05


東の空が明るみ始めたころ、無事今月の月末精算を終えた。結局職場挨拶なんてしなかった。

しかし、同じ修羅場に立ち向かうもの同士の奇妙な連帯感で、私は案外すんなりと財務担当初日を乗り切った。

長い仕事を終え布団にもぐったのが未明。
しかし、いつもの時刻に私は『目痛い…朝日が』と、無理やり身体を起こして、布団から出た。推定睡眠時間は2時間である。推定なのは、這いずるように部屋に戻り、昏倒するように寝たため、正確な時間が分からないから。

眠くて仕方ないが、仕事はそう簡単に休めるものでもない。私は疲労が癒えていない身体を引きずるようにして、財務担当部屋へ向かった。

奇妙な連帯感で乗り切った昨夜だったが、一晩寝て、その感覚は抜けた。新しい職場になじめるか心配になってくる。なんたって財務担当は文官の花形であり、日蔭の存在である学問担当からみると、皆エリートなのである。

それにみんな私よりも一回りも二回りも年上だ。ちなみに一番年が近い人が、一番偉いジャーファル様である。『職場での悩みは年の近い先輩に!』とよく言うが、私の場合は無理だな。

そんなことを考えながら、財務担当部屋の扉を開けるとそこは閑散としていた。

「?おはよう、ござい、ます?」
「シノですか。おはようございます」

あれっとっ首をかしげている私に返事をしたのは、部屋の中にいた唯一の人ジャーファル様だった。ジャーファル様は、朝にふさわしいすっきりとした表情をしていた。数時間前の、よれた官服で目の下に青黒い隈をこさえた人物と同じとは思えない。未だ修羅場の後遺症の隈が残っている私とは大違いだ。

この人数時間の睡眠でいける性質か、ナポレオンですか。それよりも、二人っきりですか。緊張する。

「早いですね」

夜食が入っていたであろう食器を一カ所にまとめながら、ジャーファル様はこちらを振り返った。どうやら昨夜までの修羅場の残骸を片付けているらしい。私もそれを手伝うことにして、他の方たちはと問えば、

「月末精算明けは午前休を取ってゆっくり休む方が多いんですよ。徹夜で乗り切る方も少なくないので」

『少なくない』というか全員なのでは?てか、それ、事前に教えといてください。私だって眠い。

思っていることが筒抜けだったのか、ジャーファル様に苦笑しながら謝られた。まぁ、あんな修羅場中に、終わった後のことを気遣う余裕なんてないよね。仕方ないか。

「ジャーファル様、仕事の説明をしていただいてもよいですか?」

たまに言葉を交わしながら掃除をしていたのだけど、しばらくして兼務から専任になった際の仕事内容を聞いていないのを思いだした。ジャーファル様は『忘れていました』と掃除の手を止めて説明してくれた。この方でも忘れることなんてあるんだ。まぁ、あの修羅場だったし。

「シノにはこちらに専任という形で移ってもらいましたが、先日兼務の際に言った仕事をメインでお願いします。もちろん月末精算や他の業務もしてもらいますが、基本は紙幣の件をお願いします。それが終われば、学問担当にお返しすることになっています」

そう言えば学問担当の上司もそう言っていたっけ。やること済んだら戻してくれるって。あの言葉を聞いたのが随分前のように感じられる。昨晩、修羅場だったし。

さっきから『仕方ない、修羅場だし』が合言葉となっている。すごいな、修羅場。

『修羅場だし』。その言葉の万能さに一人頷いていると、ジャーファル様の視線を感じた。何だろうと内心びくびくしながら見返すと、すごく優しい目をしたジャーファル様と目が合った。

「君の提案した寺子屋設置の企画は王も私も期待しているのですよ」

ジャーファル様のその言葉に私は嬉しくなった。
覚えてくださってたんだ。

寺子屋設置企画を披露した際の予算会議の場に、ジャーファル様も王様も出ていた。あの時、二人とも『期待している』との言葉をかけてくれたが、定型句と思っていた。まさかこんな言葉をかけてもらえるとは思わなかった。

「他の方に任せて心配でしょうから、もちろんあちらの方にも顔を出しながら同時並行で進めてください。大変だと思いますが、よろしくお願いしますね」

そうほほ笑むジャーファル様は私が今まで思い描いていた八人将の政務官ジャーファル様とはなんか違っていた。もちろんいい意味で。

八人将ということで、雲の上の存在としか認識していなかったが、思った以上に修羅場中ではないジャーファル様は穏やかで話しやすい。


たまに会話をしながら、片付けをしていると、すべて終える頃には昼なっていた。どんだけ汚れていたんだ。

光栄ながらもジャーファル様に昼食を誘われ、私は食堂で向かい合って食事をすることになったのだけど。

多くの視線を感じる。が、気にしたら負けだ。そう心の中で言い聞かせ、こちらを窺っている文官・武官たちを気にしないよう、私は箸をすすめた。

「ジャーファル様も食堂で食事をとるんですね」
「時間がある時だけですが、とりますよ。食事は皆の士気にも関わりますから、常日頃から気を配っておかなくてはいけませんしね」

確かに。食事がおいしくないとやる気なくすよね。その点、王宮の食堂はかなりやる気アップに繋がっていると思う。そんなことを考えながら煮魚に舌鼓を打っていると、ジャーファル様の服の裾から腕がちらっと見えた。白い腕とは対照的に、からみつく眷属器の紐は赤く印象的だった。

そう言えば、ジャーファル様も八人将としてたまに南海生物を倒していたことを思いだす。ぱっと見は細身でお世辞にも強そうには見えないが、この人も戦士なんだよな。友人曰くギャップがたまらないそうだ。私にはよくわからないが。

それにしても周りの視線が鬱陶しい。ついため息が漏れてしまう。まぁ、名前も知れ渡っていない文官がジャーファル様と昼をともにしていれば、見たくなってしまうのだろう。

気になって仕方ないが、声をかける理由もなければ度胸もない。そんな雰囲気が食堂に充満している。小心者の私には非常に辛いが、ジャーファル様はそんなもの気にも留めずに、今日のAランチを食べている。さすが政務官様。ギャラリーなんて気にならないらしい。鋼の精神だ。

ジャーファル様への緊張や、周りの無遠慮な視線による疲労で、再びため息がこぼれてしまう。折角ジャーファル様が誘ってくれたのに、あまり鬱々していたらダメだ。そんなことを思いながら、私が煮物を無理やり咀嚼していると、空気を読まず賑やかに話しかけてきた人がいた。昨晩私の寺子屋推進企画の後釜にちゃっかりおさまった先輩だった。

「シノじゃん。って、ジャーファル様もいらっしゃるんですね」

そう言って、先輩は優雅な拝礼をした。わざとらしいことこの上ない。周りが少しざわついている。『おぉ、誰か話しかけに行ったぞ』とか『あいつ学問担当だったっけ?』とか聞こえてくる。

それを聞き苦笑しているジャーファル様と、じと目の私に先輩は肩をすくめた。

「すみません、後輩が心配だったんですよ、いきなりエリートの財務に引っこ抜かれて、足手まといになってないかどうか」
「少なくとも先輩が行くよりかはましですよ、先輩徹夜できないじゃないですか」

『そうだがてめー先輩敬え、このこの』と頭を押してくる先輩に隠さずため息をつく。

この先輩は私が文官になって初めて仕事を教わった先輩で、今でも何かとかまってくる。別の先輩に言わせたら、『妹みたいで心配なんだろ、よかったなー』と頭を撫でられた。『ちなみに俺は娘と思っているぞ。長官はお前たちのことを孫と思ってるな』。いつ間にか学問担当ファミリーが出来上がっていた。

心配してくれるのはありがたいが、ちょっとめんどくさいと思ってしまう。でも絡みつくような視線が全てなくなったことに、少しの感謝はしよう。少しだけどね。

それよりも、ジャーファル様の前だけど大丈夫なのか、これって無礼にならないかな。

不安になり、目の前のジャーファル様に視線をやると、『大丈夫ですよ』と言わんばかりにほほ笑まれた。

「シノはとても頼りになりますよ。彼女の計算能力のおかげで、今日の未明に月末精算を終えることができました。普段はもう少しかかっていますので」

『これからもよろしくお願いしますね』と安心させるように言ってくれるジャーファル様にホッとした。正直、自分が足手まといになっているのかどうかすら判断できなかったから。この方はできていなければ、はっきりと言う人なので、この言葉に偽りはないだろう。

異動させられたのは本意ではないが、この方の期待にこたえられるよう頑張ろう、そんな気持が沸いてきた。

そして、先輩、いつまで頭小突くんですか、ちょっとうざいです。

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