25


私が後ろに下がった後は、こちらもあちらも『労働環境の改善を!』と『とりあえずそこの馬鹿を下ろせ。建物の解放が先だ、こんな場でまともな話し合いなんかできるか』とやっている。先ほどよりも明らかにジャーファル様の態度が硬化している。うん、私のせいだね、確実に。

「この一月近く、家に帰っても娘の寝ている顔しか見てないんです!」

涙ながらに保管担当の文官が外に向かって語りかけている。そう言えば財務の先輩も『娘に人見知りをされた』とショックを受けていたっけ。パパは大変だ。同情してしまう。あれ、これってストックホルム症候群だろうか。どうなんだろう。

そんな取りとめもないことに頭を悩ませいてると、建物の外から野次馬の慌てる声が聞こえてきた。どうやらこちらの文官がインクを下に向け、まいたらしい。

「あっ、ちょっと、保存資料や書簡は投げないでくださいね」
「分かってる」

仕事上重要なものや人を傷つけかねないものを投げる気はないのか、窓際にはインクやクッション、羽ペン、未使用の書簡などが置かれている。一番手軽に投げられる、部屋の大部分を占める資料に手を出さないなんて文官の鏡だ。それに、忙しい修羅場中にやるのではなく、全てが一段落したこの時期に決行したこと。おそらく関係者に配慮してのことだろう。その仕事優先を貫くところが涙ぐましい。

そんな彼らの要求は、

「1ヶ月の残業は最大100時間までにしてください!」

うん、無理だ。うちの平均残業時間が100時間くらい。王が難民を連れてくると簡単にそれを上回る。文官は慢性的な人手不足だから仕方ない。

そうなのだ、ばかすかと王が難民を連れてくるのに文官は一向に増えない。何故なら文官はある程度の教養がいるから。

だからこそ寺子屋ですよ!国民に文字や簡単な計算を覚えてもらい、シンドリア全体の学力向上を目指す。やっぱり人材成長が鍵だと思うんだよね、私は。

難民仲間のちびっ子に話を聞くと、文官に憧れる子も少なくないらしい。国民に対して誠実なお国だもんね。王や八人将の人気に伴い、文官もそこそこ憧れの職業みたいだ。文官の人数が増えれば、やれることも増えるし、私達の残業時間も抑えられる。色んな政策を実行に移せて、経済もよりよくまわって税金がっぽがぽ。いいことづくめ!!

寺子屋の有用性を考え一人盛り上がっていると、建物の外が騒がしくなっていた。何事だと耳を澄ませば、交渉中の文官が『シンドバッド王』と呟くのが聞こえた。

下から聞こえる声によると、どうやら王様とシャルルカン様、マスルール様がやってきたらしい。もしもに備えての戦力だろうか。あの方達が出ることなく、穏便にすむとよいのだが。

一瞬にして緊張感を取り戻した部屋の雰囲気に私は息をひそめた。

王様はすでに状況を聞いていたのか、下の野次馬が静かになると、すぐに喋り出した。

「先月は難民受け入れで無理をさせてすまい!次からは、君たちに無理をさせないように気をつける!」

王様のよく通るその声に立てこもっていた文官は少しためらい、こちらに振り返った。そして他の文官達と頷き合い、意を決した声で叫んだ。

「その言葉は前回もお聞きしました!それに王は困っている方を見捨ててはおけないでしょう。」

叫んでいる声は、国の主たる王に逆らう恐怖とそれでも訴えずにはいられない現状に板挟みになって少し震えていた。資料室にいた文官は固唾をのんで、交渉中の文官を見守っている。

王に異を唱えた彼らがどうなるのか。

王がなんと出るのか。再びこちらが言葉を紡ぐのか。嫌な緊張が漂った。


その研ぎ澄まされた緊張を壊したのは、王でも文官でもなく『だから言ったでしょう!あれほど無茶をするなと』とジャーファル様の王を怒る声だった。

微動だにしなかった文官達が安堵の息を漏らしている。

先ほどまでこちらと交渉中だったジャーファル様が、くどくどと王を怒る声と、それを落ちつけようとする王の声が聞こえてきた。王宮の中の非日常なこの状況が、一瞬にしてよく見られる光景になった。


「分かった。次からは難民を連れてくる時は、彼らを保護したらすぐ早鳩を飛ばすようにしよう。」

王様はジャーファル様を落ちつけ、緩んだ空気の中でわざとらしく咳払いをしてそう言った。しかし、その言葉に、王による問答無用の修羅場を幾度も経験した文官達は心の中で『うそだろ』と突っ込んだ。

「その言葉は、前回も前々回もお聞きしまた!出港のあわただしさで出すのを忘れていたと、何回おっしゃったんですか!鳩がこちらに来てから王が帰還するまでのたったの数日で、難民の受け入れ準備が可能と思うのですか!」

先ほどまでは緊張に震え、慎重に言葉を選んでいた文官だったが、今回は早かった。

自分に非があることが分かっているのか、その言葉に王様は『あー』とか『うぅん』など唸っている。『ちょっとジャーファル君、そんな目で見ないで、俺が悪かったから』と焦る声も聞こえる。

文官のトップである我らが上司は一体どんな顔をして王を見ているんだろう。

「あー、では難民かもと思ったら早鳩をだなぁ。」
「先ほどの無理はさせないというお言葉はどこに言ったんですか!年次計画が変わるだけで我々は無理をしているのです!」

今、この場にいる文官は皆心の中で頷いていると思う。当初の予定が変わるって大変だ。全てがやり直しである。

『王様言葉を選んだほうが』と言うシャルルカン様の言葉に同意する。こちらの文官が暴れる前に、王様の隣の政務官様が暴れると思う。

そんなことを思っていたら、『シャルルカンあなたもです!』と叫ぶ声が聞こえた。

「先月の難民受け入れの2回ともあなたが王についていましたよね。どうせ、王と一緒になって何も考えずに亡命をさせたのでしょう」
「『ほっとけるわけねーしな、俺達についてこい』とか言ってたっすね」
「マスルールてめー裏切んな」
「受け入れないとは言っていないんです。もう少し考えてからしろと言っているのです!」

いつの間にか、文官を束ねるジャーファル様VS人を見捨てておけない大きなお子様達の構図になっている。ジャーファル様のあの様子を考えると、こちらへ強行突入の末流血沙汰みたいな事態にはならなさそうだ。

よかった。文官として同じ苦労を分かち合っているため、たとえ立てこもりを決行したとは言え彼らが傷つくのは見たくない。

それにここはシンドリアなのだ。王政であっても、自分の意見を比較的素直に言うことができる、この世界では稀有で素晴らしい国なのだ。武力で突入されたらそれが崩れてしまう。私の、この国を好きなところが壊れてしまう。


だから、根拠はないのに、何もかも上手くおさまりそうなこの状況に酷くほっとした。

ジャーファル様のいつも通りの怒る声に『私、やっぱりシンドリア好きだなぁ』なんて暢気に思っていたら欠伸が口から洩れた。さっき寝たのに、安心したせいで、また眠気が襲ってきた。


緊張感ないなぁ、と思いながら目をこするも瞼はあっという間に下がっていく。ジャーファル様が王やシャルルカン様を怒る声を子守唄に、私は机につっぷし、再度意識を手放した。

prev next
[back]


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -