

ジャーファル様の言葉に頷き、俺は当初の用件である寺子屋企画の話をした。



そう言えば、こいつの上司ってジャーファル様になるのか。筋肉文官にはびびるが、ジャーファル様から直接指示もらえるなんて、正直羨ましい。

俺は少しの嫉妬といっぱいの安堵を胸に財務担当部屋を後にした。

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