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「えっ、人がいますよ」
「どうしましょうか」

そんな声に私は目を覚ました。黒秤塔別館で調べ物をしていたらいつの間にか寝ていたらしい。『いけない、怒られる!』と身体を起こした私の目の前には文官が5人。どこかで見たことのある顔が混じっていたが、寝ぼけた頭では思い出せなかった。

それよりも今は仕事場に戻ることが先だ。まだ昼休みではありそうだが、午後の就業時刻に間に合わなかった時の怒れる上司を想像し、寒気がした。私は目の前の文官達に起こしてくれたことの礼を言い、扉へ向かおうとした。しかし、

「あー、ごめんね。出ていくのはちょっと待ってもらえるかなぁ」

と、困った顔をした中年の文官に腕を掴まれ、部屋を出ていくことを止められてしまった。なんで?


「馬鹿なことをせず出てきてください!」

ジャーファル様が建物の外で叫ぶ声が聞こえる。

どうしよう。大変なことに巻き込まれてしまった。

私は部屋の中を見回しながらこっそりため息をついた。先ほどまで私が寝ていた、大して広くもないこの資料室の中には、中堅どころと思われる文官3人がいた。そのうちの一人が窓から顔を出しジャーファル様と叫び合っている。

話を聞いたら労働環境の改善を求めて、この黒秤塔別館に立てこもり中らしい。廊下と部屋を行ったり来たりしている若い文官もそれなりの人数がいて、そこそこ大規模のストライキ兼立てこもりだ。

立てこもり中の彼らも大事なシンドリア国民のため、外のジャーファル様達は手をこまねいているらしい。

先ほどからジャーファル様の、叫びながらも語りかけるような声が聞こえてくる。あれは外向き用の声だ。相手を無駄に刺激しないよう気を使っていることがここ数カ月の経験で分かってしまう。


それにしても労働環境の改善を求めるなんて。財務担当を差しておいてどこの担当だ。そう思い、巻き込んだことを謝罪してくる文官に尋ねてみた。

すると、先月二度の難民受け入れによる修羅場を共に乗り越えた『保護及び移住に関わる調査及び統括管理担当』通称『保管』の方たちだった。だから、目覚めた時に見た文官に見覚えのある人がいたのだろう。

彼らは難民の受け入れの陣頭指揮をとっている。毎年、どれほどの人数なら受け入れ可能か算定し、限られた予算で綿密な計画を策定している。またデスクワークだけでなく、難民受け入れ時には、彼らは実動部隊へと早変わりする。その仕事は、住民登録に始まり、医務官による検査の手配、簡易施設や備品の提供に果ては就労支援と多岐に及んでいる。

そんな限られた予算に限られた人員その他諸々の制約条件があるにもかかわらず、王が毎度毎度『そんなちっさいことにこだわるな』と難民をばかすか連れてくる。年次計画って何だろうね。

さらに、保管担当は、毎度の王様の無茶ぶりに頭を悩ましているのはもちろん、難民受け入れ後のアフターケアも担当している。これがなかなか曲者。増設地の急な変更、難民1人当たりの支援額の削減、孤児の里親探し、隣人トラブルとありとあらゆるクレームが彼らのところにやってくる。うちと肩を並べるくらい大変な担当であり、過労の財務、鬱の保管と影で言われていたりする。

そんな彼らに私は、囚われの身、となったわけはなく、『悪いね、そこに座っていて』と資料室の椅子に座らされている。彼らは単にどうしようもない労働環境を改善したいだけで、人を巻き込むつもりはなかったらしい。

現在封鎖中のここ黒秤塔別館の入り口から出ようとしない限りは自由を保証してもらっている。おかげで手首を縛られることもなく、手洗いにも自由にいけて、快適な身の上だ。先ほど給湯室で勝手に入れさせてもらったお茶が美味しい。

『これで午後の就業開始時間に遅れかけていたことはちゃらだな』とせこいことを考えたのはジャーファル様に秘密だ。


立てこもりが始まって、早1時間。『とにかく降りてきてください』『労働環境の改善のお約束をしていただくまで、我々は動きません』と続いていた交渉も一旦は休憩らしい。

ジャーファル様の声はいつの間にか聞こえなくなり、こちらの文官達は後ろの机で今後のことを相談中だ。

ちょうどいいと、私は読んでいた資料『七海連合の経済協定及び波及効果報告書U』を机の上に置き、窓から顔を出してみた。いや、だって下がどうなっているか気になるじゃん。

すると、こちらに背を向けて文官に指示を飛ばすジャーファル様が見えた。近くにはヴィゴさんや財務の先輩もいる。立てこもりの知らせを聞いた時、一緒にお昼でもとっていたのだろうか。その他にも侍女や留学生、思った以上の人数が建物を取り囲んでいた。

皆、案外野次馬根性あるよねと思っていると、ヴィゴさんと目があった。とりあえず手を振ってみると、ヴィゴさんは一瞬目を見開いたあと、隣のジャーファル様に顔を近づけ何か言葉を呟いたみたいだ。

その数秒後、ジャーファル様が勢いよくこちらに振り向いた。その顔は『驚愕』の二文字。目が見開いて感情が消えている。王様が禁酒を破って、城下の酒場でシャルルカン様と酒盛り中と報告を受けた時のようだ。

まずい、何か言わなくてはと言葉を探していると、『あの馬鹿、クビですね』というヴィゴさんの低い声が微かだが風に乗って聞こえてきた。

「ちょっと、私巻き込まれただけですよ!」

このままだと明日から仕事がなくなってしまう。ジャーファル様への言い訳よりも先に、ヴィゴさんの台詞に反論した。

すると私の声に気づいた、後ろのテーブルで相談していた文官達の一人に『ちょっと君、乗り出したら危ないよ』とお腹に腕を回されてしまった。『あっ、すみません』と大人しく身体を戻す私を見てか、ジャーファル様が口を開いた。

「シノ、そこで何をしてるんですか!」
「えっ」
「君は馬鹿ですか!言いたいことがあるなら、何故私に言わないんです。ちょっと降りてきなさい!」
「へっ」
「いつも平気で居眠りをする図太さがある癖に、何故こういう大事なことは言わないのです!」

先ほどまで犯人を説得させようと優しく語っていたジャーファル様の態度が一変した。あぁ、いつものジャーファル様だ。

しかし、このままいつものお説教タイムになられても困る。

「私、巻き込まれただけですよ!」

と、言うだけ言って急いで顔をひっこめた。

『ジャーファル様、めちゃくちゃ怒ってるんですけど!』と隣の文官を見やると、こちらも驚愕の顔をしていた。『なんで?』と思い、周りに目を向けると、他の文官も隣の方同様、皆驚き、そして同情するような目でこちらを見ている。私同情されるようなことしたっけ?

「君、もしかして財務担当かい?」
「あっ、はい。過労の財務です。少し前に移動してきました」

そういや、名乗りはしたけど担当までは言っていなかった。すると私の言葉を聞き、保管担当は、

「娘と同じくらいの子を財務に入れるだなんて。なんてことだ。やはり労働環境の改善が必要だ」

と強く頷いていた。なんか燃料を与えてしまったらしい。

先ほどまでジャーファル様と交渉していた文官の方が窓枠に手を置き、大きく息を吸い込んだ。

「経験を積んだ男性でも耐えられない財務にこんな年若い少女を入れるなんて何を考えているんですか!」
「彼女は図太いから大丈夫です!私が保証します」

何が『保証します』だ。そんなことを保証されてもちっとも嬉しくない。今度は乗り出さないようにしながら、私は反論した。

「ジャーファル様ひどい!私繊細ですよ!」
「うそおっしゃい!財務に来て1週間目から床で寝たのはシノ、君が初めてです!いいからとっとと降りてきなさい。君とはしっかり話す必要があります!」

目が据わっている。正直今のジャーファル様のとこには降りたくない。戻ってきて外向きの顔!私人質(仮)なのに。巻き込まれただけなのに。

過去になく怒っているジャーファル様の剣幕に怯えていると、ジャーファル様の隣にいるヴィゴさんが不穏な台詞を吐くのが聞こえた。

「ジャーファル様、突入したらどうですか」
「ヴィゴさん!安全第一!」

ついまた乗り出して反論してしまった。

こちらを刺激しないよう後ろに下がっていた武官の方がちらちらとジャーファル様にアイコンタクトをとろうとしている!止めて、本当止めて!

収拾がつかなくなってきたのか、隣の文官に『シノさんだっけ、君はちょっと下がっていてね』と言われ、後ろに下がらされてしまった。その際にジャーファル様の『あとで覚えていなさい、シノ』という声が聞こえてきた気がする。

こ、怖い!

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