紅の幻影 | ナノ


戦場のマリオネット 2  


現世の新幹線とは違い、アメストリスの列車は遅い。おまけに今回は距離も遠いので、日付が変わった今でも、リトたちはまだリゼンブールに到着していなかった。

只今、列車が停車中なのはイーストシティからリゼンブールに行く途中にある小さな村のこれまた質素な駅。のどかな雰囲気が漂い、欠伸がでそうなくらいまったりとした時の流れは、つい先日の戦いとのギャップが大きすぎて困る。
老後はこんな田舎暮らしも悪くない、あ、それならリゼンブールでいいか。とエドがぼんやりと考えていると…、

──がばっ

それまで静かに読書していたアームストロングが突然身を乗り出し、プラットフォームを歩く男を呼び止めた。


「ドクター・マルコー!!」
「……(マルコー?)」

響く大声。その名前にリト、そして列車の中にいた妖艶な女も反応した。

「ドクター・マルコーではありませんか!?中央のアレックス・ルイ・アームストロングであります!」

マルコーと呼ばれた初老の男はアームストロングを見るなり顔色を変え、答える事もなく逃げ出した。エドは去っていく後ろ姿をぼんやりと眺めながらアームストロングに聞く。

「知り合いかよ?」
「イシュヴァール戦の後、行方をくらました錬金術師の一人です。…まさか、生きていたとは…」

アームストロングではなく、読んでいた本をトランクに終いながらリトが答えた。

イシュヴァール戦後、特務から最初に出された司令は逃げ出した錬金術師の内、『生きていては困る者』の抹殺だった。特務の諜報部隊がその者たちの居場所を探り、リトたち暗殺部隊が片付ける。優秀な人材のおかけで、暗殺リストに載っていた者の殆どはこの世から消え去った。ただ、例外もある。諜報部隊が動く前に上手く隠れた者たちだ。

「(確か、マルコーもその1人…)」

こんな田舎に隠れ住んでいたとは、どうりで見つからないわけだ。リトはマルコーがリストに載っていたことを思い出した。

もう自分は特務ではない。故にマルコーの生死など、どうでもいい事なのだが…。

「(…生かしておく理由も……ない)」

マルコーもまた、リトの嫌いな部類の人間。さて、どうしたものかとリトが思案していると…

「おい、リト。お前また変な事考えてねーだろうな?」
「…別に。」

エドの勘が良すぎるのか、ただ単にリトが分かりやすすぎなのか。何にせよ感づかれたリトは少し驚き、伏し目がちに目線をそらした。
エドも多少なり気にはなったが、それ以上深く追求する事もせず再びアームストロングの方を向いて尋ねる。

「そのマルコーさんってのは、どんな錬金術師だったんだ?」
「確か……錬金術を医療に応用する研究に携わっていた、かなりやり手の錬金術師だ」
「降りよう!」

アームストロングが思い出したように呟くと、それを聞いたエドは急いで列車を降りる準備を始めた。

それ程の術師ならば、元の身体に戻るヒントを得られるかもしれない。思いたったらすぐ決行。エドはすぐさま列車から降り、アルの元へと走った。

「うわ!アル羊くさっ!!」
「好きで臭くなったんじゃないやい!!……って、ちょっとリト!何でそんな遠くにいるの!?」
「……別に。(ファブリーズって、鎧にも効果あるんでしょうか?)」

羊臭くなったアルを降ろし、四人は急いでマルコーの跡を追った。

駅から暫く歩くと、見えてきたのは小さな村。見失ってしまったマルコーを捜すため、エド達は村の人間に話を聞くことに。アームストロングの描いた無駄にクオリティの高い似顔絵を見せながらこの人物を知っているか?と尋ねると、村人たちは口々にこう言った。

「ああ、マウロ先生?」

マルコーではなく、マウロと男の名を呼ぶ。どうやらこの村では偽名を使って暮らしているようだ。確かに、特務に狙われながら本名を使うようなバカはいない。

「いい人だよ!」
「治療中に、ぱっと光ったかと思うと…」
「もう治っちゃうの!」

誰に聞いてもマウロ……もといマルコーは良い医師だという。

「でも、何で逃げたんだ?」

軍に属する錬金術師なら、こんな田舎とは比べものにならないぐらい裕福な暮らしが送れるだろうに。わざわざ偽名を使ってまで隠れ住む理由が分からない、とエドたちは疑問に思う。

「あんな物を研究するからですよ……」

事情を知らないエド達とは裏腹に、裏の世界を生きてきたリトは数歩後ろを歩きながらボソッと呟いた。その表情に含まれるのは、微かな憐れみと深い憎悪。だがリトの目は前髪に隠れ、その小さな声はエドが扉を開ける音によってかき消された。

──ギィ…
「こんにち……わ」

扉を開けたエドの眼前には鈍く光る拳銃。

──ドン
「うお!!」

何の前触れもなく飛び出して来た鉛玉を回避できまエドは流石というか哀れというか、普段から同じ目に遭っているうちに自然と身についた反射神経が役に立った。

「何しに来た!!」
「落ち着いて下さいドクター」

震える手で硝煙の上がる銃を構えるマルコー。
一体何にそんなに怯えているのか、声を荒立てて叫ぶマルコーをアームストロングが何とか説得しようとするも、興奮した小動物のように威嚇しながら聞く耳を持たない。
私を連れ戻しに来たのか!?もう、あそこには戻らない!、と拳銃を握り締めたまま叫び続ける。

「落ち着いて下さいと…、」

そんな彼に痺れを切らしたアームストロングが担いでいたアルを投げ飛ばすべく、振りかざした刹那。

──スッ
それまで体格の大きいアームストロングの後ろにいたリトが静かに一歩前へ出た。

「……お久しぶりです、Dr.マルコー」

抑揚のない冷めた口調、感情を殺した紅い瞳。記憶の中よりも幾分か成長したその姿を見て、マルコーの脳裏にある少女が浮かんだ。

「まさか……リトちゃん、なのか…?」
「………。」

頷く事も否定する事もしない少女の態度を見てマルコーは確信する。

「そうか……大きくなったね…」

悲しそうに言うマルコーをエドとアルは不思議に思い、アームストロングは目を伏せた。



「───……私は耐えられなかった…」

エド達を部屋へと招き入れたマルコーは、当時のことを思い出しながら、ポツリポツリと語り出す。

軍上層部からの命令でマルコーが研究していた物、それは悪魔の研究とも呼ばれる所業。東部内乱で国軍を勝利へと導く大きな要因となったと言っても過言ではない。しかし、それすなわち多くのイシュヴァール人を殺める道具として使用されたということ。

「本当にひどい戦いだった……」

平和に生きる人々、無関係な人々が見境なく殺された戦。それに加担した事を罪と感じ、マルコーはこの地でマウロと名を偽り、一人の医者として償いを施していたという。

「いったい貴方は何を研究し、何を盗み出して逃げたのですか?」

同じイシュヴァール戦に参加していたアームストロングですら知らない極秘の研究となれば、エドやアルの興味も一層深くなり、黙ってマルコーの言葉を待った。
問われたマルコーはというと、研究の内容が内容なだけに直ぐに言葉が出てこない。そもそもその研究が嫌で逃げ出して来たのだ。マルコーにとってイシュヴァール戦は一種のトラウマのような過去であり、今でも夢にうなされ、当時の記憶が言葉を詰まらせる。

「……賢者の石を作っていた…」
「………っ!」

それこそがマルコーが行っていた研究。しかし、言葉を発したのはリトだった。一同は一斉にリトを見た。

「あなたが持ち出したのは研究資料と賢者の石、違いますか?」

これが15歳の少女の声なのだろうか?あまりにも冷たいリトの声、そして凍てつくような眼差しにマルコーを始め、エド達まで冷や汗が流れた。

「(ああ……やはりこの子はリトちゃんなのだな…)」

リトが賢者の石を心底嫌っているのを知っているマルコーは複雑な思いで目を伏せ、額を押さえた。

そんなマルコーの様子を見たリトは溜め息一つ零すことなく黙って椅子から立ち上がり、出口の方へと身を翻した。

「リト…?どこ行くんだよ?」
「先に駅へ行ってます。戦場から逃げ出した負け犬が二匹もいる所に……ましてや賢者の石なんかが置かれている部屋に長居してると、雪女が目を覚ましそうなので」

遠回しに、お前らが嫌いだ、一緒にいたくない、殺しますよ?……と言っている。その表情は嫌悪と言うより最早憎悪に近かった。

「あ、リト……」
───バタンッ

エドの呼び掛けに振り向くこともせず、リトは部屋を出て行ってしまった。

男だけになった辛気臭い部屋。だが、ピリピリとした氷のように冷たい空気は些かマシになったと言えよう。

「なんか……今日のリト機嫌悪いね」
「あんなに不機嫌なリトなんて久々だぜ?」
「マルコーさん、リトとはいったいどういう関係なんですか?」

リトのあの態度といい、マルコーの表情といい。同じ戦場にいた……と言うことだけではなさそうだ。
訝しんで訊ねる二人の問いにマルコーは暫く沈黙した後気持ちを整理するかのように細く長い息を吐き出し、逆に二人に質問を返した。

「君達は彼女のイシュヴァール戦での話を聞いた事はあるかい?」
「えっと……紅い氷の刀でたくさんのイシュヴァール人を殺したんですよね?」
「他にもっと詳しい事は?」
「初めは軍の傀儡って呼ばれてた。んで、途中から雪女って呼ばれるようになった」
「我が輩もそのぐらいの事しか……」

リトの“雪女”としての話は軍内でもかなり有名だ。しかし、“多くの人を殺した”という事実は知られていても、実際に彼女がどういう過去を持ち何を思い考え、何を知っていて誰を追っているのか……その真実を知る者は少ない。そして、その真実の奥を知る者もまた一握りもいない。

それはエドも例外ではなく、リトの過去は知っていても実際には分からないことの方が多かった。
リトに聞いても教えてくれるはずはなく、分かっているようで解ってない、そんな気持ちがモヤモヤと渦巻いている。

「なあ、マルコーさん……あんたが知ってる事だけでいい。イシュヴァール戦でのリトの事を教えてくれないか?」
「お願いします、マルコーさん」

そう頼むエドの瞳は興味本位や面白半分などではない、真剣そのもの。隣で頷くアルも同じ瞳をしていた。

人の過去をペラペラ喋るのはあまり褒められた事ではないと知りつつも、リトの事を本気で心配し理解しようとする二人にマルコーは意を決する。

「………分かった」

自分の知る事、人から聞いた事でよければ、とマルコーはまた小さな声で過去を語り始めた。



───…それはあの日の続き

言うなれば悲劇、語るべき一戟

狂った舞台で踊る人形が彩るは
シャングリア-理想郷-

幼子の皮を被った化け物よ
赤を紡ぎ、赤に沈め

渦巻くは闇、蠢くは殺意
忌憚すら嘲笑し、玩弄に悦服せよ

暗愚に朽ちる、その時まで…───



2011.01.11


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