暴論を振りかざせる相手(本編25話after)


「マスルール、見ろよ」

俺は先輩の言葉に面倒ながらも一応振り返った。

立てこもりの後片付けをジャーファルさんに言い渡され先輩とし始めたのがつい先ほど。こちらの建物に入ってすぐは物珍しそうに回りを見ていた先輩だが、どうやら飽きたらしい。俺を呼ぶ声にため息が出た。

この人には、俺が肩や腕に抱えている意識がない文官8人が見えないんだろうか。

「すっげー、気持ち良さそうに寝てるやつがいるぜ」

その台詞に視線を、先輩が見下ろしている女性へ向けた。確かにその女性は机に突っ伏し、場違いなほど穏やかに寝ていた。しばらく見ていて、その女性から漂う香油に『あ』と声が漏れた。

この人はおそらく最近ジャーファルさんの下に配属されたと噂の部下だ。以前、ジャーファルさんに毛布を渡され、探す手伝いをした時に嗅いだ香りと同じだ。

思った以上に若いな。

毛布に移っていた香りからある程度若いことは予想できていたが想像以上だ。そんなことを思いながら眺めていると、俺の小さな呟きを聞き取った先輩が『なんだよ』と詰めてきた。

隠した方が良かったかもしれないが、面倒なので先輩に彼女とジャーファルさんの関係を喋った。すみません、ジャーファルさん。

「まじかよ!しわくちゃ婆さんじゃねーか」

先輩の第一声は相変わらず残念だ。騒ぎだす先輩を見て、以前ジャーファルさんの部下になる人はこんなやつだと決めつけていた発言を思い出した。

「それにしても若いな。俺たちと同じくらいじゃね?」
「そうっすね」

やはり先輩も年が気になるみたいだ。ただでさえ女性が少ない文官で、年若いとなれば気にならないはずがない。先輩がろくでもないことを考えているのは顔を見なくても分かった。

「ジャーファルさんはこいつと夜な夜な仕事してるのか。やっぱり相当なすけべ心があるとみた!」
「ないと思うっすけど」

またそれかと軽く聞き流す。先輩は俺の反応なんて気にせず、『寝ているとよくわかんねーな』と女性の顔を覗き込んでいる。そのせいで、後ろから近づく気配に気づいてないようだ。

「いいよなー、女性武官とかなかなか好みやつがいないし。その点、文官はまだ可能性ありだよな。仕事場でとか、ジャーファルさんもやるな」

喋り続ける先輩を放置して、真後ろにぴたりとついた気配に俺は振り返り会釈をした。その顔を見た瞬間、視線をそらしたくなったが思い止まった自分をえらいと思う。

「何か言いましたか、シャルルカン?」
「うぉっ、ジャーファルさんか!こいつジャーファルさんの部下なんだろ!」

期待の本人が現れたことに先輩は少し驚いたもののうきうき話をしている。鬼の首をとったようなはしゃぎようだ

先輩はジャーファルさんの顔が見えていないらしい。近年まれに見るひど、いや、すご……俺には上手い表現ができない顔をしている。

「やっぱり、ジャーファルさん、こいつに相当なすけっ!!」

女性の寝顔をまじまじ見ていた先輩の肩をジャーファルさんが掴んだ。それによって、ようやく顔をあげた先輩は、ジャーファルさんの顔を見て一瞬にして状況を理解したらしい。

「すけ?なんですか?」
「いだだだっ、すんません」

ジャーファルさんの暗器は握力使うからな。涙目になる先輩と、力の入れ過ぎで白くなっているジャーファルさんの指先を見ながらそんなことを考えた。

「なぜ謝るんです?『すけ』なんですか?」
「痛い痛い!まじ痛い!ほんと、すみませんでした」

ひたすら謝り倒す先輩をジャーファルさんは一瞥し肩から手を離した。

「謝る暇があるなら、ここの文官達をさっさと大会議室に運んでください」
「えっ」

先ほどまで先輩を見ていた冷たい視線で部屋を見回すジャーファルさんに、先輩が戸惑うように口を開いた。俺は先輩のこういう勇気とも言えない無謀さは心底すごいと思う。

「こいつもですか?ジャーファルさんの部下じゃ…」
「私が部下を特別扱いするとでも?大会議室にぶちこんでおきなさい」
「いいんですか?なんか巻き込まれた文官がいたって聞いたけど、それってこいつのことじゃ?」

なおも言葉を重ねる先輩。『すごい』ではない、尊敬できるレベルだ。

「巻き込まれる馬鹿が悪いのです。それに現場にいた時点で疑わしいんです。疑わしきは黒です」

ジャーファルさんの顔は、修羅場中にシンさんのサインをもらいに部屋に行ったところ、逃亡しようと外套を探している部屋の主を見つけたときのような顔だ。簡単に言うとすごく怒っている。

「シャルルカン、二度も繰り返させないでください」

瞳孔が開きかけているジャーファルさんに先輩は背筋を伸ばし、『分かりました』と叫んだ。

ジャーファルさんは視線を女性に移し、一瞬眉を潜めたあと、『よろしくお願いしますよ』とさっさと踵を返してしまった。

視界からジャーファルさんが完全にいなくなってから先輩はほっと緊張を解き、そして叫んだ。

「スケベ心なんて欠片も存在しねーじゃねーか!」
「言ったじゃないっすか」

むしろあのジャーファルさんがすけべ心で部下を選ぶと思える先輩がすごい。

「ジャーファルさんめちゃくちゃ怒ってるじゃん、まじこわい。こいつ部下なんだろ。容赦ねーな」
「そうっすね」

先ほどの恐怖と痛みを思い出し震える先輩に適当に相槌を打ちつつ、俺はジャーファルさんの反応を思い返していた。俺達以外に『疑わしきは黒』なんて暴論を振りかざしてしまえる人がジャーファルさんにいたとは。正直驚いた。

いまだ騒ぐ先輩を置いて、先ほどのやりとりなんて露知らず暢気に眠り続ける女性を、肩に担いでる立てこもり犯の文官の上にのせた。

女性なのでこの人の上に他の文官を重ねるのはやめておくか。

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