紅の幻影 | ナノ


氷点下 3  



昼下がりの頃、タッカー邸の庭で遊ぶ二人と一匹。といっても、ニーナとアレキサンダーが走り回っているのをリトはただ見てるだけ。ただ、その表情はどこか優しげだ。ニーナもそんなリトに対して不満に思うこともなく、楽しそうに話しかけては時折リトに抱きついたりして遊んでいる。

「兄さん…」

静かな資料室でふとアルがエドに話しかけた。

「さっきから、ちっとも進んでないね」

窓際の壁にもたれて本を読んでいるはずの兄の手元は、一時間程前から止まったまま。

「んな事ねーよ…」
「…上下逆さまだし」
「ッ!?」

ボソッとアルが言った言葉にエドはハッとして本を逆さに持ち直した……が、持ち直した本に書かれた字は上下逆さま。

「嘘だよ」
「お前なー!兄貴をからかうんじゃねぇよ」

とエドは言うものの、集中しきれてなかったのも事実。集中しようにも、時折庭からリトの声が聞こえる度に逐一意識がそっちにいってしまう。

「はあ〜、情けねぇ……」
「ねえ、兄さん。大佐も言ってたけど、現世でリトと何があったの?」
「なっ、何もねーよ!!」

本当に!これっぽっちも!!と、エドは顔を真っ赤にして否定した。アルは説得力ないなー、と思いつつ、聞きたいのはその事じゃないよ、と首を振った。

「そうじゃなくて……上手く言えないけど、リトの雰囲気がちょっと変わってたから何かあったのかって聞いてるの」

微妙な変化だが、リトは前と比べて若干柔らかくなった気がする。その僅かな変化に気づくアルは流石というかなんというか。エドから見てもよく出来た弟だと思う。
エドは持っていた本を閉じ、伏し目がちに話した。

「向こうで、リトの守りたいものを見てきた…」
「それって、現世の事?」
「ああ。現世にはリトの大切な友達がいたんだ」

リトが本当に信頼している人達がいる世界。リトにとって、一番大切な世界。

「それから……リトの過去を聞いた」

想像していたよりも遥かに重く、暗い過去。たった5歳の少女が背負うにはあまりにも残酷で、辛い運命。親を殺されたリトが歩んできた人生を、エドは知る限りアルに話した。

「……そんな……そんな事って!」
「あるんだよ!!現に、タイアースの屋敷の研究室は血だらけだった」

床や天井に飛び散った血痕だけじゃない。机の上に置かれたペンは血が滲んでいて、リトが死に物狂いで勉強していた事を物語っていた。

「あいつは確かに強ぇーよ。でも…」

リトは弱い。肩を震わせて泣くリトはとても小さかった。もし、あれがリトの本当の姿だというのなら、いったいどれだけの感情を押し殺して生きているのだろう。それをさせているのが自分たちの世界だと知り、エドは憤りを覚えた。

「だから決めたんだよ。あいつを守る……ってな」

エドは鋼の右手を握りしめた。
窓の外を見れば、ニーナが楽しそうにリトに話しかけている。リトはその頭を撫でて優しく微笑んだ。

──ドキッ
エドの胸が高鳴る。リトの顔が、声が、頭から離れない。彼女の言葉全てに一喜一憂する、これは何だろうか。

「……っ」

胸を押さえるエドを見てアルは言う。

「兄さん……早くリトに気づいてもらえるといいね」
「な……何を、だよ?」

わかってるけど聞いてしまう、Likeじゃない、この感情の正体を。

「“好き”なんでしょ?リトの事が。恋愛対しょ…」
「わあぁぁあ!う、うるせぇっ!!」

うるさいのはどっちがだよ…、とアルは内心つっこむも、こんな事ぐらいでいちいち動揺する兄を不安に思う。

「気づいてないとでも思った?」
「別にオレはリトの事、好きでも…なん、でも……」

語尾がどんどん小さくなっていくエド。リトを愛しいと思う事はあったが、改めて人に言われるとどうにも恥ずかしい。

「でも、頑張らないとね。だって兄さん……リトに嫌われてるから…」

──グサッ
エドに200の精神的ダメージが突き刺さった。嫌われてる、そんな事は本人が一番自覚している。
リトはこの世界の人間を皆平等に嫌っているが、何故かエドだけはそれが顕著に示されていた。

「〜っ…もういい!肩こったから、運動しに行くぞ!」

エドは本を乱暴に放り投げると、ずんずんと階段を降りていく。

「…肩がこるほど今日はまだ読んでないと思うんだけどなぁ…」

アルは苦笑しながらエドの投げた本を丁寧に棚に戻し、自分も庭へと降りていった。



「あ!お兄ちゃん達!!」

ニーナが駆け出しだ先をリトが見れば、そこには資料室で本を読んでいるはずのエドとアルの姿があった。

「どうしたんですか?」
「…息抜きだよ、息抜き」

心なしかエドの顔が赤い気もするが、どうしたのかと問えば、別になんでもないと返され、リトもそれ以上は気にしないことにした。

「二人で何してたの?」

アルが尋ねればアレキサンダーが自分を忘れるな、とでも言うように「バウッ」っと吠える。

「あ、ゴメンね。えっと、三人で何してたの?」
「歌を歌っていたんです」
「お姉ちゃん、すっごく歌が上手なの!」

ねー?と、ニーナが可愛らしく首を傾げる。
妹がいたらこんな感じなのだろうか、一人っ子として育てられたリトには妹というものが分からない。

「そういや、リトの歌はキレイだったな」
「え!?兄さん、聴いた事あるの!?」
「現世で歌ったんですよ」

本当はユースウェルでも歌っていたのだが、生憎とリトは酒に酔っていて覚えていない。

「いいなー。ボクも聴いてみたかったよ」
「ねぇねぇ、お姉ちゃん!もういっかい歌って?」

か……かわいい……っ。子どもというのは万国、いや種族共通で可愛らしい生き物だ。こんな可愛いニーナに頼まれて断ることができる者などいるのだろうか。いたら、ぜひ連れてきて欲しい。

「仕方ないですね…」

リトは瞳を閉じて空気を吸い込み、それを音として奏でた。


  子供の頃に描いた 宝の地図
  意味もなく作った 秘密基地
  ガラクタだと笑われたけれど
  あの頃のボクらは 信じてた
  キラキラと輝く 夢の世界を

  もうボクらは子供じゃない
  だけど だけど
  大人にはまだなりたくない

  からっぽの旅人は
  ユラユラと風に揺られ
  どこへ行くの?

  怖がらないで 振り向かないで
  前を見て ボクたちの夢を
  君の前に広がるキャンバス
  真っ白なそれに色を重ねて
  キミだけの color
  ボク達の宝物


最後の音を歌い終わり、リトはゆっくりと目を開ける。太陽の光が眩しい。しかし、それ以上にみんなの笑顔が眩しかった。

「すごいや、リト!感動したよ!!」
「お前って、どこから声出してんだよ?」
「バウワウッ!」

アレキサンダーに関しては何を言っているのか分からなかったが、とりあえず喜んでもらえたみたいでリトは思わず頬が緩んだ。ただし、表情はあくまでいつも通り。
それでもニーナはよほどリトの歌声を気に入ったのか、先ほどと同じようにぎゅっと抱きついてきた。

「お姉ちゃんのお歌って、お母さんみたい!」

ニーナが言うには、ニーナの母……つまりタッカー氏の妻は二年前に出て行ったらしい。

「…………。」

二年前…?リトは何かが引っかかった。しかし、ニーナのキラキラとした笑顔がリトの思考を止める。

「お姉ちゃん、明日も来てくれる?」
「…えぇ」
「本当!?やったぁ、じゃあ明日も歌ってくれる?」
「はい、約束しましょう」
「わーい!」

頷けばニーナは喜び、次の曲を強請る。
無邪気に笑うニーナが10年前の自分に重なり、この笑顔は失ってはいけない、とリトは思った。

その日からリトが歌うのは日課になった。
毎日タッカー氏のところへ通い、ニーナと遊ぶ……そう、毎日。なのに何故、気づけなかったのだろうか、あの男の狂気に…。

闇は一歩ずつ近づいていた……───



2009.01.10


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