6年の月日を遡り、場所を遥か東の地へと移すとそこに広がるは厳格な大地。
赤き瞳を持つ人々が暮らす、イシュヴァール。作物は実らず、水一杯すら金に等しい乾いた集落で、それでも人々は慎ましく懸命に生きていた。
……そう、生きていた。
──パンッ
「ぎゃああぁぁあ!」
──ザシュッ
「うぁあああッ!」
数年前から始まった内乱により、家々は壊され見るも無残な荒野へと変わっていく。
大いなる力によって命は容易く蹂躙され、多くの罪なき命が消えていった。
5つの頂点がある錬成陣。
その外側に立つ研究者たちが見守る中、
───ドドドドド
「ぐっ……、」
───びくん!
「あぁあああ!!」
「ぎっぃいあああ!」
苦しみの叫びを上げる赤い目の人々の命を糧として出来上がった、一欠片の赤い石。
人間を使った非道なる実験が繰り返され、医者は人を殺す。肉体は肉塊へ、魂は赤い石へと再構築。
「なぁマルコーさんよ……なんで俺は医者なのに人殺ししてんだ?」
ここでは医者も殺人鬼。
これを非情と言わず何と言おう。あるいは非常、あるいは悲生。言葉では言い表せない仕打ちを私たちは行ってきた。
あと何人殺せば、この地獄から抜け出せる?
そんな人々の心を嘲笑うかのように内乱は激化し、大総統令三○六六号が下された。
『国家錬金術師 投入』
銃や剣とは桁が違う、彼らは正に人間兵器。
焔、豪腕、鉄血、銀、紅蓮、氷結…
……─────…そして、紅氷。
「………はぁ」
毎日毎日たくさんの人間が死んでいく中、マルコーは与えられた自室で一人考える事が多くなった。
善とは何だ、悪とは何だ?何が正しくて、何が間違っているのか分からない。本当に自分はこんな研究を続けていて、いいのだろうか?
…そう思わない日は今のところないし、今後も悩み続けるのだろう。いい加減、気が狂いそうだ。このままの生活を続ければ精神が蝕まれる日はそう遠くない、出来れば医者にかからせてほしい、しまった医者は自分だった。
そんな自問自答はもう何巡目になるのだろう。
つい先日、この狂った戦争で唯一医者らしく生きる夫婦の話を聞いた。初めは無駄とも思えるその夫婦の行いに驚いたが、医者でありながら人を殺す自分とかけ離れた“医師”である彼らの存在がマルコーの胸を強く打った。
「………はぁ」
ここに来て、ため息の数がドッと増えた気がする。
ある日、そんな精神崩壊寸前の日々を送るマルコーの元へと一人の患者が運ばれてきた。いつぶりだろうか、実験材料ではない一人の患者として人間が運ばれてくるのは。
そんなことを他人事のように思いながら薄汚れた白衣を羽織り、普段は実験台として使われている処置台に横たわる患者を診たマルコーは思わず後ずさった。理解の範疇を超えた出来事に自然と体が震えてしまう。
「はぁ……っ、……っ」
「何故だ……、」
処置台の上に寝かされた患者は傷だらけで、腹部から絶え間なく血を流し、ギリギリ生を繋ぎ留めている状態である。呼吸、心拍音ともに弱く意識はない。
しかし、別にそんな事に焦っているのではない。そんな人間、一歩外に出ればありふれているのだから。
マルコーが慄く理由、それは…
「何故こんな子供が……!」
今マルコーの目の前で死にかけているのは、イシュヴァール人でない幼い少女だった。
軍人ならともかくアメストリス人の子供がこんな戦場にいるなど、新手の虐待にも等しい。
いや、虐待と言うのは些か当てはまりすぎて怖い。雪のように白い肌には殴られたような傷、斬りつけられたような傷、それ以外にも小さな躰に刻まれた無数の古傷があった。虐待…とは言い切れないかもしれないが、この少女が普通ではない生活をしていた事は容易に窺える。
「反抗期なのかなー?最近、生意気なんだよ。だから、ちょっと強めに痛めつけてやったんだ」
そしたら本当に死にかけちゃったよ、全く人間ってのは脆くて嫌んなっちゃうよね。そう言って少女を連れてきた青年はケラケラ笑いながら少女の銀髪を撫で、マルコーに右手を差し出した。
青年の手の平の上で赤々と光るは賢者の石。
「今、リトに死なれると困るんだよねー。だからさ、あんたの力で治してやって?」
青年……エンヴィーはマルコーに賢者の石を渡すと、また闇の中へと消えて行った。
去り際にエンヴィーがリトの額にキスを落とした瞬間、リトの堅く閉じられた瞳が嫌悪に歪んだのはマルコーの気のせいではないだろう。
一体、この少女は何者なのか?エンヴィーとはどういう関係なのか?疑問に思う事は多々あったが、今は何より、この少女の治療を優先させなければならない。
普通ならとっくに死んでいるような大怪我だ。それでもこんなにボロボロになってでも生きているという事は、この少女にはまだ“生きる”という強い思いがあるからこそ。
この小さな命を死なせてはならない、とマルコーの医師としてのくすぶった誇りに火が着いた。
「しっかりするんだ!リトちゃん!!」
──バチ バチッ バチッ
意を決して賢者の石を握り締め、マルコーは術を発動させた。
助けたい……医師として。この小さな命が抱える大きな意思を……助けなければならない。
真っ赤な錬成反応の光がリトを包むと折れた骨は正しく繋がり、腹部の深く大きな傷はみるみるうちに新しい皮膚が再生していった。
あと少し、あと少しで生命の危機、峠は越える。
マルコーがそう思った瞬間…、
──バチッバチ…ッ
「──……ぅっ、…ここ…は……、」
「気がついたかい?」
───バチッ バチバチッ
「──…ッ!それは……っ!!」
──パンッ
意識を取り戻したリトは赤い光とマルコーの翳す石を見るや否や、マルコーの手を叩いた。その衝撃で弾かれた賢者の石が冷たい床の上をカランカランと転がり、同時に赤い光も消え失せる。
「はぁ……はぁ…っ」
中途半端に中断された治療。まだ再生が不完全な皮膚から血が流れる。死にかけ……ではないが大怪我には変わりない。
しかし、その瞳はさっきまで死にかけていたとは思えないぐらい鋭くマルコーを睨んでいた。
「そんなもの……、私に使わないで下さい……!」
紅い瞳に宿る激しい憎悪。
リトの言う“そんなもの”とは賢者の石の事。忌々しそうに石を一瞥し、リトは処置台を降りた。
「……っ!まだ動いてはダメだ!傷が…」
「…うるさい」
───チャキッ
そんな体でどこへ行くのか、と引きとめようとしたマルコーだったが、リトはマルコーに銃を向け低く唸る。
「気安く話しかけないで下さいDr.マルコー……殺しますよ?」
ハッタリなどではない、少女の眼は本気だった。
これ以上マルコーが何か言おうものなら、リトは迷うことなく引き金を引くだろう。
「……っ」
何て冷たい目をしているんだ……と、マルコーは去って行く少女の後ろ姿をただただ見つめてる事しか出来なかった。
その少女について、マルコーは後でいろいろと知った。
名をリト・アールシャナ。マルコーも知る偉大なる時の賢者の子孫で、アールシャナ家の唯一の生き残り。
そして、現時点の最年少国家錬金術師『紅氷』の二つ名を与えられし者。
彼女は少し前まで『軍の傀儡』と呼ばれていたが、最近では新しい呼び名が定着しつつあるらしい。氷の心を持った『雪女』……それが今の侮蔑を含んだ彼女の別称。
「あんな子供が……」
燃えたぎる炎のような、はたまた全身を流れる血液のような紅い瞳を持つ少女には……何と皮肉な通り名よ。
紅い瞳がマルコーの記憶の奥深くにこびりついた。
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