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「そういや、この前造幣局局長が来て発破かけて言ったんですよー。時間がないのは言われなくても分かってるのに」

ぶつぶつと文句を言うシノを『あの人も心配しているんですよ』と宥めながらも、私の心はここにあらずの状態だった。

シノの一つ一つがいやに鮮明に残る。彼女と相対している今もそちらにばかり気をとられてしまっている。局長への苛立ちを紛らわすようにジュースを飲みごくりと動く喉、記憶の彼女よりも少し痩せた頬、シンの元に訪れるような女性と違い少し荒れた手。

否応なしに自覚してしまった。先日の会話を聞いてから、自分のシノを見る目が変わっている。

「どうしたんですか、ジャーファル様?」

余計な思いを振りはらおうと目を瞑ると耳に戸惑いの声が届いた。私が作ってきたパパゴレッヤジュースを手に、ベッドからシノが見上げるようにこちらを見ていた。

そう言えば、この目は以前から印象的だった。初めてシノを見た寺子屋設立の提案会議の時、紙幣導入を頼んだ時、紙幣を期間限定にしたいと言い出した時。その他にも、いつもまっすぐ私を見ていた記憶が蘇る。

その瞳が不思議そうに何度か瞬きをした。

再び逸れてしまう思考を無理やりシノに戻した。

どうにもいけない。
自分のあまりの変わりように苦笑してしまう。

「すみません、少しぼぉーっとしていました。そう言えば、王とヤムライハが見舞いに来たいと言っていましたよ」
「えっ、そんなわざわざ足を運んでもらうなんて。むしろ私がお礼に行かなくては」

自分の内心を隠すため急いで話題を探せば、ここに来る前騒いでいたシンのことが頭をよぎった。

多忙なシンやヤムライハが最後にシノを見たのは、意識が戻らず眠り続ける彼女を見舞いに来た時だった。

彼らに時間の都合さえつけば、是非シノに会わせたい。元気とは言いづらいがしっかりと意識がある彼女を見せ、尽力してくれた二人を安心させたいし、シノも自分の口で礼を言いたいだろう。

もちろん、まだまだ療養の身なのでシノの方から出向くなんてことは論外だが。

「君、病人でしょう」
「でも王様や八人将の方です。こちらに来ていただくなんて恐れ多いです」

自分の怪我のことなんて気にもかけずきっぱりと言い切ったシノを見て、少し悪戯心が起こる。

「私も八人将なのですが」

シノの動きが止まった。
『やば、忘れていた』
一瞬にしてそんな表情になった。

本当に顔にでる子ですね。

「いや、ジャーファル様もそりゃ八人将なんですけど、それよりもなんというか上司というか。ご一緒する時間も多いですし、勝手にもっと身近に思っていました」

彼女の言葉に先日から浮き足立っている心がざわめいた。内心をけどられないようにしていると、少し不安そうにこちらを伺う彼女の顔が目に入り自然と笑みがこぼれた。

「それはけっこうです。ですが、かまえすぎですよ。ヤムライハとは年も近いですし、是非会ってやってください。あなたのことを心配していました」
「はい、楽しみにしています」
「……シンは、まぁ、時間があればでいいです」

つい、シンの女癖の悪さを思い出してしまった。見境ないとは言え、さすがに私の部下にまで手を出すことはないだろうが、それでも念には念を。

『さすがに…』と思い何度裏切られたことか。シノにまで手を出されたらたまらない。

「私一日中暇です。というか、ジャーファル様は時々王様の扱いがぞんざいですよね」
「……気のせいですよ」

頭の中で、『ひどいぞジャーファル!少しは俺を信頼しろよ』と喚くシンを無視した。

「では、私はそろそろ仕事に戻ります。何かあればすぐに回診に来ている医務官に伝えてくださいね」
「大丈夫ですよ。というかですね、ちょっと回診多過ぎると思うんですが」

単なる回診だけではなく、警備もかねている。無駄に心配させたくないのでシノには伝えていないが、やはり不便なのだろう。

先の事件の犯人はまだ捕まえられていない。それどころか手がかりすら掴めていない状態だ。せめて目的が分かるまでは警備を緩くすることはできない。

「何言ってるんですか、君、死にかけたんですよ。いつ調子が悪くなるか」
「今はだいぶ元気になっています。のんびりできないですよー」

シノに不自由を強いていることの申し訳なさと嘘をついていることの後ろめたさに心が傷んだ。

「そんな顔しないでくださいよー。ちょっと愚痴を言ってみただけです。ありがたく思っています。しっかりお医者様に見てもらいますね」

どうやら顔に出ていたようで、シノが場を和ますように明るい声で言った。

「ほら、仕事に戻るんですよね。王様が待ってますよ」

行った行ったと手をふるシノの優しさに甘え、『早く犯人を見つけなくては』と再び強く思うことで私は気持ちを落ち着け、部屋を後にした。


会った頃に比べ、随分と私の内心をはかれるようになったシノ。近づいている距離に嬉しくなる一方、自分の思いが気づかれるかもしれないと不安も感じてしまう。

自分が抱えているものや自分とシノの関係。それを考えると育ちつつあるこの思いをどうにかする気はない。しかし自ら刈るにはすでに育ち過ぎていた。厄介な癖に心弾むこの感情。

誰にも迷惑をかけないようひっそりと心の奥にしまっておこう。
感情のコントロールくらいできるはずだ。

私はそう自分に言い聞かせ、王の執務室へと足を進めた。

まずは、シンのところへ戻る前に顔の緩みを戻さなくては、別の厄介ごとを招くにちがいない。

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