色
申請された追加予算について、トップ同士で話した方が早いと、私は学問担当部屋を訪れていた。この部屋は独特の空気が流れている。他の担当と比べてのんびりしており、それぞれが自分のスピードで仕事を進めている。仕事にひたすら追われている財務とは正反対だ。
ちょうど仕事に区切りがついたのか、端の方で年若い文官がお茶を用意している。その道具は本格的で、到底職場には似つかわしくなかった。
他の職場からしたらありえないことだ。しかし、成果をしっかり出しているのなら、そのやり方に口を挟んだりはしない。それぞれの担当にそれぞれの色があるのだから。
ふと、少し前にここから引き抜いてきた部下のことを思い出した。彼女は現在どちらの色なのだろう。目の前の学問担当長官と予算の話をしながら、そんなことを考えていた、その時だった。
ノックの音がし、聞き慣れた声で『失礼します』と扉が開かれた。そこから顔をのぞかせたのは、たった今考えていた部下で。
偶然に驚く私に、『あっ、ジャーファル様』とシノはこちらに歩いてきながら、私には軽い会釈を、学問担当長官には深い礼をした。
『お久しぶりです、長官』と頭を下げるシノに、元上司である学問担当長官は、『先週もここへ来たじゃろう』と髭を撫でながら返している。その空気はとても穏やかなもので。
それはまさしくここの『色』だった。
仕方ない。彼女は、財務よりも学問担当にいた時間の方が圧倒的に長いのだ。当たり前のことなのに、私はなぜか自分を無理矢理納得させた。私のそんな内心なんて露知らないシノは、その『色』をまといのんびりとこちらに質問をふってきた。
「ジャーファル様は追加予算の話ですか?」
そう尋ねる彼女に『えぇ』と頷くと、シノは『うーん』と少し悩み口を開いた。
「長官に、『寺子屋のために力の限り予算をぶんどってください』というべきか、『お手柔らかに』と言うべきか迷います」
そんな台詞が返ってきた。どっちつかずの言葉に少し嬉しくなった。
「で、先輩は慌ててどこにいくつもりですか」
入口からこちらまで来ていたシノが、急にぐるりと体を反転させた。彼女が止まったすぐ側の席では、男性の文官が急いで荷物をまとめているところだった。
「い、いや、ちょっと用事を…」
「大丈夫ですよー、私も忙しいからそんなにお時間とらせませんよ」
確か、あの文官はシノから『寺子屋企画』を任されたものだったはず。彼女がこの部屋を訪れた理由だろう。
「先輩、別室に行きましょうか」
そう言うシノは私が今まで見たことのない、満面の笑みだ。口からは『ふふふ』と笑いがこぼれている。
どこかぼぉーっとしていることが多い彼女もあの手の表情ができるのだと少し驚いた。財務では見られない表情が非常に新鮮だ。
「い、いや、俺達、男と女だろ、ほら、密室に二人っきりはまずいって」
「ここでいいんですか?私はそれでいいですよ」
物珍しさに、にこにこと笑っているシノを眺めてしまう。
しかし、私とは違い、周りの学問担当官は元後輩である彼女のその姿になれたもので。『おぉ、先週に引き続き今週も別室とかやるなぁ』『俺も誘ってー』と野次が飛んでいる。
そんな言葉を適当に流しながら、後ずさる男性文官の手を掴み、シノは一言。
「逃げんな」
その言葉に、先輩にあたる彼は『はい』と項垂れ、奥の小部屋に連れて行かれた。
普段目にしないシノに目を丸くしていると、目の前から笑い声が聞こえた。
「最近寺子屋企画がちょっと遅れておりましてのー。あぁやってたまに来ては別室にこもっておりますぞ」
そう言えば、たしかにここ最近何度か、『寺子屋案件の指導行ってきます』と無表情で席を外していたことが思い出された。
「それにしても、あの子も随分財務に馴染みましたのー」
「そうですか?」
学問担当長官の言葉に私は首をかしげた。つい先ほどまで、学問担当部屋に違和感なく馴染む彼女を見たところだったので余計に疑問に思ってしまう。
不思議そうな私に学問担当長官は自慢の髭を撫でながら、にやっと笑った。
「先ほどのあれなど、ジャーファル殿や他の財務の方達にそっくりです」
その言葉に顔を覆いたくなった。あれがうちの『色』なのか。
シノが財務に馴染んでいるのを喜ぶべきか、財務の印象を嘆くべきか。ため息が出そうになった。
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